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城好きのマスター

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「アーモンドペーストや、パウダー状のものであったり、ケーキ材料に使うようなものを、普通の食事に入れる」
 という形だった。
 普通だったら、毛嫌いされるだろう。
 そもそも、マスターは、
「人と同じでは嫌だ」
 と思っていた。
 というのも、その考えが強かったのは、大人になってからというよりも、子供の頃からのことだった。
 当時の小学生は、皆一緒に遊んでいても、それぞれに個性を大切にしていた。
 いわゆる、
「ガキ大将」
 と呼ばれる人がいて、その人が自分の取り巻きになりそうな人間を集めるのにも、しっかりと自分の考えを持った人をまわりに集めるのが、主流だったのだ。
 だから、自分の個性を持っていない人間をあまり仲間に入れたくないと思っていた。
 もちろん、ただそれだけのことで、
「村八分」
 というようなことはしない。
 ガキ大将というのは、自分が、されて嫌なことは、なるべくしたくはないと思うものであり、
「苛めの先導者」
 というような人間では決してないのだ。
 どこかのアニメのガキ大将のように、
「お前のものは俺のモノ。俺のモノは俺のモノ」
 という、明らかに理不尽な恫喝でまわりを従わせるというようなものではないのであった。
 確かに、アニメのガキ大将は、かなり理不尽ではあるが、今の時代の、
「苛めの先導者」
 ほど卑劣なものではない。
 特に昔のガキ大将あ、そんな性格であるくせに、
「勧善懲悪」
 という精神を持っているのであった。
「俺が悪をやっつけてやるから、俺に従え」
 という雰囲気の、一種の封建制度に近いものだといってもいいだろう。
 封建制度というのは、武士にとっての命よりも大切なものは、土地であった。その土地を領主が保証してやるかわりに、領主が戦をする時には、兵士となって、奉公するというような双方向からのいわゆる、
「御恩と奉公」
 と呼ばれるもので結びつく関係であった。
 そこには、土地というものの保証があることで、成り立っているものなので、戦で手柄を立てたものが、
「論功行賞」
 という形で褒美を受けとるというのが、封建制度の、
「御恩と奉公」
 だといってもいいだろう。
 鎌倉幕府においてそれが揺らいだことが、滅亡のきっかけになったのだが、
「元寇」
 というものがあり、中国大陸から、元帝国が攻めてくるということで、日本の防備のために、御家人が九州に集められ。実際に戦を行い、血を流しながらも、日本を守ったということになるのだが、実際には、日本は戦によって、領地が増えたわけではない。
 つまり、戦に勝っても、褒美としてもらえる土地が、どこにもないのだ。
 元寇に備えて、御家人は借金をしてでも、博多の備えに出向いたのに、論功行賞で借金を返して、土地を取り戻そうと思っていたものが、まったく当てが外れてしまうことになる。
 幕府も当てが外れたわけで、どうすることもできない。何とか、
「徳政令」
 という借金棒引きをという手を打ったが、実際の褒美がないのであれば、どうしようもない、
 鎌倉幕府に対しての不満が爆発したところに、朝廷が出てきたというのは、ある意味、自然な流れだったのだろう。

                 大団円

 マスターの新たなメニューのナッツ系のメニューで、一度、
「試食会」
 と称して、開催をしたのだが、もちろん、強制もしないし、参加者は自由であった。
 当時はまだ、アレルギー表記も義務化もされていないし、アレルギーに対しての認識も低かった。
 それでも、マスターは分かっていたので、
「なるべく、アレルギー表記をして、何が入っているのか?」
 ということを示すようにしたのだ。
 常連なのである程度は分かっているつもりであったが、その人が好きなものは分かっても、嫌いなものに限っては、言わない人も多いだろう。
 下手に嫌いなものを言うことで、
「店の人に嫌われたくない」
 と、思う人もいることだろう。
 逆に、
「馴染みの店だから、余計なことを言わないで済む」
 と思うのであって、その思いは、
「それを口にしないだけで、本当は嫌いなものはある」
 ということの裏返しだ。
 好きなもの、つまり肯定であれば、範囲は狭いのだが、
 好きではないもの、つまり、中立なのか、否定なのかの両方であれば、その範囲は限りなく広いものになるだろう。
 だから相手がいわなければ、こちらの判断だけになってしまうと、判断ができるわけもない。
 そんな人に勧めることなどできるはずもないだろう。
 そう思うと、少しでも相手はひるんだ場合は、薦めてはいけないということになるのだった。
 その状態だと、相手が、下手に遠慮深い人で、
「ここは自分が食べてあげないと失礼に当たる」
 などと思う人であったら大変だ。
 いくら不可抗力だとしても、救急車で運ばれた時点で、
「容疑者扱いにされてしまう」
 刑事がまわりの人に事情を聴いたとしても、何とも答えようがない。
 どちからを擁護すると、どちらかを陥れることになる。
 見ている人は思うだろう。
「これは不可抗力でしかないんだ」
 ということである。
 不可抗力ということであれば、証言を求められる人は何も言えなくなってしまう。
 だから、今回は、
「とにかく、中立でいなければいけない」
 ということを考えると、マスターの身になって考えた時に、
「中立というのが、一番分かりにくい立場なんだ」
 と分かるだろう。
 中立だったことで、その人にアレルギーがあったのかなかったのか、わかるはずもない。本人がアレルギー体質にコンプレックスでも持っていれば、なおさらだ。
 特に
「アレルギーだから気をつけなさい」
 と。親や医者からいわれたとしても、それを自分で味わったことのない人間は、わかるはずもない。
 そういう意味では子供の頃に、アレルギーでのちょっとした経験でもしていれば、分かったことだったのではないだろうか。
 それを思うと、恐ろしいことではあるが、
「はしかなどを、幼少期にやっておいた方が安心だ」
 と言われるのと同じことではないだろうか。
 実際に子供の頃という、その人の人生を知らないことが、仕方ないということでは済まされないことになりかねない。
 それを思うと、
「本当にアレルギーというのは恐ろしい」
 と思うのだった。
 実際に、その時、アレルギーが原因で救急車で運ばれた人がいた。マスターは茫然として、どうしていいか分からないようだったが、そのことはまるで前の日に夢で見たかのように思えたのだった。
 マスターは大きなショックを受けた。もちろん、警察から事情も聴かれ、話せることは話したが、どうも、恫喝を受けたようで、そもそも小心者のマスターは、ビビッてしまって、
「店を閉めた方がいいんだろうか?」
 と考えていたようだ。
 悩みこむと、すぐに引きこもってしまう性格で、人と会話をするのも嫌になったりしてうた。
 正直、
「何もかも嫌になった」
 とでも思ったのだろう。
 そう思うことで、マスターは、憔悴してしまっていたのだ。
 だが、警察からは、おとがめなしになった、最初は、
「何が入っているか分からないものを、他人に食べさせた」
作品名:城好きのマスター 作家名:森本晃次