Firehawks
「教えてほしいんです。お父さんがバーで何の話をして、どんな人やったんか」
銃を向ける前に、何も確認しなかった。川谷は、自分が構えるコンバットコマンダーの撃鉄が起きていることに気づいていたが、外から見ても薬室に弾が装填されているかは、分からなかった。その重量から考えると、弾倉には七発入っていると見て間違いなさそうだった。
「おれはやってない」
川谷が念を押すように言うと、後輩の警察官はニューナンブをまっすぐ構えた。安全ゴムがついていないことに気づき、川谷は言った。
「頼むから、二人ともどっか行ってくれ」
どこかへ行け。銃撃事件以来、頭の片隅にずっと浮かんでいた言葉だった。目の前の警察官二人だけでなく、田中も、鴨山も、当時関わりのあった人間は全て。この拳銃も同じだ。川谷の無茶な要求に、先輩の警察官が険しい顔のまま呆れたように笑った。
「どっか行ってくれって、それはでけへんて。とりあえずね、銃を地面に置いてくださいよ」
自分は、今の生活をゼロから作り上げたのだ。イチからではない。ゼロだ。川谷は額から流れ落ちる汗に目を細めながら、呟いた。
「どっか行け……」
鴨山と工作所、大口の顧客、リンとヨウ、ゴマシオ、そしてメガネとポニテ。手の中にある拳銃に関わる全てのこと。捨てたはずなのに、戻ってきた。何度捨てても、追ってくる。その考えが頭の中で同じ場所を周回し始め、川谷は叫んだ。
「どっか行けって。お前らみんな、どっか行け!」
銃が手の中で滑るのを感じて、川谷はグリップを強く握り直した。そのとき、引き金にかかっていた指に力がかかり、目の前で銃口が真上に跳ねた。先輩の警察官が45口径を左腕に受けて後ろに倒れたとき、後輩の警察官が構えるニューナンブが火を噴き、五発の38口径を胸に受けた川谷はレクサスの車体に叩きつけられて前のめりに倒れ、そのまま顔を上げることもなく死んだ。
十五年前の完了連絡。深夜近くになり、廃工場から家に戻った田中は、完了を示すメールに書かれていた名前を思い出していた。メモを取る気には、到底なれなかった。
そのメールは、依頼した内容だけでなく機動銃殺隊の全員が命を落としたことを伝えていた。かつて、班全体を牽引するほどの力を持っていた四人組。深川と溝口は犯罪者に対して一切の容赦がなく、師弟関係としての結束も強かった。宮原は自分の身を案じることよりも、引き金としての役目を常に優先した。鎌池はその警察官らしからぬ身のこなしで、どんな犯罪者の懐にもするりと入り込めた。それが機動銃殺隊に対する『評価』で、全てが最悪の結果に終わった今も変わらなかった。
二十年前。深川は、自分に向けられた散弾銃の銃口を目の前にして、『いつか、お前らの番が来る』と言った。誰もいない真っ暗な家の中では、内輪揉めが殺し合いになる空しさだけが強調されて、その上に建てられた『城』だということも、よりはっきりと意識される。廃工場に置かれていた新しい携帯電話をテーブルの上に置くと、田中は棚からオールドパーの十八年を取り出して、ロックグラスにそのまま注いだ。テレビをつけてチャンネルをニュースに合わせたとき、川谷の顔が大写しになり、田中はソファに座ったまま固まった。警察官二人に職務質問され、川谷は拳銃を抜くと、警察官に向かって発砲した。ひとりは左腕を怪我し、川谷はもうひとりの警察官に撃たれて死んだ。押収された銃の写真が画面に表示され、田中はソファから身を乗り出したまま口をぽかんと開けた。川谷が人を殺した? あの、コンバットコマンダーで?
その疑問を途中で真っ二つに割るように、暗闇の奥から松葉杖をつくような足音が聞こえてきて、田中は立ち上がった。真っ暗で気づかなかったが、家の中に誰かがいる。それは松葉杖というよりは、単純に金属が軋むような音だった。その足音が部屋の灯りの下まで辿り着いて、影が部屋の中へまっすぐ伸びたとき、田中はからからに乾いた喉から声を絞り出した。
「鎌池」
「お久しぶりです」
そう言うと、鎌池は足を止めた。十五年前、目を閉じてそのまま死ぬのを待っていたとき、森の中を走ってくる足音が聞こえた。目を開けたとき、真っ二つに折れ曲がった自分の足に、彩菜が上着を巻き付けて止血しているのが見えた。その処置がなかったら死んでいただろう。結果的に左膝から下を失ったが命は延長され、それから今日に至るまで、彩菜の人生を見守った。何度か家庭を持つことを薦めたが、彩菜は看護師としての道を極めるためだと言って、何人か代替わりした恋人とは、結局結婚することはなかった。そして、SNSで鴨山を見つけたときに、自ら接点を持つことを決めた。自分には止める権利などなかったし、猟犬に徹する覚悟だけが固まっただけだった。
「川谷は死にました」
鎌池は言った。そのベルトにコンバットコマンダーを挟み込んだとき、川谷に対して何の懐かしさも感じないことに安心した。愛着など微塵もなく、そこには二十年間何かから逃げてきた犯罪者が倒れているだけだった。
「お前が銃撃事件の犯人か」
田中が言うと、鎌池はうなずいた。そして、田中が廃工場から持って帰ってきた携帯電話に目を向けた。
「村岡は、十五年前に死んでます」
そう言った鎌池は、義足で床を踏みしめた。田中は、それ以上を言葉で説明されるまでもなく全てを理解した。生き残った鎌池は、十五年前に完了連絡を送り、次の依頼のために用意された新しい番号の先で待ち構えていた。
つまり、自分が鎌池を呼び寄せたのだ。
「今更、どうした」
田中が言うと、鎌池は口角を上げた。約束は約束だ。彩菜には、どう始末をつけるのか自分で選ぶ権利があったし、それを実行に移すなら、自分の始末も同時につける必要があった。命を救ってくれた人間の猟犬になる。自分にできることと言えば、それぐらいしか思いつかなかった。坊主頭を撫でつけると、上手く表現する言葉が見つからないように、鎌池は苦笑いを浮かべた。
「順番が来た。それだけです」
田中がその意味を理解したとき、鎌池は、深川がかつて使っていたTRPをホルスターから抜き、構えるのと同時に田中の頭を撃った。
誰も明言はしなかったが、機動銃殺隊に属するための真の条件は、人を殺して目的を果たす代償に、まず自分の死を受け入れることだった。その覚悟があるからこそ、瞬きひとつせずに引き金を引くことができたし、一員だったことを誇りに思う。寿命が先に訪れるか分からないが、いつか自分の番も来るのだろうし、機動銃殺隊の面々に再会することが叶うなら、それ以上に光栄なことはない。そして、この世に命がある間、自分ができることはただひとつ。それは、自分が猟犬だと証明し続けることだ。
その目は忘れないし、その牙は見逃さない。
まるで、最後の日など来ないかのように。