Duds
「先輩からもらったゼロクラがある。あれのガソリン代が高すぎて、常に金欠やねん」
車に金がかかるのは、よくわかる。島田もバイト漬けだ。おれは少しだけ間合いを空けながら、言った。
「安田を見つけるとこまで、付き合えるか?」
谷川はぽっかりと空いた間合いをじっと見つめていた。タカから解放されたコマツは、よくこんな顔をしていた。おれも例外じゃないだろう。縁さえ切れたら、まともになる糸口ができる。かといって、今更まともになったところで大した人生は待ち受けていないだろうが。谷川の口元がきつく引き締まり、もじゃもじゃ頭がゆっくりとうなずいた。その表情を見る限り、杉野の『単発バイト』に対して、相当キレている。
「分かった」
谷川はようやく立ち上がる権利を得たようにゴミ箱から腰を上げると、服に着いた埃を払った。
「今から、杉野のとこに案内できるか?」
おれが言うと、原付を電柱に立てかけた谷川はうなずいた。今日その顔を見て、殴り倒すぐらいはしてやりたい。谷川が原付を押し始め、おれはその後ろをついて歩いた。繁華街から少し離れただけで、街灯がまばらな道路がまっすぐ伸びている。コンビニが宇宙船のように遠くで光っていて、その手前に二階建てのアパートが数軒建っているのが見えた。
「静かやな」
おれが言うと、谷川は原付を押しながら背中を揺すって笑った。
「ヒマやぞ。住んでみたいか?」
おれは谷川の背中に向かって小さくうなずいた。明かりが点いた窓の数だけ、その中に家族がいる。おれが住んでいた家は、外から見れば真っ暗だっただろう。母親はカーテンを閉め切っていたし、父親は出張でほとんど家にいなかった。三人が揃った最後の思い出は、小学校高学年のときだ。何かの記念だったのか、豪華な食事が並んでいたのは覚えている。結局夫婦喧嘩になって、うんざりしながらそっと食卓から離れたことも。
「実家か?」
「んなわけないやろ」
谷川はそう言って、アパートの一階に原付を停めた。駐車場の端に停められたパールホワイトのゼロクラウンを開錠すると、言った。
「ガソリンあんまないねん。入れていいか?」
「おれが指定したスタンドやったら、ええよ」
おれが言うと谷川はうなずいて運転席に座り、おれは警棒を持ったまま後部座席に乗り込んだ。意外そうな表情で振り返った谷川に、言った。
「ケータイ、見えるとこに置けるか」
谷川はセンターコンソールの上にケータイを出して、エンジンをかけた。おれはポケットの中でずっと震えているケータイを取り出すと、割れた液晶画面に目を向けた。メッセージはコマツからで、『どこにいてる?』。それは、こっちのセリフだ。おれは『お前こそ、タカとどこでイチャついてんねん』と返信した。コマツの返信は、『家か?』。
いつもの冗談が通じない。やはりコマツの態度はおかしい。
『タカさんの頼まれごとで、安田が出てきそうなところを探してる。また明日頑張るわ』
おれが返信を送ったとき、着信が割り込んだ。割れた画面を横断するように大きな『藤原』の文字が現れて、おれは通話ボタンを押した。
「テツヤ、急にごめんなあ」
調子外れな声。裸足で歩き回っているような、どすどすと鳴る音。おれは言った。
「いえ、大丈夫です。どないしたんですか?」
「ちゃうねん、なんかな……。おれ、空き巣に入られたかもしれん」
フジの家は物が多い。だから空き巣に入られたと言うこと自体が『かもしれない』になる。おれは空いている方の手で頭を抱えた。おれが遠くに離れているタイミングで、どうしてこんなことになる?
「それは、実際にやられたかよく分からんのですか?」
「多分やけど、置いてた物の場所が入れ替わっとる気がするねん」
かもしれない。多分。気がする。今すぐ、自分の目で見たい。おれは歯ぎしりをしないように堪えながら、言った。
「パッと見て、絶対あるはずやのにない物とか?」
「ハイエースの鍵はある。プロパンとか鉄板も無事や」
フジは同業者を疑っているのかもしれないが、それならハイエースをそのまま持って行くだろう。防犯アラームもないし、古い車だからエンジンをかけるのも簡単だ。フジはぶつぶつと呟いていたが、電話に向かっては言いたくないように小声だった。おれは言った。
「警察、呼びました?」
「これから呼ぶつもりや。あー、通帳とかはあるな……。棚を全部開けていっとる」
フジはひと通り実況見分を終えたのか、小さくため息をついた。おれは今までにずっとしていた嫌な予感が今になって当たった気がして、言った。
「フジさん。指輪は?」
「いや、それがな。どっかにあると思うんやけど」
そこで楽観的になるのは、あまりに無理筋すぎる。でも、ないことを認めたら終わりだとも思うし、ギリギリまでそれを否定したいフジの気持ちも分かる。おれは谷川の後頭部を見つめながら、情報を整理した。タカは、杉野からあの指輪が『偽物』だと聞いた。そしておれに、安田を探せと言った。目的は単純で、フジを騙した安田にお灸を据えるためだ。杉野はトンチンカンな情報をタカに回して、それに従って現れたおれを谷川に襲わせた。『偽物』というのは、そもそも本当の情報なのか?
「谷川、お前ひとりしか雇われてないって、言ってたよな?」
ケータイのマイクを押さえながらおれが言うと、谷川はうなずいた。
「俺の仲間内ではそうやけど、他は知らんで。杉野は結構、顔広いから」
谷川が言い終えるのと同時に、おれはフジとの会話に戻った。
「すんません、ちょっと今用事でその辺にいなくて……」
「そうか、かめへんよ。ごめんな急に電話して。ないな、あー。ほんまにないか。どうせ偽物やしな、まあええんかな……。ちょっと、警察に電話するから切るわ」
悲鳴のような独り言が途切れて通話が終わり、おれは歯を食いしばった。フジの言葉を聞いていると、ますますタカの掴まされた『偽物』という言葉が重みを増してくる。フジを諦めさせるための方便で、実際には本物じゃないのか?
「杉野に電話しろ。スピーカーにせえよ」
おれは今まで通りの口調で話したつもりだったが、谷川は思わず振り向いた。
「オッケー……」
手が動くままに、この谷川も杉野も、どこにいるか分からない安田って奴も、全員木っ端みじんにしてやりたい。おれは、谷川がケータイを操作するのをじっと見つめながら、拳を固めた。通話が始まってスピーカーに切り替わり、谷川は言った。
「谷川ですー」
これが、杉野と谷川の挨拶なのだろう。杉野は静かだったが、通話越しにドアを閉めたような音が鳴り、雑音が消えた。
「おー、どないや? 片付いたか?」
「はい。証明するものがないですけど」
「顔は見たか?」
杉野の言葉に、谷川はおれの方をちらりと見た。
「はい」
「ほんまか。それでええわ」
杉野の言葉に、谷川は顔をしかめた。
「シバくんやないんですか?」
「そーれーは、オプション。お前、全然俺の話聞いてないな。おることを確認するだけやぞ」
杉野はからっとした口調で言い切ると、咳ばらいをして切り替えた。
「まあええわ。打ちっぱなしから帰るとこやけど、取りに来るか?」
「はい、伺います」