Jailbirds
大川は、この現場から逃げるための出口を探していたが、美夜子に見つかるリスクを避けるために、できるだけ動かないように気をつけていた。膝下に命中した二発分の銃創は新しい関節のようにぐらぐらしていて、体重をかけられる状況ではない。
さらに悪いことに、事務所の一階部分は車庫になっていて、目が慣れても真っ暗闇には変わらず、美夜子がどこにいるのかも分からない。ミニウージーには新しい弾倉が差し込まれているが、不意打ちでばら撒くか腕が届く距離まで引き付ける以外、殺す手段はないように思える。仙谷に『自分だけです、後は死んだか逃げました』なんて言えば、返事の代わりに弾が飛んでくるのは分かりきっている。何も実現できなかったのだから、当たり前と言えば当たり前。
それでも諦めきれずに、美夜子の姿を探すために目を凝らせていた大川は、細い散弾銃のシルエットが外から中に向けて伸びたことに気づいた。
新しく誰かが入ってきた。
仙谷は、ダークグリーンの眼鏡をかけた美夜子に言った。
「それにしても、妹にそっくりだな」
美夜子は黒く染めた髪を後ろに払いながら、笑った。
「みんな、最後まで気づきませんでしたね」
事務所の中は明るく、影が外に出て行かないよう、細心の注意が払われていた。美夜子は防犯カメラの映像を見ながら、仙谷に言った。
「大川は、車庫にいます」
仙谷は美夜子の隣に立って、その横顔を眺めた。抜け目がなく、それでいて血の気も多い。迷いがないから、引き金を引くスピードもすさまじく速い。自分と同じ稼業に身を置いていれば、荒稼ぎできただろう。
「大川がここから出て行くには、元の道を辿るしかない」
仙谷が言うと、美夜子はうなずいた。
「キャラバンの方に戻るとは思えません」
仙谷は、ホルスターに収めたキンバーTLEのハンマーに指を置き、美夜子に言った。
「こっちから下りて、仕留めるか?」
美夜子はグロック26を握る右手に力を込めて、うなずいた。仙谷は小さく咳ばらいをすると、深呼吸をしてから一階に下りる階段へ歩き始めた。姉の方を人質にできるとは、到底思えない。殺し合いになるだろう。だとしたら、大川を仕留めた後で美夜子の頭に45口径を撃ち込む以外、終わらせる方法はない。
「今、カメラの映像を固定に変えた。入っても大丈夫だよ」
紗季が言い、飯島は車庫の中に入ると、並べて停められたクラウンとセドリックに向けて銃口を振り、紗季に頭を下げるように言った。紗季は、飯島の耳元でささやいた。
「つけようか?」
「何をですか?」
飯島が振り返って訊き返すと、紗季は車庫の天井を指差した。
「電気」
飯島はうなずいた。確かに、このままでは何も見えない。電気が点いたときのことを考えて、紗季に後ろへ下がるよう手で促した。紗季は入口の傍まで下がって体を小さく丸めると、ノートパソコンの光が漏れないよう画面を寝かせたまま、コマンドを入力して親指を立てた。飯島がそのサインを確認して小さくうなずいたとき、紗季はコマンドを実行した。
車庫の天井に据え付けられた電球が一斉に点灯し、壁のように巨大な大川が目の前に立っていることに、飯島は気づいた。銃口よりも内側に間合いを詰めた大川は、左腕でモスバーグを掴むと、傘を放り投げるように真横に引っ張った。飯島はバランスを崩してセドリックの車体に激突し、大川が投げたモスバーグはその隣に停められたクラウンのサイドウィンドウを貫通して車内に入り込んだ。大川がミニウージーの銃口を向けようとしたとき、飯島は体を低くしたまま、血を流している大川の左膝を力任せに蹴った。猛獣のような唸り声を上げて大川がよろめき、飯島は勢いよく立ち上がると大川の体にタックルを食わせた。体のバランスを崩した隙にミニウージーを掴もうとしたが、異様に長い指で掴まれたグリップはびくともせず、大川は空いている左手を振って飯島の側頭部を力任せに殴った。飯島はそれでもミニウージーを掴んでいたが、グリップの下端にある弾倉のリリースボタンを叩くように押すと、するりと滑り出した弾倉を明後日の方向へ放り投げた。
大川の視線が飛んでいった弾倉の方を向いたとき、飯島は目の前に見えている左膝の銃創に、右手の指を全て突っ込んだ。人差し指が筋肉のような組織に触れ、飯島は背中を殴られながらも傷口から手を離すことなく、指に触れた膝の中身を握りしめて外へ引きずり出した。大川は悲鳴を上げながらミニウージーを捨てて間合いを空けると、片足立ちになったまま逃げ出した。
飯島はクラウンの中からモスバーグを回収して、紗季に言った。
「電気を消してください」
紗季がコマンドを入力して車庫が真っ暗闇に戻り、飯島はモスバーグを構えて車庫の反対側に飛び出すと、事務所へ続く通路に大川の姿を見つけた。事務所から離れた場所に停まっているランドクルーザーの背後に回り込んで、そのシルエットを捉えようとモスバーグを構えて数秒が経ったとき、二発の銃声が鳴り、続いて一発の銃声がとどめを刺すように響いた。大川は仰向けに倒れて動かなくなり、その背後から拳銃を構えるシルエットが現れた。飯島はその場に伏せて、ランドクルーザーの車体下から様子を窺った。仙谷。距離は二十メートルほど離れていて、拳銃は1911の形をしているが銘柄までは分からなかった。ただ、仙谷は45口径を三発撃つのに、一秒もかからなかった。
「人の事務所で、大騒ぎするんじゃない」
仙谷はそう言うと、後ろから現れた美夜子に笑いかけた。ダークグリーンの眼鏡をかけていて黒髪だと、紗季と区別がつかない。飯島はモスバーグを静かに引き寄せると、いつでも引き金を引けるようにグリップを握り直した。
仙谷は壁に近づくと、電灯のスイッチを入れた。眩しそうに目を細めた仙谷は、明るさを調節してやや薄暗くすると、美夜子に言った。
「紗季ちゃんは、家にいるのか?」
飯島は、仙谷の声を聞きながら考えた。ノートパソコン経由で紗季が電灯を点けたとき、明るさの設定が変わったのかもしれない。美夜子は仙谷よりも前に出て、クラウンの粉々になったサイドウィンドウを覗き込んだ。
「紗季は、留守番させてます」
「連絡しといたほうがいいんじゃないか。大川がひとりで暴れても、こうはならないぞ」
仙谷はそう言うと、キンバーTLEの弾倉を入れ替えた。美夜子はスマートフォンを取り出すと、そこに答えがあるように画面を見つめた。
「まさか、脱出したのかな?」
そのやり取りを聞いていた飯島は、確信した。着信音が鳴ったら、紗季がここにいることが発覚する。仙谷は二人が同時に揃っているか、確かめようとしているのだ。車庫の外で着信音が鳴り響いたとき、飯島はモスバーグを構えて立ち上がり、ランドクルーザーの陰から体を出した。
「伏せろ!」