Jailbirds
紗季がノートパソコンの画面を向けながら言うと、飯島はうなずいた。
「お任せください」
飯島はノートパソコンを受け取ると、取引履歴のデータベースを開いた。紗季はコンピュータの専門家だが、データ入力のような根気の要る作業はとにかく苦手で、定期的に修正するのは飯島の仕事だった。
紗季は、飯島が集中し始めたのを見て、眼鏡をひょいと持ち上げた。自分と美夜子は出られなかった側の人間だから、よく分かる。私が学校でどれだけ教科書を読んで勉強し、美夜子が運動部のかっこいい先輩をみんなで見に行ったとしても、そこから離れた瞬間に、仲良く元の荒っぽい世界に逆戻りになった。『予約』という概念すら、音無姉妹には存在しない。予約というのは、そこまで生きていることが見込めるからできるのであって、自分の人生にそんな保証があった試しはなかったから。そういうこともあってか、ヤスおじさんは命の恩人なのにずっと申し訳なさそうな顔をしていたし、とにかくこの業界は、性格のいい人間が泣く羽目になるのが常だった。
美夜子は髪をアップに束ねると、ヘアゴムを口にくわえたまま紗季の方を見て、口角を上げた。
「ぱっぱと片付けて、ご飯行こう」
紗季はうなずくと、美夜子の助手の位置に置いてある事務椅子に腰かけた。クラクションがさらに近づいてきて、ランドクルーザープラドが店の前で停まるのと同時に、追い越していったグレーのハイエースから怒号が飛んだ。
「ちんたら走るなボケ!」
髪を括った美夜子が声を出して笑い、紗季もノートパソコンの画面を覗き込みながら笑った。本人は普通に走っているつもりらしいが、遠藤は後続車を怒らせる天才だ。身内では『煽らせ運転の遠藤』と呼ばれている。射撃や運転よりは、まとめ役を器用にこなすタイプ。
美夜子は、運転席から降りてきた遠藤に会釈した。毎朝計算しているように、ポマードで七対三に分けられた頭。それなりに年を取っているはずなのに子供のようにも見える、だまし絵のような顔つき。化石のような色合いのセーターに、カーキのスラックス。全体的に小柄な遠藤の外見は、実在しない昔の写真のようにちぐはぐだ。
電話があったのは、三日前。用意する装備は、サプレッサーとセットになったサブマシンガンが四挺で、機種や口径は不問。そして、エアバッグをキャンセルしたバンが一台に、新品のノートパソコンが一台。いわば、きっちりとしたチームの仕事だ。
紗季が遠藤に会釈したとき、そのすぐ後ろから遠藤をすっぽり覆うぐらいの大男が現れた。通称『ザリガニの大川』。右手の人差し指と中指が太くてハサミみたいに見えるから、美夜子が命名した。紗季はその全身に目を走らせて、また目を伏せた。前に来たのは二ヶ月前で、そのときからさらに大きくなっている気がする。見た目だけではなく大川は怪力で、壊せないものは基本的に存在しない。身長百九十センチ、体重は百キロ。本人が事あるごとに言うから、覚えてしまった。常にアンダーアーマーの白いスウェットを着ていて、短い金髪は側頭部に細く走る傷痕以外、芝生のようにびっしりと生えそろっている。見た目に反して気配を消すのが上手く、壁のように大きいのに、真後ろに立たれても中々気づけない。この二人は関西出身で、言葉遣いは独特だ。
「自分、ちゃっちゃと退いたらな、可哀想よ」
大川はそう言いながら、遠藤のなで肩を小突いた。
「おれはきっちり、前を見て運転しとる」
遠藤が言い、大川はがらがらと喉を鳴らしながら笑った。
「それがあかんっちゅうとんねん」
美夜子はお茶を二杯入れると、テーブルの上に置いた。この二人が同じ車で現れるのは珍しい。遠藤と大川は共に四十代で、同じ世代の人間ではあるが基本的に水と油だ。こうやって旧友と見間違うぐらいの距離感で現れるときは、何か特別な事情があるときだ。例えば、目の上のたんこぶを消すとか。今身の回りで起きていることを考えると、可能性はさほど多くない。おそらく、父母が経営していた頃に良くしてもらっていた、仙谷に絡む案件だろう。仙谷はヤスおじさんとも知り合いで、昔ほどの付き合いはないが、今でも装備の依頼をくれるときがある。ほとんど伝説的な存在で、何十年も前線にいる凄腕の『仕事人』だ。
問題は、最近体を壊しがちで次の仕事を最後に引退するという噂が広まっていること。つまり、遠藤と大川にとっては、手負いの仙谷は討ち取って剥製にすべき猛獣のようなものだ。さらに、同業者の間ではその噂の出元が、新しい噂になっている。情報をリークしたのは『スノーボールおぢ』という通り名の犯罪者で、同業者とは接点を持っていないし、顔見知りすらいない。ただ事実として、仙谷が『弱っている』ということは広まった。そこまで考えたとき、美夜子は小さく息をついた。頂上争いに巻き込まれると、ロクなことがない。装備屋は中立な立場を保つ必要があるが、依頼人が敵味方に分かれてしまった場合は立場が危うくなる。しかし、武器をくれと言われたら最後、渡さないわけにはいかない。庄内がダッフルバッグを持って車庫から現れると、遠藤と大川の前に置いた。美夜子はファスナーを開けて、サプレッサーが一体になったスウェディッシュKを半分引っ張り出した。
「骨董品でごめんなさい、サプレッサーが中々なくて」
「おー、懐かしいのー」
遠藤はそう言うと、腹に力を込めてダッフルバッグを大きく開いた。大川が覗き込み、自分の分を確保するように大きな手を伸ばした。
「ミニウージーもあるやんか、これはおれが使う」
まず金を払えと口に出かけて、美夜子は唇を結んだ。遠藤も大川も、金を渋ってくるような人間ではない。庄内は作業服の袖で額の汗を拭うと、ヘッドホンを耳につけてリモコンを操作している飯島の方を見た。遠藤と大川は、初めてその姿に気づいたように、庄内と同じ方向を向いた。
「アルバイトの子?」
大川が訊き、美夜子は首を横に振った。
「まあ、そんな感じ。聞かれると困るから、ヘッドホンをつけてんですよ」
「あーね」
遠藤は時折、場違いな若者言葉を使う。すでに流行ってもいないが、中年の方向転換はそうそうスムーズにはいかない。美夜子は流れ作業のような愛想笑いで遠藤の言葉を脇に退けると、テーブルの上に『商品』を並べていった。スウェディッシュKが二挺、ミニウージーが一挺に、コブレイM11が一挺。大川はミニウージーの本体より長いサプレッサーを眺めながら、言った。
「これは弾がなんぼあっても足らんな」
美夜子は9mmのプラスP弾がバラで入った弾薬ケースをテーブルの上から持ち上げると、言った。
「口径は揃えたんで、そこは褒めてほしいところですね」
遠藤が愛想笑いを浮かべると、場違いな金色の腕時計が巻き付いた手を持ち上げて頭を掻いた。
「てかな。今回、頭も良くないといけんのやわ。おれらはアホやから、なあ?」
突然話題が変わり、美夜子は少しだけ体を引いた。『おれらはアホ』の部分は、おそらく誰もが見抜ける。遠藤はその点については合意したように照れ隠しの笑いを浮かべると、続けた。
「カメラの接続を切るのに、ハッカーを手配しとったんや。そいつが土壇場で捕まってもうてな」