Firehawks
後ろから張りのある声が響き、川谷は振り返った。警察官が二人、小ばかにするように見上げている。声を掛けたのは先輩らしい年上の方で、後輩と思しき年下の警察官はホルスターの真上に手を置いていて、やや緊張している。
「せっかく上ったのに申し訳ないんやけど、危ないから。ちょっと下りてきてくれへんかな」
先輩の警察官が言い、川谷はうなずきながら手を伸ばした。警察官二人はその行動自体を咎めず、最後のわがままを見守るように小さく息をついた。鍵を回収した川谷は、それをジーンズの尻ポケットに入れようとしたとき、ごつごつとした物体に邪魔されて動物園の猿のように金網にしがみついたまま、尻の付近を探り続けた。警察官は二人とも笑っていたが、ホルスターに手を置いていた後輩の警察官が突然笑顔を消した。
「銃、銃を持ってます!」
川谷は鍵を持ったまま、上着をめくった。ベルトに挟み込まれているのが、あのコルトコンバットコマンダーだということに気づき、川谷はその衝撃で思わず金網から手を離してレクサスのボンネットの上に背中から落ちた。
「あの銃撃犯か? おい、そこから動くな」
先輩の警察官が言い、川谷はボンネットから降りるのと同時に、ほとんど意識することなくコンバットコマンダーをベルトから抜き、二人に向けた。後輩の警察官がホルスターからニューナンブを抜いたとき、川谷は言った。
「ちゃうんです、これはおれのじゃなくて」
どうして自分の手元に帰ってきたのか。川谷が少しずつ後ずさる中、後輩の警察官が叫んだ。
「しょうもないこと言うな! 自分らは不審者の通報で来たんや、銃を捨てろ!」
自分を羽交い絞めにしている手に見覚えがあるどころか、それが白野だと気づいた鴨山は、体からほとんど力を抜いて振り返った。白野は鴨山の体を離すと、ひっくり返ったバッグの紐を直しながら、言った。
「鴨山さん、どこに行こうとしてたんですか」
「どこって、ちょっと家庭の事情や」
立ち上がりながら鴨山が言うと、白野は首を横に振った。
「行かなくていいです」
その口調の強さに、鴨山は首を傾げた。さっき、命を狙われても訪問は続けると言っていたときと同じで、白野の口調には絶対に倒せない芯があるようだった。
「白野さん、川谷は……。さっきの電話の奴はな、嘘をついてんねん。何年もこの辺には来てないって言うてたけどな、そこのモールができたことを知ってたんや」
鴨山が言うと、白野はバッグの紐を強く握りしめた。自分がこれから言おうとしていることが相手にどれだけの衝撃を与えるか、可能な限り予測を試みているように、その全身が衝撃に備えていた。
「先週家族が来たときに、川谷は二人を家まで尾行したみたいです。なので、鴨山さんの勘は当たってます」
白野の言葉に、鴨山は逃げ道を探すように後ずさった。白野が自宅を訪れるようになったのは去年のことだが、白野が店に来たきっかけは、SNSで有名になったときだった。もし、自分の顔を知っていて近づいてきたのだとすれば。
「白野さん、誰に頼まれて動いてるか教えてくれ。あのポストに写真入れた奴のことも、ほんまは知ってるんか?」
「わたしは、誰にも頼まれてません」
白野は、目を伏せたまま言った。自分が叱っているような気分になって鴨山が呼吸を整えたとき、白野は顔を上げた。
「わたしが頼んだんです」
頭の中に用意していた言葉が全て蒸発したように鴨山が立ち尽くしていると、白野はほとんど泣き顔になる直前のように、顔をしかめながら言った。
「わたしは学生時代、おかきって呼ばれてました」
鴨山は、目の前に立っているのが北井彩菜だということに気づいた。写真は見たことがないが、そのあだ名だけは、北井春樹からバーでよく聞かされた。
「北井の娘さん……? 嘘やろ」
「親戚に引き取られて苗字は変わりましたけど、嘘じゃないです。目的は、お父さんに銃を売った人間を見つけて、痛めつけることでした。でも、もう痛めつける余地がないぐらい、あなたは苦しんでた。実際世話をしてみて、もういいかって思ってたんです」
白野はそう言うと、自分自身を恥じるように涙を流した。感情がどうしてもこじ開けてくるように、白野は顔を歪めながら口を開いた。
「でもね、家族と再会するって、そんなことを言い出しましたよね。で、実際に会って、家族は鴨山さんを許したじゃないですか。長いこと会ってなかったけど、こっからは交流しようって。あなたのやってきたことって、重罪ですよ。それでもみんなから許されたんです。わたしの両親は、たったの一回も許されへんかったのに!」
鴨山は、白野がまるで銃を持っているかのように、両手を小さく挙げた。
「申し訳ない……」
観念したように鴨山が両ひざをついたとき、白野は首を横に振った。
「最後まで聞いてください……。銃撃事件も含めて、わたしが全部お願いしたんです。捕まったらええわって思ってたし、実際そうなるまで粘るつもりでした。でもこの前、鴨山さんは全部話してくれましたよね」
鴨山はうなずくだけにとどめて、白野が続けられるよう耳を澄ませた。
「本音を言うと、鴨山さんには反省なんかしてほしくなかった。忘れててほしかったぐらいです。散々焦らせて、追い詰めようって思ってました。でも、うちのお母さんまで巻き添えにした人間みたいに、わたしも同じようになってしまうんは嫌なんです」
白野は涙を流したまま笑うと、毎週訪れるときと変わらない口調で続けた。
「だからわたしは、もう許すって決めました」
鴨山は、頭の中に血が突然流れ込んだように、大きく息をついた。今まで考える余裕すらなかったことが次々に押し寄せてきて、鴨山は言った。
「誰に頼んだ?」
白野は答えず、鴨山は立ち上がった。そんなことを依頼できる組織は、あまり多くない。
「こないだ話したかな? おれは二十年前に、クラブでそういう連中と会った。電話一本で簡単に人を殺す連中や。そいつらにお願いしたんか?」
鴨山の熱量に圧されたように、白野は目を丸くして体を引いた。
「それは言えません。でも、わたしは大丈夫です」
「おれが会ったことがあるんは、岩村、佐藤、村岡の三人や」
白野の顔色は、最後に少しだけ変化した。鴨山は続けた。
「顔を知ってるんか」
「はい、左腕に刺青がある人ですよね。あの人が、わたしの両親を殺したんです」
白野はそう言うと、鴨山が最も知りたがっていて、正しい答えを期待しているに違いないことを口に出した。
「その人は、十五年前に死んでます」
鴨山が初めて安堵の表情を見せて、白野は同じように笑った。
「では、また来週来ます」
「なんで……? 辛くないんか」
鴨山が言うと、白野は何度もうなずいた。
「辛いですよ。だってわたし、自分の親のこと何も知らないですから」
家に居つかなかった『おかき』だったころの自分を嘲笑するように、白野は続けた。
「引き取ってくれたんが母方の親戚やったんで、お母さんのことは色々と教えてもらいました。でも、お父さんのことは聞けんし、分からんままやったんです」
鴨山は、白野が次に何を言うか先に分かった気がして、小さくうなずいた。その目をまっすぐ見返して、白野は言った。