色々な掌編集
(別れる)運命の人
朝の通勤電車、始発駅から2つめの駅なのにもう座席はふさがっている。乗りこんですぐに若い女性が眼にとまり《あのひとに似ている》とそう思った。
時男は目の前の女性がバッグから携帯を取り出すのをさり気なく見た。何かを確認すると、携帯はまたバッグの中にしまわれた。
時男は回想する。小さな会社で、別課であったが同僚のあのひとのことを。彼女絵美は時男と気も合ったし、顔もスタイルも申し分のない女性だった。そしてプライドの高さもグレードの高さの証明に思えた。時男はそのプライドを傷つけ、結局別れることになってしまったのだった。
《あの頃携帯電話があったら》と、時男は車窓から過ぎて行く景色を見ながら思った。
「ねえ、今晩うちに来ない? ごちそう作るから」昼休み時間に絵美はキラキラした眼で言った。絵美は料理が得意と言っていたのを時男は覚えている。時男は即座にOKした。
「じゃあ、私は真っ直ぐ帰って用意してから、そうだなあ7時頃かな、駅で待ってるね」
時男は多分いつになく気合が入った仕事をしていたのだろう。退社時間になって一緒に外に出た課長に「ちょっと一杯やっていくか」と誘われた。時男は絵美との約束時間を思ったが、電車の時間も考えて1時間ぐらい余裕があったので、「じゃあ、1時間ぐらいなら」と誘いに乗った。
自分に期待しているという課長の話を上の空で聞きながら、時男はすでに1時間を過ぎているのを知った。「もうそろそろ出ませんか」と言う時男をなかなか課長は帰してくれなかった。やっと解放された時男は、絵美のアパートに電話をしたが繋がらない。時男は電車に乗って絵美の待つ駅に向かった。駅でじりじりしながら待っているだろう絵美を思いながら、きっぱりと1時間で「用事がありますので」と課長に言えなかった自分の優柔不断さを呪った。
駅についた時、絵美はこれまでに見たことの無い、暗い怖い顔をして立っていた。ひたすら謝る時男に「さようなら」と言って絵美はすぐに背を向けた。
戯れに時男は十年前のあのシーンに携帯を入れてみる。
トイレに立ったとき、時男は絵美の携帯に電話を入れた。
「もしもし、あのさ今課長につかまっちゃって、うん呑んでいるんだよ。ちょっと遅れるかも知れないが、絶対行くから。また電話するよ」
「ええっ、何? 呑んでるって。それで何か食べてんでしょう、ちょっとだけ? それから私の料理を食べるってえ、ばかにしないでよ……さようなら」