色々な掌編集
【別バージョン】
私はズボンのお尻全体に広がった濡れたシミを見ながらため息をついた。
次々と入っては出て行く人々の好奇の目にさらされている訳にもいかない。個室で善後策を考えようと、私は濡れたズボンを持って空いたばかりの個室に入った。何か忘れ物をした気がする。何だろう。個室で突っ立って考え事をしているのも間抜けな姿だ。せめて洋式ならロダンの考える人のように、いくらかは格好がつくのだが。
あ、傘だ! えーと、ズボンを確認しようとして個室、あ、ここだな。何だ目の前にあるじゃないか。傘、傘で何か出来ないか。傘をバラしてズボンを作る。何を馬鹿なこと考えているんだろう。う~ん、かさかさかさかさ さかさか……坂は気をつけねばなあ。
トントン!
あ、誰かが……。トントントン!と私は叩きかえす。 他へ行ったかな。どうしようか、濡れたズボンを履くしかないだろうなあ。
ごく当たり前の結論に達して、私は傘を扉にかけてズボン履きを実行した。片足を入れてみる。濡れてへばりついているので足がうまく入っていかない。私はぎゅっと力を入れて足を押し込んだ……。
筈だったが、足は入って行かず、私はバランスを崩し、とっさに目の前にある傘を掴んだ。
ほんの僅かの間だけそれは身体を支えたが、突然ヤーメタというようにそれは頼りなくなり、ドアを開ける手助けをして、私の手の中にあった。鍵をかけ忘れたのだ。
それよりも事態は深刻度を深めた。和式の便器にお尻が……さすがにすっぽりとはゆかなかったが半分ほど嵌っている。咄嗟に、ヒジをついたので後頭部は軽く打っただけだが、ヒジが痛い。
それよりも、起きなくては。片手に濡れたズボン、片手に傘という間抜けな格好である。
さすがに異常な物音がしたのだろう。見知らぬ人が「大丈夫ですか」と声をかけてきた。私は無理に笑顔をつくり、「あ、何とか」と言って身体を起こそうとした。だが、うまく行かない。見知らぬ人が私の掴んでいる傘の取っ手の方を掴んで引っぱってくれた。
どうにか立ちあがることが出来た。しかし、今度はパンツが少しだけだが濡れて気持ちが悪い。そして当然嫌な匂いも付いているだろう。私は目の前が真っ暗になった気がした。いつの間にか助けてくれた人はいなくなっていた。
濡れたズボンも、もう一度洗わねばなるまい。パンツも脱いで洗った方がいいだろうなあ。いくらトイレの中の手洗い場とはいえ下半身丸出しはまずかろう。思わず神様のバカヤロウと呟いた。
薄手のジャケットを腰に巻いて、私はパンツとズボンを洗う。ノーパンでスカートってこんな気分なんだと思うと、なんだか急に恥ずかしくなってヒザを閉じてみる。
いかんいかん、こんなことしている場合じゃない。
気を取り直して手早く洗い終えることにした。もう誰がどんな顔をして通り過ぎても構わないというヤケクソな気持ちだった。こんな事態でも(ヤケクソ=トイレの火事)などという言葉が頭に浮かんで来た。
あまりに洗うことに一生懸命になってしまって、腰に結わえた両袖の部分が緩くなってきたのに気づかなかった。パンツは軽く絞ってとりあえず鏡の前に置いた。そしてゴワゴワのズボンの水気を絞りために足を踏んばったその時、するっとジャケットが滑り落ちた。
涼しい下半身。暑くなる頭と顔。