Duds
「お疲れさまです」
「水くさいのー、どないした? 用事でもあんのかいな?」
「健さん、お疲れさまです。流れに合わせてました、迷惑になってもあれなんで」
フジが顔を引きながら言うと、タカは車体全体を揺するように顔を突っ込んだまま笑った。
「流れてなんや? だーれもおらんがな」
ハイゼットの中尾はすでにいない。さっきのブチ切れクラクションは、中尾が無理やり合流したときに鳴らされたやつかもしれない。とにかく、おれ達がドンケツだ。フジは前に目を戻して、わざとらしく目を見開いた。
「あらっ」
「ポンカンか自分。ふらーって帰るし、前は見えてないし。どないなっとんねん? テツ、お前が目になっとかなあかんやろがい」
おれのことをテツと呼ぶのはタカだけで、この呼び名が大嫌いだ。おれがうなずくと、タカは自分の両目を二本の指で指差した。いつもの流れだ。おれがそれを真似て人差し指を自分の目に向けると、タカは手をぱっと差し出す振りをして笑った。
「ほら見てみい。ボーッとしとったら目いかれんぞ、ははは」
おれは愛想笑いを浮かべながら頭を下げた。タカは、いやいや巻き付いているみたいな腕時計をちらりと見て、言った。
「自分ら予定あんの? 一杯いくか」
タカの言う『一杯』は、だいたい十五杯だ。おれが手に持っているケータイを見て、タカはにやにや笑いを始めた。
「テツ、予定あんのか?」
「コマツから声はかかってますけど」
タカの視界から逸れているフジが、顔を曇らせた。おれもそうしたいが、タカと目が合っているから愛想笑いをするしかない。タカはコマツのことが大好きだ。コマツの彼女のナナミもセットで、好きすぎるぐらいだ。ナナミは十九歳で、死にかけのケータイを充電させてやるだけで命を救ったみたいに感謝される。みんなに愛されたすぎて、誰からも本気にされていない。コマツは結婚したいみたいだが、ナナミからすれば『け』の予測変換に出てくる四文字の言葉で、大した意味はないだろう。
「コマツかー、呼んだれ呼んだれ。みんな呼べや。ごちゃ混ぜや」
「場所とかどうします?」
「住所送ったるわ、お前らしか残ってないぞ、はよ帰らんかい」
運転席から顔を抜いて、タカはハイエースの車体をばんばんと叩いた。フジが慌ててクラッチを繋いだとき、おれが最後に差し込んだノボリが席の間に顔を出した。窓を上げながら、フジは言った。
「窓は、早めに上げとかなあかんね」
そういう問題じゃないだろうとは思ったが、おれはうなずきながら笑った。
「あの勢いやったら、窓割って突っ込んできますよ」
「ほんまやな、それはあかんか。テツヤ、予定あったんちゃうの?」
「一緒くたでいいです。てか、いいんすか? コマツ嫌いでしょ?」
「そんなこと、よう言わんわ。コマツくんには、いつも助けられとるよ」
フジは気を遣っているが、苦手な相手なのは間違いない。コマツはウザ絡みの帝王だ。特にフジに対しては、色々と言いやすいのだろう。おれと同じぐらいの背丈で、横幅が少しだけ大きい。
国道に合流してすぐに、おれはコマツに『ナナミも呼べよ』と送った。返信は『タカ飲み?』。さすが、勘がいい。ナナミはタカに会いたがらないだろうが、その辺はコマツが上手く処理するだろう。こういうときは車が要る。おれの交遊関係の中では唯一の大学生で、未来がある人間。自動車部の島田。下戸で頭が良く、ナナミの前では緊張して上手くしゃべれない。島田は、三年前にハイエースが国道で故障したときに駆け込んだガソリンスタンドの店員で、修理の待ち時間に話し込んで仲良くなった。
『ちょっと、メシいかん?』
結局、フルメンバーだ。五十八歳の小男、四十三歳の元ヤクザ、二十二歳のフリーター二人と大学四回生に、十九歳のナナミ。肩書が思いつかない。ナナミはあくまでナナミだ。
「ナナミに、可愛いって言われてましたよ」
おれが言うと、フジは苦笑いを浮かべた。
「ええ年したおっさんを、からかうもんやない」
苦笑いの中に、ある程度本当の笑顔がある。ええ年したおっさんは、その辺をコーティングするのが上手い。フジは下手な部類に入る。おれは思わず笑いながら、島田の返事を待った。
『山におんねん。三十分ぐらいほしい。コマツ夫妻拾ってからカミやんでええんかな?』
『それで頼む。おれはフジのとこにおるから、フジも一緒に乗せたってくれ』
『了解、五人乗りか。席片付けるからあと十分追加で』
島田の愛車は、ドリフト仕様のローレル。色はパールホワイトとベージュのツートンのままだが、足回りは顎が外れそうになるぐらい固い。それこそ、ナナミのピアスが半分床に落ちるぐらいに。最大の利点は、島田がいるとタカが妙に気を遣うということだ。おれ達は帰らないといけないから足が要るし、島田がついてくるのは当然の成り行きだ。三すくみの状態を作ってもらえるのはありがたいし、島田はタカさんのことを『フジの上にいるやんちゃなおっさん』としか思っていない。
「島田も来ます」
おれが言うと、島田の効能を知っているフジは少し笑った。来年になれば、島田はすでに内定が決まっている自動車メーカーに入社するから、おれ達との接点は切れる。だからこうやって会うのも、大学に行きながらガソリンスタンドでバイトをしている今年が最後だ。そういう話をすると、コマツは『勝手に人間関係を整理するな』と言って怒る。おれからすれば、相手の迷惑を考えているだけの話だ。
フジの家にハイエースを停めて外で煙草を吸っていると、タカから時間と場所の案内が来た。同時にデフが折れそうな音を鳴らしながら、ローレルが住宅街の角を曲がってくるのが見えた。近所迷惑な排気音にアパートの開いた窓が次々に閉まり、おれが手を振ると島田はよりによって空ぶかしで応じた。一旦閉まった窓がひとつ開いて『うるさいんじゃ!』と声が響いたが、島田にだけは聞こえていない。
おれはフジに助手席を譲り、後部座席に左から乗った。右端がコマツ、ナナミは真ん中に移動しておれの場所を空けたが、下を向きながらきょろきょろしている。振動でピアスが飛んでいったのだろう。全員で顎をがくがく言わせながら住宅街から抜け出した辺りで、フジが言った。
「島田くん、このかっこええ曲は何かな?」
「ハロウィンっす」
島田はメタル好きだ。誰が乗っていたとしても、その曲を変える権限はない。コマツとナナミがうんざりしたように静かなのは、スティールトーメンターが爆音で流れていて、声を張ったところで届かないからだ。おれがケータイの画面で住所と時間を伝えると、島田は二回うなずいてシフトレバーを操作し、アクセルを踏み込んだ。島田のローレルは、まっすぐ走るようにできていない。コマツとナナミがおれの方を見ているのが分かる。
「お前らも、タカからお呼び出しや」
おれが言うと、コマツは気分が乗らないみたいにスモーク張りの窓に目を凝らせた。ナナミが肩をすくめて目を丸くすると、呟いた。
「タカさん、久しぶりかな?」
「そうなんか? 知らんがな」