悠々日和キャンピングカーの旅:⑨東北太平洋岸(茨城~岩手)
※ タイトルの「悠々日和」は「のんびり」の当て字
定年退職後の2回目の「キャンピングカーの旅」は“初の2週間越えの長旅”になった。
その紀行文を、これまでのものと同様なスタイルで書いてしまったため、かなりの長文になってしまった。そこで、以下に「目次」を設けた。さらに、日毎の紀行文には、「この日の概要」と「この日のポイント」も設けてみた。
・旅の行き先と準備
・1日目:自宅 ⇒ 箱根(神奈川県)
・2日目:箱根 ⇒ 越谷(埼玉県)
・3日目:越谷
・4日目:越谷 ⇒ 手賀沼(千葉県)
・5日目:手賀沼 ⇒ 大洗(茨城県)
・6日目:大洗 ⇒ 高戸前浜海岸(茨城県)
・7日目:高戸前浜海岸 ⇒ 南相馬(福島県)
・8日目:南相馬 ⇒ 石巻(宮城県)
・9日目:石巻 ⇒ 登米(宮城県)
・10日目:登米 ⇒ 三陸(岩手県大船渡市)
・11日目:三陸 ⇒ 陸前高田(岩手県)
・12日目:陸前高田 ⇒ 伊達郡国見町(福島県)
・13日目:伊達郡国見町 ⇒ 那須高原(栃木県)
・14日目:那須高原 ⇒ 越谷(埼玉県)
・15日目:VANTECH社を訪問(埼玉県所沢市)
・16日目:越谷 ⇒ 自宅(静岡県)
・エピローグ
そして、旅の概要は次のとおりだ。
静岡県の西部の自宅から箱根を越えて、大都会東京を通過して、埼玉県在住の娘家族と会い、千葉県に住むパラモーター仲間と再会した後は、東北に向けて太平洋岸を北上。その時に、「東日本大震災」の津波の痕跡を見たことがトリガーになり、その復興状況を見て回る旅になった。
10年前の「東日本大震災」の直後に取材したコミュニティFMのパーソナリティの方と再会し、彼女への旅の話はいつの間にか復興状況を見た感想になってしまい、その内容が、彼女の番組で放送されることになってしまった。
帰路は、以前から行きたかった那須高原に寄り、48℃の熱過ぎる温泉に浸かったことは貴重な体験になった。そして、私のキャンピングカーのジル(以後、「ジル」)の故郷のVANTECH社に立ち寄った。
妻はまだ働いているので、今回もひとり旅だ。それゆえ、妻との旅ならば決して行かない“私だけが興味を持つような特異な場所”にも行くことができ、のんびりと車窓風景を楽しみながら、下道を走る毎日だった。
順調な旅ではあったが、「ジル」の弱点が分かったり、不足しているものに気付いたりで、それなりに工夫をしながらの旅でもあった。
そして、今回の旅の“最も強烈に残った記憶”は次の光景だった。
見上げる校舎の、津波が到達した高さは4階の床から25cm、驚く高さだった。その痕跡は10年経った今でも消えることはなく、その校舎はそのまま「震災遺構」になっていた。
津波が校舎を襲った時、次第に水嵩が増し、逃げ惑う生徒たちが上の階に上がり、繰り返し押し寄せる津波に、更に上の階へ。最後は屋上にまで上り、全員が命を落とさずに済んだ。(宮城県気仙沼市)
定年退職後の2回目の「キャンピングカーの旅」は“初の2週間越えの長旅”になった。
その紀行文を、これまでのものと同様なスタイルで書いてしまったため、かなりの長文になってしまった。そこで、以下に「目次」を設けた。さらに、日毎の紀行文には、「この日の概要」と「この日のポイント」も設けてみた。
・旅の行き先と準備
・1日目:自宅 ⇒ 箱根(神奈川県)
・2日目:箱根 ⇒ 越谷(埼玉県)
・3日目:越谷
・4日目:越谷 ⇒ 手賀沼(千葉県)
・5日目:手賀沼 ⇒ 大洗(茨城県)
・6日目:大洗 ⇒ 高戸前浜海岸(茨城県)
・7日目:高戸前浜海岸 ⇒ 南相馬(福島県)
・8日目:南相馬 ⇒ 石巻(宮城県)
・9日目:石巻 ⇒ 登米(宮城県)
・10日目:登米 ⇒ 三陸(岩手県大船渡市)
・11日目:三陸 ⇒ 陸前高田(岩手県)
・12日目:陸前高田 ⇒ 伊達郡国見町(福島県)
・13日目:伊達郡国見町 ⇒ 那須高原(栃木県)
・14日目:那須高原 ⇒ 越谷(埼玉県)
・15日目:VANTECH社を訪問(埼玉県所沢市)
・16日目:越谷 ⇒ 自宅(静岡県)
・エピローグ
そして、旅の概要は次のとおりだ。
静岡県の西部の自宅から箱根を越えて、大都会東京を通過して、埼玉県在住の娘家族と会い、千葉県に住むパラモーター仲間と再会した後は、東北に向けて太平洋岸を北上。その時に、「東日本大震災」の津波の痕跡を見たことがトリガーになり、その復興状況を見て回る旅になった。
10年前の「東日本大震災」の直後に取材したコミュニティFMのパーソナリティの方と再会し、彼女への旅の話はいつの間にか復興状況を見た感想になってしまい、その内容が、彼女の番組で放送されることになってしまった。
帰路は、以前から行きたかった那須高原に寄り、48℃の熱過ぎる温泉に浸かったことは貴重な体験になった。そして、私のキャンピングカーのジル(以後、「ジル」)の故郷のVANTECH社に立ち寄った。
妻はまだ働いているので、今回もひとり旅だ。それゆえ、妻との旅ならば決して行かない“私だけが興味を持つような特異な場所”にも行くことができ、のんびりと車窓風景を楽しみながら、下道を走る毎日だった。
順調な旅ではあったが、「ジル」の弱点が分かったり、不足しているものに気付いたりで、それなりに工夫をしながらの旅でもあった。
そして、今回の旅の“最も強烈に残った記憶”は次の光景だった。
見上げる校舎の、津波が到達した高さは4階の床から25cm、驚く高さだった。その痕跡は10年経った今でも消えることはなく、その校舎はそのまま「震災遺構」になっていた。
津波が校舎を襲った時、次第に水嵩が増し、逃げ惑う生徒たちが上の階に上がり、繰り返し押し寄せる津波に、更に上の階へ。最後は屋上にまで上り、全員が命を落とさずに済んだ。(宮城県気仙沼市)