続・おしゃべりさんのひとり言/やっぱりひとり言が止めらない
その139 人道支援は難しい
ある日、ボスが一人のご婦人を事務所に連れて来られました。
その当時のボスと同世代のアラフィフの方でした。
この女性のことは、その時まで一度も話に聞いたことが無かったので、僕は慌てて対応しました。
当時30歳くらいで若輩な僕は、一目でセレブだって判る彼女のスタイルに緊張したんです。
ご丁寧なご挨拶の後、事務所中央の20人が座れるくらいのソファースペースにお連れして、その真ん中の席に恭しくご案内すると、
「キンチョーするや~ん♡」と急に砕けて、僕の肩を叩かれた。
木村さんとのファーストコンタクトは、こんな感じだったかな。
彼女は、数カ月前に帰国された海外駐在員の奥様でした。
そのご主人様は、各国駐在を歴任された日本国大使です。
最後はアフリカのエリトリアという国を担当されていて、在ケニア日本国大使館に常駐されていたそうです。
帰国後は京都にお住まいでした。
ボスもまあ、こんな方との繋がりがどこで発生するんだか。
もう、いろんなことに参加したがるから、木村さんとも仲良くなったそうですが、そのきっかけは、海外の貧困者に対する救援活動です。
木村さんの知るエリトリアという国は、隣国との紛争後の内紛状態で、国中が荒廃していて、支援なくして生きていけない国民が多くいるそうです。
それを聞いてボスが立ち上がる。・・・いつものことです。
その頃僕は、イラストレーターを目指して、京都の某大手下着メーカーのデザイナーさんに、絵の下請け仕事を紹介してもらったりしながら生活していたんで、何かのついでに木村さんの京都のご自宅にも寄るってこともあって、徐々に彼女の人となりを知るようになりました。
「これ食べぇ」「これ持って帰りぃ」
とにかくホンワカされていて、苦労とは縁がない方だろうって思っていました。
ある晩、ボスの事務所に身近なビジネス仲間を呼んで、エリトリアに対して僕らはどんな支援ができるかの話し合いが始まりました。
木村さんのご要望で、すぐに方針は決まりました。お金じゃなく、物的支援です。
この一回の為だけなら、いくらでも知り合いに声を掛けられます。ボスは顔が広いので、こういうことは得意なんです。
「募金の方が多く集まると思いますけど」
「そうやな。送金する方が簡単やしな」
という意見が大半でした。そのほうが断然早くて楽なはずなんですが、木村さんが、
「お金はダメなんです」って仰いました。
(何か国際的な送金に問題があるのかな)って思いましたが、
「焼け野原で、お金を持ってても、使うお店がないんですか?」
「それもそうなんやけど、そういうのは現金を配るんじゃないんです」
「物を買って配るんですよね」
「そうなの、現地活動の費用にしたりするんやけど、すぐ誰かが懐に入れてしまうでしょ」
少し、闇の深さが解った気がしました。
「じゃ、何を集めればいいんですか? 食料は?」
「輸送に時間がかかるから、食品は送れません。欲しいのは生活に必要なものです。彼らは家を焼かれて、何も持っていないんです」
服、靴、毛布、テント、文房具、遊具、洗剤とかの日用品が要るそうです。木村さんは見た感じとても柔和で苦労を知らない人だって思っていましたが、僕らが想像もできないような惨状を目にされて来たんだなと感じました。
それから1ヶ月くらいの期間で、僕らビジネスメンバーは、知り合いという知り合いに、エリトリアのことを説明して、支援になる物資を提供してくれるように頼みました。
やがてボスの事務所に物資が集まり始めました。一週間もすれば、段ボール箱や袋に詰められた様々なものが、徐々に溜まっていきます。
「これ、大丈夫でしょうか?」
「ヤバいかもな。もっと来るぞ」
すぐに事務所の空きスペースいっぱいに山積みになって、今後、置き場に困る事、それに仕分けをする場所の確保が難しくなることが想像できました。
僕は近くの公共施設に問合せをして、荷物を仮置きする場所を無償で提供してもらえないか交渉しましたが、公的な場所ほどそれを断られました。
この僕らの活動に協力してもらえないことに、皆「なんで!?」って憤慨しましたが、税金を使ってる施設を、私的な活動に長期間無料で使わせてもらう訳には行かなかったようです。
それにはやはり利用料が必要だそうで・・・でも1ヶ月ぐらいですよ。少なくとも10万円以上かかります。ボランティアするのにお金が要るなんて、信じられない。
そんな時、ボスは滋賀県郊外の街にあった、アメリカの有名パソコンメーカーの工場(現在は太陽電池の工場になっている)に知り合いがいて、そこの体育館の一角を無償で使わせていただけることになったんです。
この工場は、僕らが琵琶湖の周回道路のゴミを拾うイベントを開催した際にも、協賛してくれていました。
そこに皆で物資を自家用車で手分けして移動させたのですが、数日に分けて丸一日がかりで何往復もです。
後の仕分けのために、段ボール箱を積まずに平置きしていたら、最終的にそれらは、バスケットコート一面分を埋め尽くしてしまいました。
もしこの体育館を貸してもらえなかったら、物資をボスの事務所のガレージとかに野ざらしにするしかなく、雨で濡れたらこの先どうすることも出来なくなっていたでしょうね。
そんな頃、よく知らない人が事務所を訪ねて来られたり、電話がかかってくることが増えました。
「素晴らしい行いをされていますね。私共も同様の活動をしており、ぜひ資金援助をお願いしたいと・・・」
このような話です。僕らはネットワーク(単純に知り合いの知り合いの知り合いこと)を駆使して、延べ数百人の方々に支援物資の提供をお願いしていましたので、その噂を聞き付けられたんでしょう。
「ぜひこちらの口座へ・・・」露骨にお金を送る先を指定してくる者までいました。
彼らの名刺やパンフレットを見せられても、その根幹は見えません。インターネットが普及していない時代には、その団体を調べる方法がないんです。この事を木村さんに相談すると、
「そんな話に乗っちゃダメ。支援団体っていうのは、独自の活動をして発展して来てるから、他の団体と協力し合う意味なんか無いの」
「協力関係があった方がよさそうに思いますけど・・・」
「その団体に、目的外の使い方されちゃうのよ」
「エリトリア以外に回されてしまう可能性もあるということですね」
「いろんな団体には嘘も多いし、本当に支援活動するんだったら、自分たちだけで確実に効果のある活動をするものよ」
「じゃ、彼らは詐欺みたいなことしてるんでしょうか?」
「そう疑った方が無難なの。集めたお金を真面目に活用するノウハウだって必要なのに、自分たちで資金を集めるノウハウさえ持ってないような活動家を信じちゃダメよ」
「勉強になりました」