悠々日和キャンピングカーの旅:⑨東北太平洋岸(茨城~岩手)
踏切を通過した電車の音で我に戻った私は、台風被害に遭った箱根登山鉄道の全線復旧の証の、目の前を走る電車を素直に喜んだ。
箱根のR1は道幅が狭く、多分、東京から大阪までの765kmの中で、ここが一番狭いのではないかと思えるほどで、舗道のない道を歩く観光客に注意を払い、徐行しながら下っていった。ここは小涌谷温泉街、その先は宮ノ下。そこからからは箱根裏街道(R138)に入った。
仙石原(せんごくはら)を通り過ぎると乙女峠に向かう上り坂に差し掛かる。峠のトンネルで箱根を後にすることになるのだが、箱根は温泉を始め、美術館や景勝地等の立ち寄る場所が多々ある素晴らしく且つ奥深い観光地だ。次回はゆっくりと、箱根七湯に浸かってみようと思った。
神奈川県と静岡県の県境の乙女峠のトンネルを抜けて御殿場に入ると、目の前に威風堂々とした富士山が構えていた。その山容が素晴らしく、「ジル」を停めて見入った。すると、何故か突然、“富士山は御殿場の人たちの山”だと感じた。それほど素晴らしい富士山の景色だった。
右折してR246に入った。沼津から皇居に至る道で、“上京する道”のひとつだ。
地方在住の私は、この上京という言葉は「おのぼりさん」と同意語であり、東京に対しどことなく、へりくだったネガティブな感じを受けてしまう。他に適当な言葉がないため、仕方なく使っている。
日本の人口の約9割の人が私と同じような感覚を抱いているのかもしれないが、京都府民は例外か? 彼らは、京都府民とそれ以外の人という見方を持っているのかもしれない。
富士山が後方の景色になったあたりの道の駅「ふじおやま」に立ち寄った。
ちょうど昼食時間のため駐車場は込んでおり、大型トラックの駐車エリアに「ジル」を停めて、駅舎で買った一品を加えた昼食を食べながら、数年前、バイクでここに立ち寄ったことを思い出した。
その時も同じ快晴ではあったが、早春のツーリングは、冬装備でも寒い。今、車内を暖房しながら窓を開けて、少し冷たい風を気持ち良く浴びながら走る「ジル」の運転との違いを面白いと思った。
R246を東に進むと再び神奈川県に入った。丹沢山塊の南麓の山間を走り抜け、東名と平行して走っていると、標高が下がってゆくのを感じた。
松田市街に入った。そこからは、秦野、伊勢原、厚木を抜け、相模川を渡る。その川沿いに南下するならば“サザンの湘南海岸”だ。そう思ってしまうのは私達の年代か。
更にR246を東に進むと、マンションや民家が次第にぎっしりと立ち並び、「都会密度」という熟語の有無は知らないが、そのレベルがいきなり高くなった。そのためか、休憩できるちょっとしたスペースはなくなり、信号は殆どなく、巡行スピードがアップした。高架になっている部分では、田舎に住む私にとっては、ぎっしりと詰まった住宅地の上を飛んでいるような感じがした。
多摩川を渡り、東京都世田谷区に入り、間もなくR246は東名の高架下の道になった。
大都会のど真ん中を走っている感じが強くなり、すれ違うキャンピングカーもなく、そんな場所を走る「ジル」はどのような印象を与えるのかと思いながら、できる限り車間距離を確保しながら走った。
渋谷を抜けて六本木通りに入った。交通量が更に増した。六本木ヒルズが正面に見え始めた。近づくに連れ、巨大なサイズになっていった。3車線の歩道側にクルマが停車していると、それを避ける際はかなりの注意が必要で、それからは3車線の中央を走ることにした。歩道側の車線は停車禁止にして欲しいところだが、実際はそうもいかないのだろう。
国会議事堂を左に見た後、皇居が見え、いきなり空が広がった。この交差点がR246の起点だ。
道なりに右に進み、皇居の堀沿いを走る内堀通り、そして晴海通り、左折して日比谷通りに入ると丸の内だ。
前後左右のクルマ台数は多く、且つ巡行速度は速く、経路案内標識を見て、その行先とマップを頭の中で重ねる余裕がなくなり、ナビどおりに運転することで精一杯になってはいたが、左に皇居、右に旧大名屋敷だった丸の内の高層ビル街を見回しながら、ハンドルを握っていた。
信号で停まると安堵しながら、見えたのは堀側をランニングする人たちの姿で、ここを走る気持ち良さを分かったような気がした。
和田倉門の信号を右折すると、東京駅が遠くに見え、次第に目の前に近付く。これこそ「上京」なんだと思いながらも、上京のゴールは目の前の東京駅なのか、バックミラーで見える皇居なのか、そんなことを思いながら、R4に入っていった。
それにしても、クルマも人も早く動いており、東京は忙しい街だ。これが、上京した感想だった。
この先も、今日の目的地の越谷までも道の駅はない。娘宅はR4を北上して右折すればたどり着くので、気持ちは楽になったものの、まだまだ交通量は多く、3車線のどこを走るかによっては、渋滞にはまってしまうため、それを注意しながら走った。
ビルの高さが次第に低くなり、荒川を渡った先もまだ東京都内だが、もう埼玉県と思えるほどだ。埼玉県の草加市街に入った。高架の東京外環道を潜ると越谷は間もなくだ。注意深く右折して、住宅街に入り、娘宅に到着した。
娘宅から徒歩2分の範囲内に、大型のドラッグストアが2店、コンビニが1店、レストランが2店もある。自宅に冷蔵庫は不要だねと娘に言うと、笑っていた。久し振りの孫との夕食は楽しいひと時だった。
静岡県内の自宅から越谷までは幾つかのルートが考えられる。
前回の“霞ケ浦・房総半島のキャンピングカーの旅”では、山梨県から奥秩父山塊の主峰の甲武信ヶ岳近くの雁坂トンネルを抜け秩父往還を走るルートだった。
今回はR246で丹沢山塊の南側を走るルートで日本橋を通過した。
次回は、富士山の北を回って富士吉田からR20に入り、相模湖と高尾山麓を経由してみよう。
こんなことを考えられるのも多分、時間的な余裕のあるセカンドライフの「キャンピングカーの旅」ならではことなのだろう。
【本日の走行距離】173km