Jailbirds
音無美夜子という名前が画面に表示されて初めて思い出したが、今日は遠藤と大川の『本番日』だ。紺色のキャラバンで貸事務所を襲撃する予定で、逮捕されたハッカーの代打として紗季が急遽仲間入りしている。美夜子の依頼は、『今から送る住所を、順番に回ってくれない? いくつかある』
「さすが、姉ちゃんだな。心配性だ」
飯島はカローラのハンドルをぐるぐると回しながら、呟いた。一件目の住所は、音無姉妹が住むマンション。もちろん異常はなかった。次は音無家が懇意にしている部品屋のヤードで、つい数日前にジムニーのサイドミラーを引き取りに行ったばかりだ。こちらも異常なし。次が最後で、工業地帯の入口に建つ寂れたアパートだった。街灯がまばらで、近所からは何かの機械が稼働する轟音が断続的に聞こえてくる。ロクな居住環境じゃない。飯島はカローラを路肩に寄せると、アパートの駐車場を横断した。美夜子のメッセージには、『二〇四号室を確認してきてほしい』と書かれていた。
端の枠に停められたシルバーのランサーセディアを見て、飯島は歩く速度を少しだけ抑えた。昔はよく走っていたが、最近はそこまで見なくなった。記憶がどこにも辿り着かず、飯島は階段を小走りで駆けあがった。二〇四号室の前に辿り着いて、指紋が残らないよう上着越しにドアノブをそっと握ると、鍵は開いていた。部屋の中に籠っていた空気が少しだけ顔を出したとき、飯島はランサーセディアの持ち主が庄内だということを思い出した。
「庄内さん?」
飯島は玄関で靴を脱ぎ、廊下に足を踏み出した。汚い外見と違って、庄内の住む部屋は綺麗に整頓されていた。風呂場の方向から、完全に閉じていない蛇口から水滴が落ちる音がして、飯島はのれんをくぐった。浴室のドアは開きっぱなしになっていて、首を真横に切られた庄内の死体が、浴槽の中で自分から流れ出た血に浸かっていた。飯島は転げそうになりながら部屋から飛び出すと、階段を二段飛ばしで下りて、美夜子にメッセージを送った。
『庄内さんが殺されました』
送って終わりではない。自分にだってできることはある。飯島はカローラに乗り込むなりエンジンをかけ、家に向かった。まずは、アウトローセットを取りに帰らなければならない。今すぐではなくても、必ず使うときが来る。
本来の持ち場について、十分が経過した。遠藤は、完全にライトを消して真っ暗になったキャラバンの運転席で、弾倉をコブレイM11に差し込んだ。大川はミニウージーのスリングを肩から吊り、いつでも撃てるように安全装置に手をかけている。今は、音無が屋外の木陰でパソコンを操作していて、防犯カメラに侵入できるかその結果を待っているところだった。音無の背後は真野が守っており、上着の下から突き出たスウェディッシュKの銃口が目立っている。もちろん、その正体が何か気づかれるより前に、撃つことぐらいはできるだろう。
ネットワークへの侵入が完了したら、音無を車に戻して一斉に移動。そういう段取りになっている。表向きは。遠藤は振り返り、小声で出井に言った。
「で、どうやったん?」
出井はスウェディッシュKのボルトハンドルに置いていた手を持ち上げて、人差し指をさっと横に動かした。
「スパーッと。はい」
遠藤はわざとらしく肩をすくめると、運転席の窓越しに外を眺めた。首をまっすぐ切り裂いて返り血を浴びないようにするには、中々の素早さと技量が要る。外では、音無が真野に何かを話しかけ、焦ったような表情を浮かべた真野が戻って来ると、スライドドアを開けるなり言った。
「時間がかかるそうです」
「ここにずっとおられへんやろ、移動しよか」
遠藤はそう言うと、二列目に乗り込もうとした真野を手で止めた。
「三列目の左側に乗れ」
音無が戻って来ると、ノートパソコンの蓋を畳みながら言った。
「設定が変わってます」
三列目に乗り込もうとしたが、すでに真野が座っており、音無には二列目に座った。隣に座る出井が、言った。
「うちの娘が、ちょうど君ぐらいやねん」
「出井さん、ちょっとこっちの話していいかな?」
遠藤はそう言うと、コブレイM11のボルトハンドルを真後ろに引き、銃口を音無の頭に向けた。
飯島は家の鍵をこじ開けるように回して、靴を片方脱ぐのを忘れたまま部屋に入ると、押し入れを引っ張り開けた。アウトローセットが入ったダナーの靴箱を取り出して中身を開き、38口径のホローポイント弾を全てポケットに詰め込むと、最後に拳銃をベルトの隙間に挟み込んで立ち上がった。目的を果たして、ようやく自分の家であることを思い出したように、部屋を見回した。パソコンが解析をひと通り終えて、カラフルな分類結果の画面に切り替わっている。
電源を落とすためにパソコンに近寄ったとき、飯島は画面に表示されている名前を目に留めた。音無ボデーではなく、ダイヤスパーツセンターの履歴だ。十五年前の、たった一回の取引。プログラムが引っかけるには、十分すぎるぐらいに珍しい。
取引内容は、ウィンチェスター1300、サファリアームズエンフォーサー、そしてベレッタM71。取引相手の名前は暗号化されていて、解読できない。飯島は暗号化された名前を元に検索した。音無ボデーショップの顧客リストにも頻繁に登場するし、どちらかというと、こちらの常連だ。ダイヤスから銃を仕入れたのは、十五年前の一回だけ。それは、音無姉妹の両親が殺された年でもある。
飯島はパソコンに顔を近づけると、ダイヤスパーツセンターのアドレス帳を検索した。音無ボデーショップも登録されており、まずは社長。現在は音無美夜子で、その前は音無環樹。専務は新堂雪奈。この二人が両親だ。その名前を頭に留めたとき、飯島は再び家から飛び出した。カローラに乗り込んでエンジンをかけると、さっき庄内のアパートから抜け出したときと同じようにアクセルを底まで踏み込んだ。
幹線道路のナトリウム灯が残像のように後ろへ流れていく中、頭の中が冴え渡っていくのに合わせて、飯島は考えた。最近界隈を賑わせている、スノーボールおぢ。仙谷が弱っているという情報をこいつが流したことで、今回の案件は始まっている。ハッカーをタレ込んだのも、おそらく美夜子の読み通りでこいつがやったのだろう。スノーボールおぢは、この業界にハンマーを振り下ろそうとしている。
カローラをゼブラゾーンの終点に停めると、飯島はゆっくりと建物に近づいた。中に入り込んだタイミングで紗季のスマートフォンにメッセージを送ったが既読にはならず、電話をかけるべきか迷いながら、飯島は照明柱の光を受けないように陰へと移動した。
遠藤はコブレイM11の銃口を向けたまま、音無に言った。
「ちょっと、しばらく身柄を預からせてほしいのよ。この仕事自体が、君を引っ張り出すための仕掛けやねんな。銃出して」
音無は静かに上着をめくると、グロック26をホルスターから抜いて遠藤に差し出した。大川が、お菓子の入った袋を探りながら言った。
「紗季ちゃん、ほんまにごめんなあ。元々雇ってたハッカーが直前で捕まったんは、びっくりしたけどな。うちらは最初から、紗季ちゃんを指名するつもりやったんよ」