辻褄合わせ
キューバ政府とすれば、せっかく設置を約束してもらい、アメリカからの脅威が少しは和らぐと思っていたのに、ソ連がアメリカとの交渉で、ミサイルを勝手に撤去するのだから、溜まったものではない。
「昇った梯子を勝手に外された」
という心境であろう。
キューバはアメリカもソ連も敵に回ることになるのだった。
アメリカも、ソ連がミサイルを撤去する条件として、トルコに設置している、NATO軍の核ミサイルを撤去することになった。
これらのアメリカも、ソ連もお互いに歩み寄ることで、国内の強硬派から干される形で、ソ連主席は、失脚し、幽閉されるという運命をたどり、アメリカ大統領に至っては、
「凶弾に倒れる」
ということで、暗殺されることになってしまったのだ。
つまり、
「超大国の首脳二人が、歩み寄ったことによって、抹殺される」
ということになったのだから、この、
「キューバ危機」
という問題は、それぞれの超大国の内外に、いろいろな形で波紋を残したといってもいいだろう。
さらに、当時の冷戦というものは、
「核開発競争」
と、
「宇宙開発競争」
の二つが軸になっているといってもいいだろう。
ただ、宇宙開発競争の裏には、
「大陸間弾道弾」
などの開発という意味が含まれているので、この両方はまったくの無関係ということではない。
特に、世界の派遣を握りたいと思っているのは、どちらの国も同じことで、
「どっちが正しい」
という考え方とは次元が違うのだ。
そもそも、社会主義という考え方は、
「民主主義」
あるいは、
「自由主義」
というものに対しての限界に挑戦したものだといってもいいだろう。
「自由に商売を行ったり、国家が個人に介入しない」
という考えが自由主義なのだが、それにより起こってくる問題として、
「少数派の切り捨て」
あるいは、
「貧富の差がはげしくなること」
などがあげられるだろう。
つまり、民主主義の基本は、多数決である。少数派は、最初から切り捨てられる運命にあるのが、民主主義なので、極端な話、
「10,000と、10,001で、一人だけの違いであっても、少ない方が切り捨てられる」
ということになるのだ。
さらに、競争が自由ということは、ある意味、無法地帯、政府が介入できないのだから、一種の、
「無政府状態」
だといってもいいことから、
「ルールなんてあってないもの」
ということになり、結果として、
「強い者が勝つ」
という、
「弱肉強食だけが正義」
という世界になるということである。
そんな時代から、国民、特にアメリカの国民は、
「核の抑止力」
に対して、危険を感じるようにはなってきたのだろうが、だからと言って、あまりにも、東側陣営に寄りすぎるのも、
「一歩間違えると、暗殺される」
という危険性を孕んでいるということになるだろう。
それを思うと、
「本当は、国民とすれば、昔のモンロー宣言のように、アメリカ以外のところに介入するというのは、あまりいいことではない」
と思っているに違いない。
実際に、アメリカは、大東亜禅僧の時には、
「リメンバーパールハーバー」
という言葉があることで、一致団結していたが、その5年後の朝鮮戦争では、テンションはがた落ちだったというではないか。
今度は、
「キューバ危機」
に直面し、核の抑止力に対して限界を感じたにも関わらず、他の国の情勢に首を突っ込むことはないと思ったとしても、政府書脳が、
「暗殺されてはたまらない」
とでも思ったのか、次第にベトナムに介入することになる。
原因としては、
「東南アジア諸国が、ソ連の影響、いわゆる、パルチザンであったり、ゲリラのようなものを誘導して、独立機運に則った形で、
「社会主義国家化」
が進んでくるのを恐れたのだ。
実際に隣国が、
「社会主義国家になった」
ということで、他の国にその運動が飛び火し、まるで、
「ドミノ現象」
を引き起こしていたのだ。
工作員が潜り込んで、うまくゲリラを誘導したり、裏から武器弾薬を渡して、表に出ないまでも、できるだけ支援して、社会主義国家をつくろうとしているのだ。
それは、アメリカとしても容認はできない。
ソ連が影響力を強めると、ソ連を狙うミサイルの射程距離が足りなくなるというような理由も含まれているだろう。
つまり、アメリカ政府首脳は、
「この期に及んでも、核の抑止力こそが、平和維持になるということを真剣に信じているということだろう」
と、思っているに違いない。
ただ、実際にベトナムに介入すると、相手はゲリラである。普通の空爆で、陸戦協定などに定められている、
「軍事施設などへのピンポイント攻撃」
ということだけをやっていると、
「実際の被害の方が、成果よりも、何倍も大きい」
ということになるのだ。
相手の秘密基地を攻めても、実際の破壊の成果に比べ、自軍の被害が大きいということが国民に分かると、一気に反戦運動になるのだ。
特に、
「北爆」
と呼ばれるものも、世論に配慮して中止になるが、そうなると作戦が滞ってしまい、
「何で、成果も上がっていないのに、うちの息子は死ななければいけないのか?」
ということを、家族が言い出すのだ。
そうなると、アメリカ全土で反戦運動が激化し、今度は、それが全世界に飛び火する。
アメリカは、世論を敵に回すわけにはいかないので、撤退を決めることになる。結局、アメリカに援助されていた南ベトナムは、
「アメリカ側の勝手な事情」
で見捨てられ、最後は、北ベトナムに占領されて、現在のような、社会主義国家が形成されることになったのである。
だから、ベトナム戦争において、
「アメリカが初めて敗北した対外戦争」
と言われるのであった。
ただ当時のアメリカは、
「世界の警察を自認していて、基本的に自国から、名実ともに、アメリカが中心となった戦争を起こすことはなくなった」
と言われている。
だから、諸外国で戦争があっても、物資を送ることはあっても、介入することはないのだが、その例外として、一つは湾岸戦争と呼ばれるものがあり、それは、そもそも、
「イラン、イラク戦争」
において、アメリカが支援していたイラクが疲弊しながらも、隣国の、
「裕福な国」
であるクウェートの供与を受けたはいいが、疲弊したイラクに返せるわけでもない借金を、
「返せ」
と迫ったことで、イラクが武力行使を行い、クウェートを占領してしまった。
「どちらが悪い」
というわけにもいかないのだろうが、アメリカ側は、イラクを脅威に考えたのか、世界各国の世論も、
「イラクが悪い」
ということで、結束してしまった。
確かに、表面上は、何ら軍事衝突も起こっていないのに、勝手に侵攻し、占領、併合までしてしまったのであれば、それは、ナチスドイツと同じだということになり、結局、国連決議ということになった。
「いついつまでに、イラクが撤退しなければ、武力行使に出る」
といっておいての、最後通牒である。
そして、イラクが撤退しないことで始まったのが、
「湾岸戦争」
であった。
この時の、派遣軍は、