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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Duds

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 三十年前には新車だった薄い泥色のハイエースバン。テキ屋御用達の道具が隙間なく詰め込まれた荷室も含めて、全てが少しずつくたびれている。備品の中で新しくなっていくのは、消耗品のプロパンぐらい。おれが『ベビーカステラ』と書かれたノボリを隙間に突っ込んだところで、さっきからキーを捻っている藤原のおっさん、通称フジが言った。
「テツヤ、もっと丁寧に入れてえな〜。長く長く乗りたいのよ〜」
 何度セルを回してもエンジンがかからない車の方は、長く乗られたくないらしい。おれはリアハッチを閉めながら、頭を下げた。
「すみません」
 フジは五十八歳、このハイエースを買ったときは二十八歳だった。当時出たばかりの型で、一番高いやつを選んだらしい。フルタイム四駆、三リッターディーゼル、色々と蘊蓄は聞かされている。仕事で使う車だから一番安くていいのにと周りから言われたが、営業マンに乗せられて一番いいグレードを買った。そいつの『これからの時代はね〜』いうフレーズに、ハッとしたらしい。
『時代よ、時代て。時代を持ち出されたらかなわんわ』
 この車の話を聞いたとき、その営業マンが目の前にいるみたいに、フジは語った。これからの時代が何だったのか、おれは知らない。でも、その営業マンが言っていた『これから』も、もう通り過ぎて久しいんだろう。おれは先月、二十二歳になった。だから、このハイエースとフジが絶好調だったころに生まれたってことになる。フルネームは神山哲也であだ名は色々あるが、『テツヤ』と呼ぶのはフジだけだ。親しい連中に合わせて『カミやん』でいいですよと言ったことがあるが、おっさんみたいだと言って嫌がった。だからおれも周りに合わせることなく、さんづけで『フジさん』と呼ぶ。
 こだわりの細切れで構成されたフジの『伝説』は、色々とある。二十代から三十代にかけては敵なしで、結婚指輪もダイヤの相当高いものだったらしい。奥さんは十年前に病気で亡くなったらしく、おれは会ったことがない。写真で見せてもらった限り、隣に立つフジにも光のお裾分けをしているような人だった。その薬指にはまっていたダイヤの指輪が形見で、フジは酔うとよくその話をする。
 ちなみに、フジは外見上の迫力が全くない。身長は本人が『ギリ百七十』と言っているが、身長百八十のおれと比べる限り、実際のところはもっと低い。常に縦じまのチェックシャツを着ているのは、少しでも背が高く見えるようにするためだ。特に力が強いわけでもなければ、声に凄味があるわけでもない。ただ、フジには『ダチ』がとにかく多い。実際、あちこち割れたケータイのアドレス帳に登録されている人数は、おれの人生に登場した人物全員を足しても勝てない。そして単なる数だけじゃなく、フジが間に入ると色んな揉め事が収まってしまう。『そんな殺生な』というひと言が決め手になることが多いが、フジは揉めている同士のパンチの軌道に顔を差し出すような仲裁をする。おれには真似できないし、揉めている人間は死ぬまで揉めてろと思ってしまう。
 以上がフジの良い面。しかし今日は、エンジンがかからないからゼロ点だ。今は流れに乗らないとヤバい。帰りの人だかりができている今なら、まっすぐ帰っても『一斉に出て行くタイミングに合わせました、すんません』で済む。
 フジのケータイに登場する中で、最も重要な人物。高柳健一郎、通称タカ。フジが縁日に顔を出すようになった三十年前、ベビーカステラ屋は別にいたが、タカはそれを弾き飛ばしてフジを割り込ませた。だからフジは頭が上がらないし『健さん』と呼ばされている。タカは指と引き換えに何度か軌道修正してきた四十代の元ヤクザで、それが恥ではなく武勇伝として通用する世界で生きている。色々と黒い噂があって、担当はベビーカステラ、タコせん、たこ焼きの三つ。事業を広げたいらしいが、フランクフルトとりんご飴は桐山のおやっさんがいるから手が出せないでいる。
 とりあえず、タカが誰かに頭を下げる姿は見たことがないが、縁日で顔を合わせる人間の中にはいないってだけのことだろう。タカは、とにかく段取りとか挨拶にうるさい。帰りの流れができているときに声をかけると『周りを見いや、ちゃっちゃと引き上げんかい』となるし、流れに乗り遅れて黙ったまま出て行こうとすると、『挨拶せんかいポンカン』と言われる。ポンカンというのはタカ専用の用語で、おれも付き合いが始まった五年前にはそういう罵倒の言葉があると思っていたが、実際にはアンポンタンを聞き違えたまま使っているらしい。
 甲高いエンジン音を聞いて、おれは肩をすくめながら隣のたこ焼き屋を見た。すでにハイゼットを空ぶかししている。運転しているのは今年還暦の中尾さんで、鉢巻きが半分目にかかったままだからおれ達と考えていることは同じだろう。ハイゼットが砂利を踏みながらじりじりと動き始めたとき、対抗するようにハイエースがどかんと揺れてエンジンがかかり、おれは勢いよくリアハッチを閉めた。真っ黒の煙が由緒のある石造りの柱に沿って、空に上がっていく。テキ屋のバイトは二年ぶりだ。日常が少しずつ元通りになり、おれ達の足元は少しずつぐらつきが酷くなっている。おれはハイエースの助手席に乗り込んだ。
「失礼します」
 フジは、色んな人間から頼りにされて、残りからはバカにされることで微妙な立ち位置を確保している。おれは、そのどっちにもなりたくない。あくまでおれの雇い主で、縁日がないときは年の離れた飲み仲間だ。フジは寂しがるが、おれは一応自分の『ダチ』ともできるだけ線を引いている。唯一の例外はテキ屋のバイトにスポット参戦するコマツで、おれとは中学校からの付き合い。普段のバイト先も同じホームセンターだ。違うのは、両親がおれの高校卒業と共に『解散』した神山家と違って、コマツには両親だけでなく弟が二人いるということ。親戚も多くて、なにかと集まりに呼ばれては、げっそりして帰ってくることが多い。おれは、昼過ぎに来ていた『いつ終わる?』というメッセージに返信した。
『てっしゅー』
『おっさん送り?』
 返信が来て、ハイエースが軋みながら動き出した。コマツの言葉は省略されすぎて、意味が通じないことが多い。しかし、おれなら分かる。おっさんに送ってもらうのかという意味だ。
『ちゃうかったら回し蹴りや』
 返信しながら、隣でハンドルをぐるぐる回すフジの顔を見ると、やはりその表情は少し険しい。ハイゼットはすでに国道に鼻面を食い込ませる勢いで指示器を出している。フジは駐車場へ続く細い道を進みながら、開いた窓越しに色んな関係者へ『ほなね』と二十回ぐらい連発したあと、咳ばらいをしてシフトレバーに触れた。こだわりの五速マニュアル。シフトレバーはフジの頭頂部に合わせて禿げあがり、つるつる光っている。
 国道の方からブチ切れているようなクラクションが鳴り響いたとき、入れ違いに歩幅の小さい足音が遠くから聞こえてきて、おれは小さくため息をついた。全力で走り出してからブレーキが効かないことに気づいたような、前のめりな走り方。タカが追いついてきた。
「こらっ、こらっ、こらっ」
 大柄な体にブレーキをかける足の動きに合わせて、タカは言った。運転席から首を突っんできて、おれは頭を下げた。
作品名:Duds 作家名:オオサカタロウ