Firehawks
どんな取引をしようが、警察が見逃してくれるわけはない。罪を犯した本人だけがその可能性にすがっているのはどこか滑稽で、自分も彩菜も覚悟は決めている。取引など関係なく、春樹は呆気なく逮捕されると。
問題はその後、二人でどうすればいいか。誰を頼って何から始めるか、頭の中では未来のレールが出来上がりつつあった。でも、想像通りにうまくいくだろうか。彩菜が家にいるのならそういう話がしたいし、今はせめて、その顔が見たい。
そう思って啓子がダメ押しするようにもう一度ノックしたとき、今まで何の反応もなかったドアがするりと内側に開き、村岡は啓子の首にナイフを突き刺して殺した。
階段を静かに下りると、村岡はキッチンで立ったままお茶を飲んでいる春樹の背後に近づき、言った。
「買った銃、どこに置いてんの?」
春樹は体を跳ねさせて振り返り、瞬きを繰り返した。村岡は答えを促すように、上目遣いでその顔を見つめた。何をしにきたのか、その目的を理解した春樹は言った。
「書斎の……、一番下の引き出し。鍵は開いてる」
村岡は小さくうなずくと、口角を上げた。
「信じるで?」
春樹がうなずいたとき、村岡は春樹の首にナイフを突き刺した。フローリングの床に倒れた春樹が失血死するまで見届けると、扉が開きっ放しになった書斎に入り、引き出しを開けてマカロフを取り出した。
クラウンに乗り込んだ溝口は、北井家の前の道まで辿り着いて急ブレーキを踏んだ。ほとんど入れ違いのようにアリストが片方のタイヤから白煙を上げながら発進し、その大きな車体が角を曲がったとき、溝口はクラウンのアクセルを底まで踏み込んだ。アリストは大通りを通ることなく、信号のない川沿いの道を時速百キロ近いスピードで走り抜け、側道を逆走してバイパスの入口へと入った。溝口はその後を数メートルの車間距離で追いかけ、バイパスの直線で一気に加速すると、追い越し車線に移ったアリストの真後ろにつけた。信号のないルートで撒くつもりなら、このまま長い山岳路に入るはずだ。夜間になると、ほとんど車は通らない。溝口は、周りの車に合わせて時速八十キロで巡行するアリストの後ろにつくと、呼吸を整えた。
宮原と鎌池だけではなく、今は誰の力も借りるつもりはない。
鎌池は、溝口からの連絡が来ないことを気にかけながら、彩菜に言った。
「まだ、帰らんで大丈夫か?」
「それ、拘束しといて言う?」
彩菜が笑ったとき、サイレンの音が外で鳴り響き、鎌池は立ち上がると、窓側から商店街を見下ろした。監視班が走っていくのが見える。鎌池は溝口の携帯電話を鳴らしたが、電源自体が切られていた。
「北井さん」
席に戻った鎌池が呼びかけると、氷の隙間に残ったジュースを吸い込んで音を立てていた彩菜は、目線だけを上げた。
「おかきって呼んでくれていい」
「おかき。一旦、警察署で保護したい」
彩菜は、とりあえず味方と認めていた人間が豹変したように、露骨に顔をしかめた。
「うわー」
「逮捕とか、そういうんとは違う。保護や」
鎌池はそう言うと、彩菜に手を差し出した。反射的にその手を掴んだ彩菜は、小さく首を横に振った。
「いやいや、ちょっと待ってください。なんで動きだけイケメンなん」
そう言いながらも彩菜は手を離すことはなく、鎌池は掴んだ手をそのまま引いて立ち上がらせた。いつ戦闘状態になっても対応できるように頭を切り替えたまま商店街を駅側に抜けたとき、救急車が猛スピードで大通りを走っていくのが見えた。北井家に向かっている。鎌池が足を止めたとき、彩菜が言った。
「どうしたん?」
赤色灯が光る方向を見た彩菜は、その方角と家の場所を結び付けた。
「うちに来てる? なんで?」
鎌池が手を差し出すよりも前に、彩菜は駆け出した。鎌池は追いかけながら止めるタイミングを見つけようとしたが、大通りを赤信号でまっすぐ走り抜けた彩菜の真横をトラックが通り、その車体に足止めを食らった。
「おい、待て!」
鎌池はトラックの長い車体を大回りすると、北井家が建つ路地へ全力で駆けた。今までに何度も見た光景で、自分が作り上げたことも多々あった。でも今は、まるで初めてこういう状況に出くわしたように、頭の中がぐらぐら揺れている。鎌池は路地を塞ぐように停まった救急車の隣をすり抜けようとしたとき、戻ってきた彩菜と衝突しそうになって足を止めた。ほとんど亡霊のように生気のない顔で、彩菜は言った。
「誰がやったん?」
鎌池は、自分がその答えを持ち合わせていないことに歯を食いしばった。散々犯罪者の傍で真似事をしてきて、肝心なところで警察官に戻れないなら、今までやってきたことに一体何の意味があるのか。鎌池は救急車から彩菜を引き離すと、歩くのをやめようとしない体を掴んで、個人商店の前に置かれたベンチに座らせた。彩菜は家の方向を見て、それが遠い昔のことのように、目を細めた。
「誰が……」
憑りつかれたように同じ言葉を繰り返す彩菜の肩を揺すり、鎌池は前に屈みこむと、自分に注意を向けた彩菜の目を見て、言った。
「おかき。彩菜、聞いてくれ」
彩菜はうなずいた。その目が放つ光は、全ての期待を自分に向けている。鎌池はそれを受け止めて、深く息を吸い込んだ。機動銃殺隊の一員である自分にしか、できないことがある。
「おれが犯人を殺す。約束する」
溝口は、山岳路に入って加速を始めたアリストの真後ろに張り付き、チェーン脱着所まで百メートルということを示す看板が『工事閉鎖中』と上書きされているのを見て、照明柱が規則的に並ぶその構造を確認してから、対向車線側に車体を振った。並ばれるのを防ぐようにアリストが同じ動きで対向車線にはみ出したとき、溝口は走行車線に素早くクラウンの車体を戻して、足払いをかけるように、ふらついたアリストの左後部を押した。アリストはチェーン脱着所の縁石に乗り上げて宙に浮き、照明柱を巻き込んで倒しながら横転すると、積みっぱなしになった足場やパイプに車体の左側から突き刺さるように激突して止まった。溝口は急ブレーキを踏んでクラウンを停車させると、チェーン脱着所に後ろ向きに進入して停めるのと同時に、トランクを開けた。M870を手に取り、車体が半分浮いて斜めに串刺しになった状態のアリストまで歩くと、目覚ましを鳴らすように先台を引いて、一発目の散弾を装填した。窓は四枚とも粉々に割れていて、中がよく見える。まず、運転席で佐藤が気を失っているのが見えた。車体に入り込んだパイプに挟まれて、血まみれの頭からワイシャツに少しずつ血が流れ落ちている。しかし、他に乗員はいなかった。位置関係からすると、家の中にいた『実行犯』は佐藤ではなく、村岡のはずだ。