さよなら、カノン
山から流れ落ちた倒木が反対車線を塞いでいる
砂利の混じった雨水が道路を川のように流れる
ハンドルを切って道路を塞ぐ倒木を避ける実穂子
サーブの車体がガードレールに接触する
稲妻が光る
その瞬間だけ雷雲と山々の稜線が朧げに見える
ダム湖を抱える神楽沢の谷間に差しかかるサーブ
カノン 「ママ、どこに行くの?」
雨で見通しの悪い視界に目を凝らす実穂子
実穂子 「ん・・・いいところよ」
実穂子の目に涙が溢れてくる
ビジネスバッグをテーブルに置きサンダルで玄関に出る正樹
庭に立ち駐車ロットを見る正樹
サーブが停まっていない
庭の隅にある物置小屋の戸が半分開いている
拡声器でなにやら呼びかける音が県道のほうから聴こえてくる
”足高町全域に避難勧告が発令されました。お家におられる方は・・・”
顔馴染みの駐在の声と聴きとる正樹
サンダルのまま雨の中を県道に向かって全力で走る正樹
正樹の目の前を駐在が運転するミニパトが低速で通り過ぎる
ミニパトの後を追うが追いつかない正樹
ミニパトが遥か前方で停車する
ミニパトの窓から顔を突きだし田畑に向かって叫ぶ駐在
駐在 「兵頭さん、用水路見に行っちゃだめ」
雨合羽を着て畦道を歩く初老の農夫兵頭が振り返る
兵頭 「あそこの羽根柱手でやらんと水が流れんのじゃ」
駐在 「行ったら危ないって」
逡巡する兵頭
駐在 「私がやるから、戻ってきて」
納得して畦道を県道に引き返す兵頭
息を切らしてミニパトのボディを叩く正樹
駐在 「わ、びっくりした」
正樹 「駐在さん、うちの見ませんでした?」
駐在 「えぇと、(窓越しに正樹の顔を確認し)あ、吉川さん?」
正樹 「うちのやつと子ども、見かけませんでしたか。おそらく車で・・・」
駐在 「吉川さん家の車といえば・・・黄色い外車」
正樹 「はい、黄色のサーブです」
駐在 「(首を傾げて)いや、きょうは見てませんね。ところでどうかなさったんですか」
畦道から県道にあがる段差に足をかけて兵頭が口を挟む
兵頭 「黄色い車かね」
正樹 「(兵頭に手を貸して)見たんですか」
兵頭 「畑仕事しよったら道んとこで大きな音がしてな。見たら黄色い車が停まっていた」
正樹 「大きな音?」
兵頭 「ああバックなんとかとか言いよったかな」
正樹 「バックファイヤー」
兵頭 「それそれ。今どき珍しいと思いよったら、見てる間にまた走りだして」
正樹 「どっちに走っていきました?」
兵頭 「町のほうじゃ」
正樹 「何時ごろですか」
兵頭 「何時かはよくわからんが、まだ畑に陽が射しよった時間やな」