Duds
「せやな、その前にやることがある。また、明日話そう」
おれはデリカの荷室からグレーのダクトテープを手に取ると、ゼロクラに戻った。トラックターミナルに向かうバイパスに乗り、継ぎ目を踏むたびに飛び跳ねるゼロクラの運転席で考えた。コマツは、タカから指輪を抜き取った。今までの力関係から考えれば、あり得ないことだ。コマツにそれだけの覚悟があるのなら、おれも負けていられない。殺してやると短い言葉で締めくくっていたが、今になって、様々な選択肢が浮かんでいた。ヘッドライトを消してトラックターミナルの中へ入ると、コンテナの裏にアウディが停まっているのが見えた。
中には、誰も乗っていない。タカが住宅街側のコンビニから帰ってきたのが見えて、おれは警棒とダクトテープを持ち、できるだけ静かに運転席から降りた。アウディのキーレスが電子音を鳴らしたとき、おれは真後ろからタカの頭に警棒を振り下ろした。タカは前につんのめってアウディの車体にぶつかり、おれは間髪入れずに二発目を頭に振り下ろした。杉野と同じように、気絶したタカは地面にうつぶせに倒れた。おれはダクトテープで目隠しをすると、両手と両足を縛った。クラウンを持って来てトランクに積み込むだけで、汗だくになった。
誰も取り残したくないし、今のおれがもっとやりたいことは、タカ以外の人間を元の場所に戻すことだ。ばらばらになったパズルのピースを、タカ抜きで復元する。おれはナナミのケータイを鳴らした。
「もしもーし、バーってどこにあるん?」
「もう、そこにはいてない」
おれが言うと、ナナミは甲高い口笛を吹いた。
「じゃあ、どこー?」
おれはナナミのアパートに向かう道を進みながら、言った。
「道路。今、時間あるか?」
「うん、時間だけはある」
ナナミは伸びをしながら話しているように、間延びした口調で言った。
「さっき、コマツと会った。明日帰ってくる。ほな、後で」
おれはそう言って、電話を切った。信号待ちで足止めを食らっている間、考えた。コマツの行動を勝手に決めてしまったが、保証はない。今までなら口に出す前に考えたが、今日は先に言葉が出ていた。違うとすれば、島田の車の助手席で何度も見てきた景色が、運転席から見えているということ。ハンドルを握るだけでこれだけ見え方が変わるとは、思っていなかった。
アパートの前でナナミを呼ぶと、くちばしを鳴らすみたいな足音が聞こえてきたが、ゼロクラを見て顔をしかめ、後ずさった。おれが運転席から降りると、目を丸く開いて、小走りで近づいてきながら言った。
「へーえ、白い車。買ったん?」
「おれのじゃない、ちょっとドライブ行くか」
「行く。やばー、ヤンキーの車やー」
ナナミは助手席に乗り込むと、室内灯をつけながらサンバイザーを下ろして、内側の鏡に目を凝らせた。おれは運転席に乗り込んで、島田がローレルでよく走る展望台までの山道に向けて、ゼロクラを走らせた。高架道路に合流してアクセルを踏み込んだとき、ナナミが遠くに乱立するラブホテルのネオンサインを見ながら言った。
「めっちゃ明るい。派手過ぎてえぐいな。ちょっと胸焼けまである」
「ライトに集まっとる虫は、いずれ熱で焼け死ぬらしいな。でも、習性でしゃあなしに集まるんやって」
おれが言うと、ナナミは小さな拍手をした。
「へー、物知り。なんで?」
「今、理由を言うたやろ」
おれは山道に続くT字路を曲がりながら、ナナミの横顔を見た。どこにでもついていく素振りを見せているが、その目は道路の目印を忙しなく追っている。目の前で何が起きても気にしないような振りをしているが、実際にはそうでもないのかもしれない。
「これって、夜景スポットの道?」
「せやな、そこまでは行かんけど」
おれが向かっているのは、山の中腹にある赤い欄干の橋だ。島田はいつも、橋のはるか手前から車体を真横に向ける。S字コーナーを抜けたとき、おれは言った。
「着いた」
ナナミが髪を指に引っかけながら真っ暗な周りを見回し始めたとき、おれは欄干の傍にゼロクラを停めた。
「降りよう」
おれが降りると、ナナミは瞬きを繰り返しながら助手席から降りた。
「声出すなよ」
念を押してから、おれはトランクを開けた。ナナミは息を呑んだが、声は出さなかった。タカは意識を取り戻していて、目隠しされたまま見回した。おれは両足のテープを切ると、何も言わずにトランクから引きずり出した。足で地面を探っている姿を見ていると、それだけでも十分滑稽だ。やがて立ち上がることを覚えたタカは、アスファルトの上に立っていることを理解したらしく、足を動かそうとした。おれはその首を捕まえて、体を橋の入口に押し付けた。石段になっていることに気づいたタカは恐る恐る登り、吹き込んだ風に肩をすくめた。タカがその先へ落ちないように、おれはベルトのバックルを掴んだ。自分が置かれている状況を理解したタカは、言った。
「おい、誰や……、なんやねんこれ」
おれは何も言わなかった。ナナミは抽選会を見守るように、タカの背中をじっと見ている。
「鹿島? お前か?」
タカが勘を試すように、おれの知らない名前を口に出した。ナナミと顔を見合わせていると、タカは続けた。
「竹川? 待てや、誰やねんお前。江崎じゃないよな?」
おれが黙っていると、タカは辺りを見回しながら大きなくしゃみをした。その様子を見ていると、こういうことをやられ慣れているのではないかという気もしてくる。おれはケータイを取り出してタカの後ろ姿に向けると、録画ボタンを押した。ケータイの音にすら肩をすくめたタカは、沈黙に耐えきれなくなったように呟いた。
「おい……、何撮ってんねん。黙ってんなよ」
おれは返事の代わりに、橋の欄干を蹴った。鐘のような反響音が山に響き、ナナミがひゅっと息を吸ったのが分かった。
「やめろ! やめろ! マサヤとレミか? あれはホンマに、俺は関係ないねん」
知らない名前が、次々に飛び出してくる。おれ達が知らない世界の話。夜空に目が慣れて空に星が浮かび上がり始めたとき、ふと思った。今飛び出した名前の中で、タカはどういう立ち位置なのかと。ナナミはおれとタカの両方を応援するみたいに、胸の前で手を組んでいる。やがて、タカは最悪の結論に達したように、バランスを保ちながら肩をすくめた。
「……、寺田さん? え、これはないっすよね? こんなヤンキーみたいな。だってまだまだ先でしょ?」
どうやら、タカには寺田という名前のボスがいるらしい。ナナミは完全に話に取り残されていることを察したのか、空を見上げた。タカは呟くように言った。
「すみません、アテはあるんです」
なるほど、借金だ。おれはその情けなさに歯を食いしばった。おれ達は、随分無駄な時間を費やしてきた。特にフジは。もう、その必要はない。
なぜなら、こいつには怖がっている人間がこんなにいる。
「ないぞ」