Jailbirds
「隠そうともしなかったよ。寝てなーって言われた。眼鏡ないし、多分私そっくりの見た目になってると思う」
紗季はノートパソコンを畳んでリュックサックに放り込むと、ロッカーを開けてシグP210キャリーを取り出した。飯島は手で制止しながら、言った。
「ちょっと待ってください。現場に行くつもりですか?」
「行くよ。電話に出ないもん。てか、見つけてくれてありがと。どうして分かったの?」
「勘です」
飯島が短く答えると、紗季は愛想笑いを返しながらP210をリュックサックに入れた。アベニールの鍵を掴んだとき、飯島が前に立ったまま動かないことに気づいて言った。
「あのー、現場に急ぎたいんですが」
「自分も行きます」
飯島が言うと、紗季は小さく首を横に振りながらリュックサックを前に持ち、その体を強く押した。
「ダメ。どいてってば。姉ちゃんは何も知らないから危ないの!」
飯島は一歩後ずさると、それでも間をすり抜けようとする紗季の両肩を掴んで、言った。
「新堂雪奈と、音無環樹。スノーボールおぢの名前は、ここから取ったんでしょう?」
紗季は息を呑み、両肩を捩って手を払いのけると、一歩後ずさった。飯島は、データベースから見つけた情報を頭に呼び起こしながら、続けた。
「暗号化されていて名前は分かりませんでしたが、ご両親が亡くなった十五年前に、一件だけ別の業者から銃を取り寄せた人間がいます」
業界に波風を起こしていたスノーボールおぢの正体は紗季で、目的は復讐だ。飯島が口に出そうとしたとき、紗季は憑りついていた何かが床に落ちたように、ふっと息を漏らして笑った。
「自分の両親を殺した人間が誰か分かって、許せるわけないよね。その感じだと、それが誰かも分かってるんだ?」
「仙谷さんですか」
飯島が言うと、紗季は口角を上げた。
「賢いな、飯島くん。あの男はね、客っていうよりか仲間みたいな存在だった。でも、うちを乗っ取るために親を殺したんだよ。結局、失敗に終わったけどね」
飯島がどう反応していいか迷っていると、紗季は飯島の肩をぽんと叩いた。
「それにしても、誰にも分からないように名前を暗号化したのに、よく気付くよねえ。あと、飯島くんの読み通り、スノーボールおぢは私だよ。仙谷が弱ってるって噂を流して、ハッカーのポジションに入った人間を直前で逮捕させた。そういうとき、急な案件はだいたい私に回ってくるからね」
紗季はリュックサックを背負ったが、もう飯島を押し退けようとはしなかった。
「美夜子さんは、知らないんですね?」
飯島が言うと、紗季はうなずいた。
「言うわけないよ。私が知ったのも、ついこないだダイヤスが潰れたときだよ?」
飯島は紗季の前から体をどけると、美夜子のロッカーからモスバーグ940を取り出し、バックショットを七発装填して予備を数発ポケットに入れた。
「本当に来てくれるの?」
紗季が呆れたような口調で言うと、飯島はうなずいた。
「紗季さんが復讐を計画していたのと同じように、相手も何かを企んでいる可能性が高いです。手は多い方がいい」
「何かが起きてるの?」
紗季の言葉に、飯島はうなずいた。死に顔は目に焼き付いて、当面記憶から消えてくれそうにない。
「庄内さんが、自宅で殺されました。相手の狙いが、元から紗季さんだった可能性もあります」
飯島の言葉に、紗季は目を大きく開いたまま歯を食いしばった。見た目がどれだけ違っても、怒ったときは美夜子と同じ表情になる。飯島が冷気のようなものを感じて思わず一歩引くと、紗季は唸るように言った。
「もう一度、うちの店を乗っ取るつもりってことか。上等だよ」
飯島は何も言うことなく、紗季と一緒に歩き出した。紗季はアベニールに乗り込むと、後部座席にモスバーグを置いて助手席に乗り込んだ飯島の顔を見ながら言った。
「どうして姉ちゃんに言わなかったのかって話だけど」
飯島が顔を向けて続きを促すと、紗季は深呼吸をしてから話し始めた。
「五年前ね、私たちを育ててくれた命の恩人が、亡くなったの。それで私たちは二人きりになって、私なんかは、もう誰かに殺されても構わないやって思ってたんだ」
最後の言葉に飯島が強く瞬きをしたとき、紗季はエンジンをかけた。
「でも、姉ちゃんはライバルを全員殺してから、家に帰ってきた。だから、私たちはまだ生きていられるんだけど。もし、親を殺したのが仙谷だなんて言ったら姉ちゃんが何をするか、想像するまでもないよ」
飯島は納得してうなずいた。美夜子なら必ず仙谷を殺そうとするだろう。しかし、相手は殺しのプロだ。『人を殺せる装備屋』とは、根本的に異なる。
紗季は小さく息をつくと、アベニールを発進させながら呟いた。
「姉ちゃんに死なれるのは、絶対に嫌だ。それだったら、私も一緒に死にたい。それぐらい望む権利、私にだってあるよね?」
それは、美夜子が紗季に対して思っていることと同じだろう。飯島が相槌を打とうとしたとき、紗季は小さく咳ばらいをした。
「私だって、姉ちゃんを危ない目に遭わせたくないんだ」
芯の通った声で言うと、紗季はアクセルを踏み込んだ。高速道路に乗ってしばらく経ったとき、ロードノイズに負けないはっきりとした声で、紗季は言った。
「一緒に来てくれて、ありがとう」
「こういうときの、何でも屋ですよ」
飯島が冗談めかして言うと、紗季は首を横に振った。
「自分を安売りしないで。何でもできるから、色々頼んじゃうんだよ」
出口ランプにさしかかって、紗季はタイヤを鳴らしながらコーナーを抜けると、暗い産業道路をしばらく走り、貸事務所の近くでアベニールを停めた。飯島は後部座席に寝かせたモスバーグ940を手に取ると、助手席から静かに降りた。紗季がリュックサックからシグP210を取り出して一発目を薬室に装填したとき、飯島はモスバーグを構えたまま先頭に立ち、敷地の裏手に回り込んだ。紺色のキャラバンが停まっていて、マフラーから排気ガスが上がっている。飯島は、天井から窓まで隙間なく返り血が飛んでいる車内を覗き見て、顔を背けた。至近距離で弾が何十発も飛び交った結果、内装は怪獣に何度か噛まれて吐き出されたようになっている。二列目と三列目のシートには、それぞれ血まみれの死体が一体ずつ。運転席には、ひと仕事終えた腹話術の人形のように体を折った死体が崩れていて、右目を中心にかろうじて原型をとどめている顔を見た飯島は、言った。
「これって、遠藤ですか?」
紗季は助手席のドアを開けると、うなずいた。
「うん。後ろの二人は知らない。大川がいないよ」
飯島はモスバーグの銃口を少し下げると、足跡を辿った。血の跡が混じっているが二種類あり、大きなブーツと、 小さめのスニーカー。おそらくスニーカーが美夜子だ。だとしたら、大川の後を追っている。飯島は貸事務所の全体を見渡した。電気が全て点けられていて、中の動きは全く分からない。紗季は飯島の後ろをついて歩きながら、血の跡に視線を向けて小声で呟いた。
「姉ちゃん、無事でいてよ」