Duds
おれは杉野のケータイを操作して、メッセージアプリを開いた。一番上に『高柳』と出ている。タカ、健さん、呼び名など、この際どうでもいい。おれは本文に目を通した。
『とりあえず、こっちの用事は済んだ。ありがとな。ちょっとええ話あるから、会わんか? コマツを迎えに寄越すわ』
読み終えるのと同時に、気を失っている杉野の横顔を見た。本当に、何も知らなかったのだろう。おそらく、これから何かを頼まれるか、もしくは一緒にやることになっていたか。例えば、安田に指輪を買い戻させるとか。それか、台座から抜いたダイヤを捌いたり。
おれは杉野の財布をポケットから抜いて、中身を確かめながら谷川に言った。
「杉野がよく待ち合わせに使う場所とか、ない?」
谷川はドアのしなだれかかった杉野の体を見ながら、小さく息をついた。
「そうやなあ、ゴルフと釣り好きやから、釣り道具の店とかにはよう行きよるけど」
この時間なら、あり得るかもしれない。カントリークラブの会員証とくっつきかけているが、釣具店のスタンプカードが入っていた。指定するなら、ここが一番近い。おれはそれまでの杉野の文体を真似て返信を打った。
『今ねー、釣り餌ショッピングしてますわ。南野台店です』
送信すると、すぐにタカからの返信が届いた。
『好きやのー、三十分ぐらいで行きよるわ』
「どうするん」
谷川が言った。おれは杉野のケータイがロックされないようにナビの画面に切り替えてから、スタンプカードの住所を自分のケータイに登録した。返事をしていないことに気づいて、谷川の方に顔を上げて答えた。
「殺す」
「は? 文字通り?」
おれはうなずいた。その先を想像すると、いくらでもやり方が浮かんで、体が動かなくなりそうだった。おれの人生は関係ない。寒川と肩を並べて話していたのが、何年も前のことに感じる。そして頭の中には、もっと大きな問題が居座っている。
コマツもタカも、全員殺してやる。あいつらはよりによって、仲間の家から盗んだ。それも、よりによって、フジの家から。おれが黙っていないことを分かっていたからこそ、事前に厄介払いしたんだろう。
「ここで待っててくれ。この車で絶対帰ってくるから」
おれが言うと、谷川は小さく唸りながら運転席から降りると、助手席のドアを開けて杉野を引きずり出した。おれは後部座席から降りて財布を杉野のポケットに戻すと、駐車場を見回した。谷川は杉野のベルトに取り付けられたケースから鍵を取り出すと、キーレスを操作してレクサスRX450hの鍵を開けた。
「成金やな」
おれが言うと、谷川はうなずきながら後部座席のドアを開いた。二人で杉野の体を抱え押し込み、谷川は自分の車のようにレクサスに寄りかかると、口角を上げて笑った。
「よう分からんけど、頑張れよ」
おれはうなずいて、運転席に座った。ナビを見る限り、ちょうどコマツが合流する辺りで、釣具店に着ける。おれはローダウンしすぎて目線が低いゼロクラを駐車場から出して、アクセルを踏み込んだ。途中、島田が働いているのと同じチェーンのガソリンスタンドに寄って、そこで財布がとんでもなく軽いことに気づいた。バーで払った四千円が効いて、すっからかんだ。ガソリン残量を示す警告ランプは点きっぱなしになっている。途中でガス欠になったら、そこで終わりだ。アイドリングさせたまま考えていると、窓がコンコンと鳴った。おれが窓を下ろして顔を向けると、店員が言った。
「お、カミやん?」
ガソリンスタンドのロゴが入ったキャップを被っているが、よく見たら島田だった。おれは島田の顔以外にヒントを探して、辺りを見回した。
「ここでバイトしてんの?」
「いや、先週からヘルプで来てる。偶然やな。てかこのクラウン何? めっちゃいかついやん」
「せやろ、行くわ」
おれが発進しようとすると、島田は窓枠を掴みながら呆れたように笑った。
「なんでやねん、ほな何しに入ってきたんよ」
おれがゼロクラを停めると、島田は警告灯がついているメーターパネルを見ながら言った。
「カミやん、例のステーキハウス」
「妹の店?」
「そう。近々行かん?」
島田はそう言うと、オレンジに光る警告灯をちらりと見た。おれは島田の目を見て、うなずいた。
「行こう」
島田はキャップに手をかけてうなずき、自分の財布から五千円札を抜いた。
「ハイオク入りまーす」
警告灯が消えたゼロクラで、おれは再び走り始めた。この恩は、ステーキを奢るぐらいではおあいこにならない。店の値段を思い出しながら国道を走らせて、釣具店の裏でゼロクラを停めて待っていると、テキ屋のバイトで見覚えのあるベージュのデリカがハザードを焚いて停まるのが見えた。タカが別の業者に貸している車だ。運転席にはコマツが座っている。おれはエンジンを停めると、警棒を左手に持ってゼロクラから降りた。デリカの運転席を後ろから見て、気づいた。コマツは頭を抱えていて、片手にケータイを持っている。ポケットの中でケータイが震えて、おれは着信の画面を見て、それがコマツだと気づいた。目の前で、おれに電話をかけている。通話ボタンを押すと、おれは小声で言った。
「どうした」
「あいつ、マジで頭おかしい」
コマツが誰のことを指しているかは、何も言わなくても分かった。おれは言った。
「タカのことか?」
「カミやん、ヤバいことになってんねん。あいつな……」
タカはコマツを引き入れてフジの家を荒らし、指輪を盗んだ。コマツの役割は、杉野を迎えに行って、タカのところまで連れて帰ることだ。
「あいつ、フジの指輪をパクったんや。それはあかんよな?」
「せやな」
つい数日前まで聞いていたコマツの声も、どことなく懐かしく感じる。バラバラになっていたパズルのピースが、元の場所を探してうろついているような感覚。コマツは言った。
「どうしてええか分からんくて、指輪を持って来てもうた。どないしたらええねん」
おれは上着のポケットに警棒を押し込むと、通話が繋がったまま運転席の窓をコツコツと叩いた。コマツは飛び上がってケータイを落とし、窓を下ろした。
「あれ? 電話は?」
やはりコマツは、昔からの仲間だった。おれは言った。
「話してる時間がない。指輪は、お前が持ってるんか?」
コマツはうなずくと、ポケットから台座が少し掠れたダイヤの指輪を取り出した。
「タカが気づいたら、取り返しに来る」
ずっと顔色が悪かったのは、タカから仕事の内容を聞かされていたからだろう。これが起きる前に相談されていたとしても、どう答えられたかは分からない。何も言えなかったかもしれないし、冗談だと思ったかも。
「あいつは、どこにおんねん」
おれが言うと、コマツはデリカのハンドルを持ったまま後ろを振り返った。
「トラックターミナルにいてる。業務スーパーの向かいのとこや」
防犯カメラのない、真っ暗な駐車場。いかにも、筋金入りの犯罪者が選びそうな場所だ。おれはうなずくと、言った。
「その指輪、預かってもいいか?」
コマツはうなずくと、おれにフジの指輪を差し出した。できるだけ指紋をつけないようにしながらポケットに入れたとき、コマツは言った。
「フジに返すよな?」