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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Jailbirds

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 親が遺したこの店から、私が逃げることはないと。
 
     
二〇一八年 五月 五年前
  
 夕方、ヤスおじさんが事務所で倒れた。スマートフォンに紗季からの連絡が入ったときには、すでに救急車で搬送された後だった。美夜子が友達との約束を切り上げてタクシーで病院に駆け付けたときは、ヤスおじさんは集中治療室にいた。待合室のベンチに座っていた紗季は、美夜子の顔を見るなり泣き顔になった。
「姉ちゃん。私、ハンコを取ってくれって言われたんだ」
 美夜子は隣に腰かけると、その背中をさすった。紗季は息を漏らさないように歯を食いしばっていたが、ようやく言葉が追いついてきたように言った。
「渡そうとしたんだけど、何回やっても渡せなくて。そしたら、倒れちゃった」
 脳溢血かもしれない。美夜子は最悪の結末を想像して、目を伏せた。生き残ったとしても、元通りにはならないかもしれない。そうなったら、二人きりだ。音無ボデーは立地がいいから、常に様々な業者から狙われている。特に今は、鮫島という名前の解体業者が周りを嗅ぎまわっている。他には井上一味や、暴走族崩れの山野だって。ヤスおじさんが倒れたということが広まったら、どうなるんだろう。
 あの日、両親は帰ってこなかった。私たちも同じように、どこかから二度と帰ってこられなくなるのだろうか。美夜子は、自分が縋りつきそうになっていることを悟られないように、紗季から少しだけ体を離した。紗季は俯いて涙を零しながら呟いた。
「許せない。どうしてヤスさんが酷い目に遭うの」
 美夜子は、ガラス窓に薄く映る姿を見つめた。瓜二つの双子。ヤスおじさんがいなかったら、ここにもいられなかっただろう。二人で隠れていた車の後部座席が終点だったはずだ。毛布では寒さこそ凌げても、弾は防げない。銃声が立て続けに鳴り響いて運転席の窓が粉々に割れたとき、不思議と不安はなかった。それまで車の中を覗き込んでいた男が一発を撃ち返すのと同時に仰向けに倒れたのは、はっきりと見えていた。
 美夜子がようやく呼吸を落ち着けたとき、看護師が待合室の扉をノックして、顔を出した。
「ご家族の方とも連絡がついたので、もうすぐいらっしゃいます」
 美夜子は小さくうなずくと、紗季の手を引いた。
「行こう」
 ぽかんと口を開けた看護師の脇を通り抜けると、美夜子は紗季の手を引いて走り、がらんとした駐車場に辿り着いて足を止めた。
「どうしたの」
 紗季が息を切らせながら言うと、美夜子は同じように肩で息をしながら呟いた。
「約束したから」
 ヤスおじさんは、家族に自分の仕事のことを伝えていない。つまり、自分たちはあの場に存在してはならない。人を殺すための道具をお膳立てするだけじゃなく、自分でも人を殺せるような人間を目指しているのだから。美夜子は、十年に渡ってヤスおじさんから格闘術と銃の撃ち方を教わり、筋がいいと言われ続けてきた。そのときのことを思い出しながら、付け加えた。
「あの人の家族は、私たちじゃない」
 跳ね回る心臓が何かを伝えていた。今までに頼ってきた壁から手を離すべきだ。美夜子はロータリーに停まっているタクシーに手を上げると、紗季にお金を掴ませて後部座席へ押し込んだ。
「家で待ってて」
 美夜子が運転手に住所を伝え、紗季は言われるままにタクシーで運ばれると、アパートの前で下ろされた。美夜子は一度決断したら、行動に移すまで何も言わなくなる。蚊帳の外とは思わないが、心配することすら許されないのは、正直寂しい。紗季はひとりで部屋に戻ると、美夜子がいつ帰ってきてもいいように夕食をひとり分作り、自分はカップラーメンを食べた。夜十時を回ったころに病院から電話があり、ヤスおじさんが亡くなったことを知った。
 日付が変わっても美夜子は帰らず、紗季は眠ることもできずにベッドの下から藍色のアクセサリーボックスを取り出した。鍵付きで、中身は全てくり抜かれている。中には錆びついた拳銃と、いつか錆で読めなくなると思ってシリアル番号を控えた紙片。自分が十歳だったというのが、信じられない。ベレッタM71。あの日、一度は自分たちを真上から狙った拳銃だ。男の手から回収したことは、美夜子には言っていない。
 自分たちを殺そうとした拳銃。今は錆びついていて、もう動きそうにもない。そう思うとどこか安心できるし、全てが過去のことのように思える。ナイトスタンドの光で照らしながら眺めていると、鍵ががちゃりと回る音が鳴って、紗季は慌ててベレッタM71をアクセサリーボックスにしまい込んだ。部屋から出ると、美夜子がマフラーを首からするすると抜いて、括った髪をほどいたところだった。
「姉ちゃん……?」
 紗季が恐る恐る近づくと、美夜子は少しだけ目を細めて笑った。本当は一ミリも面白くないのに、愛想で合わせるときの笑顔。
「紗季、起きてたの」
 美夜子はそう言うと、上着を脱いでハンガーに吊るした。紗季は後ろから近づいて、美夜子の爪からネイルがほとんど剥がれ落ちていることに気づいた。
「爪、どうしたの」
「撃ってたら落ちた」
 美夜子はそう言うと、ベルトに挟んだM&Pを抜いてテーブルの上に置き、ソファに座った。テレビを立会人にするように紗季が向かい合わせに座ると、美夜子は言った。
「よく聞いて。紗季のことは私が守りたい」
 M&Pの銃口と薬室から細く煙が上がっていることに気づいた紗季は、からからに乾いた喉を鳴らした。
「撃ったって、人を?」
 美夜子はうなずいた。ヤスおじさんなら上出来だと褒めてくれるだろう。病院を飛び出してから六時間。鮫島兄弟、井上と仲間三人、山野と続けざまに殺した。特に生意気だった井上は、頬に三発穴を空けてから頭を吹き飛ばした。邪魔をしたらこうなるということを、噂で広めてもらう必要がある。とりあえず、これで音無ボデーを狙う人間は当面いなくなった。
 右手に何かを握りしめるように手を閉じた紗季の目を見ながら、美夜子は笑った。生まれてから十年は両親に守ってもらい、その後の十年間は、ヤスおじさんが代わりをしてくれた。思い返せば、本当に恵まれていた。でも、もう終わり。美夜子は胸を張り、ひりひりと痛む右手をゆっくりと固めた。『被害者』という甘々な立場は、今日で卒業する。
「姉ちゃんさ、人を殺すのだけは得意なんだ。だからさ……」
 紗季が続きを促すように見返したとき、美夜子は笑顔を見せた。
「絶対に、二人で生き残ろう」


二〇二三年 十二月

「姉妹で五年間、切り盛りしてきたっちゅうわけよ」
 後続車から散々クラクションを浴びた後、待避所にキャラバンを寄せた遠藤がハンドルをこつこつ叩きながら言った。助手席で大川がうなずき、後部座席では出井と真野がそれぞれ、オウムのようにうなずいた。遠藤がそのまま会話を続けようとしたとき、何にでも自分の意見を付け加えないと気が済まない出井が、自身のハゲ頭を高速で撫でつけながら言った。
「この業界で女がアタマに立つってのは、難しいことです。はい」
 遠藤はそのまま続けようとしていた言葉を度忘れし、ディーゼルのエンジン音だけが車内に残った。すぐに、沈黙に耐えられなくなった真野が言った。
「その手前は、ずっとカタギやったんですかね?」
作品名:Jailbirds 作家名:オオサカタロウ