小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
静岡のとみちゃん
静岡のとみちゃん
novelistID. 69613
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

悠々日和キャンピングカーの旅:⑨東北太平洋岸(茨城~岩手)

INDEX|5ページ/38ページ|

次のページ前のページ
 

■2月23日(2日目):箱根 ⇒ 越谷(埼玉県)

 
【この日の概要】 「芦ノ湖」の湖岸からの景色を眺めた後に「箱根神社」でこの旅の無事を祈願して向かった先は「大涌谷」。そこには「富士山」の絶景が待っていた。箱根観光の「ゴールデンコース」はタッチせず、いつか妻と楽しむことにした。その後はR246で大都会東京をおのぼりさん気分で通過、埼玉県越谷の娘宅に無事に到着、孫が待っていた。

【この日のポイント】 大都会東京はクルマが多く、人も多く、その全てが速く動いている。知っている地名が至る所にあり、六本木ヒルズ、渋谷交差点、国会議事堂、皇居、東京駅など、など、などを見ながら走ったが、他のキャンピングカーを見ることもなく、“大都会にはキャンピングカーは似合わない”と感じた。

【本文】 早朝、朝陽で駒ヶ岳が浮かび上がっていた。昨夜の強い風は止んでいて、今日も晴れ渡った良い天気だ。
 その気持ち良さが私をそうさせたのか、フレンチトーストを初めて作ってみようと思い立った。確か、牛乳に卵や砂糖を入れて・・・、しっとり感を通り過ぎ、ビチョビチョにはなったが、味は良し。まずく作る方が難しいのだろう。そして、ウインナーを炒めて、コーヒーを飲んだ。
 昨日決めたルートで、さあ出発だ。

 道の駅から少し下れば芦ノ湖畔、そこは箱根駅伝の往路のゴール地点で、その奥の駐車場に「ジル」を停めた。
 ひんやりとした空気で気持ちの良い朝の湖岸だ。湖面に大きな富士山が映る景色を期待していたが、意外にも、富士山は山頂しか見えない。箱根山の外輪山が高いためだ。
 海賊船を模した2隻の遊覧船が着岸しており、早朝の今、乗船客はまだ見当たらない。箱根駅伝ミュージアムもまだ開館していなかったので、湖岸をゆっくりと散策するしかなかった。

 駅伝ランナーと同じように、復路のスタート地点から左折してR1に入った。箱根関所跡を通り過ぎ、その先で、湖の東岸の道路に入り、箱根神社の駐車場に入った。そこの係員から、キャンピングカーは大きいから、奥まったスペースに駐車するように指示された。
 先ずは手を清めようと手水舎(ちょうずや)に行くと、コロナ禍の今、柄杓(ひしゃく)はなく、流水に手をかざすようになっていた。石段を登り切った本殿の前には、朝早いため、参拝者は私ひとり。鳥の鳴き声と本殿の横の玉砂利を掃く音のみの静かな雰囲気だった。
 交通安全・心願成就・開運厄除にご利益があるとのことで、この旅には“持ってこいの参拝”になった。

 その隣には「九頭龍神社(くずりゅうじんじゃ)」の新宮があった。ずらっと並ぶ龍の姿は、数は多いが「宇宙超怪獣キングギドラ」を彷彿とさせ、その口からは「龍神水」が湧き出ていた。ここでも、旅の安全を願った。

 両神社からの石段を下った先の湖岸には、道の駅からくっきりと見えた赤い「平和の鳥居」が建っていた。ところが、「コロナ禍の三密防止のため入場禁止」の看板があり、今は私ひとりで「三密」にはならないのだが、大人の理解をして、そこには入らず。ちなみに、この鳥居の額字の「平和」は元内閣総理大臣の吉田茂の揮毫だ。

 神社を後に、芦ノ湖の湖岸道路を北上した。駒ヶ岳ロープウェーの山麓駅やその先の複合型リゾート「箱根園」あたりから、別荘地を見ながら少し上った先の県道に入り、間もなく、芦ノ湖の北側の船着き場に到着。ここでもまだ、観光客の姿は見当たらなかった。
 そこから大涌谷(おおわくだに)までの急勾配の上り坂が始まり、小さなホテルが点在する山の斜面をジグザグに上った。登山ならば、つづら折りの胸突き八丁の登り坂で、駒ヶ岳の北斜面の中腹の標高約1000mの大涌谷に到着した。

 雲ひとつない快晴の下、5合目まで雪で覆われた富士山が鮮明に見え、時折、山麓での自衛隊の演習なのか、ドーンと響く音が聞こえる。それも含めて、ここからの景色なのだろう。
 駐車場は満車に近く、多くの観光客で賑わっていた。その近くに、自然研究路という噴煙地への道の入口があったが、火山ガス警戒のため、当分の間は通行できないとの表示が出ていた。そこから見える噴気地帯には多数の噴気孔があり、あちらこちらから噴気が激しく吹き出していた。

 ここの「黒玉子」は“1個食べると7年寿命が延びる”ということで有名だ。
 生卵を源泉で茹でると、温泉の鉄分が気孔の多い卵の殻に付着し、これに硫化水素が反応して硫化鉄の黒色になるとのことだ。
 かつて、「温泉の掘削」の取材で大涌谷まで来たことがあり、その時に黒玉子を3つ食べた。既に私の寿命は21年もプラスされているはずなので、「キャンピングカーの旅」をいつまでも、いつまでも、続けられるはずだ。それには、頭も含め、要は健康寿命が大切なため、ウォーキングを毎日やっている。しかし、旅の間はおやすみだ。

 箱根観光には「ゴールデンコース」がある。
 芦ノ湖の南岸の箱根町(箱根駅伝折り返し地点)から箱根湯本までを海賊船、ロープウェー、ケーブルカー、最後は登山電車で下るコースで、それらに乗るだけでも風景を楽しむことができて、乗り換えるポイントや途中で下車すれば、多くの観光ポイントや温泉を回ることができる。
 今回は「ひとり旅」なので、ひとりで楽しんでも、面白さや価値は半減しそうなので、自宅から少し足を延ばせば来られる場所のため、いつか妻や家族と一緒に来ることに決め、今回は箱根の要所を「ジル」で走って見て回ることのみにした。

 大涌谷からR1まではカーブの多い急な下り坂が続き、エンジンブレーキを掛けた上に、フットブレーキを多用した。途中で、大涌谷から流れ出る谷川を横切ったが、停車して確認はしなかったが、湯けむりが上がっていたように見えた。R1に出てから、強羅に曲がる交差点を通過した先で、箱根登山鉄道の踏切で止まった。暫く待っている間、踏切近くに「撮り鉄」の男性がいて、小涌谷駅を発車する電車の写真を撮ろうしていた。それがトリガーになり、私の鉄道に関連する歴史が蘇えった。

 中学生の頃、私は「撮り鉄」だった。自転車で2時間以上走った山間を走る大正生まれの9600型のSLが牽引する貨物列車やC11が牽引する客車の写真を撮っていた。
 その一方、工作が好きだった私は、戦車のプラモデルのギヤボックスを再利用して、SL風な機関車を製作し、木工で客車を作り、自宅の庭に敷いたレールを走らせていた。これは何鉄と呼ぶのだろうか? しかし、カーブで、数回に1回は脱線していた。ちょうどその頃、実際の機関車がカーブで曲がる理屈を知ったが、作った機関車の車輪の構造が違うため、結局、問題解消には至らなかった。
 高校生になって以降、「撮り鉄」の趣味は希薄になった。

 定年退職した会社では、仕事とは別に技術会の会報誌編集委員会のメンバーとして、取材して記事を書いていた。執筆した二十数本の記事のひとつに、鉄道模型の「KATO(株式会社関水金属)」の記事がある。その時は、取材のみならず、関連する図書で詳細を調べ、ネットで情報検索している内に、メラメラと鉄道ファンだった自分が戻ってきて、今度は「書き鉄」になっていた。