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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Firehawks

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 そこまでして欲しい物なんて、思いつかない。彩菜は自分の手を見下ろしながら、考えた。自分なら、ほとんどのことは諦めてしまうし、欲しかったかどうかなんて忘れてしまう。思考がそこまで進んだとき、彩菜は目を大きく開いた。でも、今は?
 わたし自身が、自分の力ではどうしようもないものを取り返そうとしている。そのことに気づき、彩菜は顔をしかめた。そうしていないと、そのまま涙が表に出てくる。
「我慢すな」
 春樹がティッシュの箱を持ってくると、目の前に差し出した。まだ泣いていないのに、泣き顔を覚えているなんて。彩菜はティッシュを数枚掴むと、言った。
「なんで……? わたしが警察に補導されてばっかりやから、ストレスになった?」
「違うよ。色々理由つけてごまかしても、結局自分が欲しかっただけや。おれが悪い」
 春樹はそう言うと、彩菜の肩をぽんと叩いた。
「万が一おれが捕まっても、彩菜は大学まで出れるから心配すんな。親戚もおるし」
「台無しにせんといてよ」
 彩菜は言い終えるときに微かな笑いが生まれかけたことに気づいて、目を逸らせた。立ち上がるだけの気力が生まれて、彩菜は書斎から出ると『寝ます』と言い、扉を後ろ手に閉めた。二階に上がって部屋に入っても、もちろん眠れるわけはなかった。ただ、停滞していた空気が自分の周りだけ動き始めている気がする。何も解決していないが、今はずっと閉まっていたドアがあちこち開いて、中に電気が点いているような感覚だった。
 暖房の風を暑苦しく感じて、彩菜は窓を少しだけ開いて顔を出した。大きな道路を時折車が走る程度で、夜は静かだ。耳に入ってくるのは、遠くを走るバイクの音ぐらい。総合運動公園の雑木林はまばらに街灯で照らされていて、ずっと解放されている駐車場に何台か車が残っている。その中で、一台だけ排気ガスが上っている車があった。ライトは点いていなくて、運転席にもたれかかっている背の高い男が、視力を試すみたいに遠くの景色を見ている。声を掛ければ届くぐらいの距離で、街灯に照らされた顔が薄っすらと見えた。
 男は煙草を吸っていて、それを携帯灰皿に揉み消すと、視線に気づいて体ごとこちらを向いた。彩菜が外に向かって白い息を吐くと、男は体に残った煙を輪にして吐き出し、口角を上げた。映画俳優のような男前で、その目はまっすぐこちらを見ている。彩菜が首を横に傾けると、男は真似るように同じ角度で首を傾けた。真冬なのに薄着で、スーツの上着を片手に持っている。半分袖が捲られた腕を見て、彩菜は頭を咄嗟に引っ込めると窓を閉めた。
 男の左腕には、隙間なく刺青が入っていた。


 深川の殉職から五日が経ったが、課長が箝口令を敷いたことで表立った報道はされなかった。リーダーを失った機動銃殺隊は今年度を最後に活動を終えることが決まり、北井春樹に対する捜査は、銃器犯罪対策班の公式な案件となった。鴨山と北井の両方を挙げた時点で、全てが終わる。足掛かりを整えた東山は、左耳の大怪我でしばらく病院から出られないから、何も見届けることはできない。
 課長はほぼ確定した数字を前にして、年度が切り替わる四月以降の人事を固めた。宮原は警備課に異動し、機動隊員に戻る。鎌池は銃器犯罪対策班に残り、溝口は半年間続く海外研修の第一号になるが、戻ってくるときは別の課が引き取る。充分に短いリードをつければ、猟犬も暴れることはできない。田中は、ほとんど全員が出払ってがらんとした対策室を見渡した。今も、機動銃殺隊の面々には一週間の休暇を取らせている。上司が殉職したことが表向きの理由だが、余計なリスクは冒せない。これ以上の活動は余計な火種を作るだけだ。機動銃殺隊に充てられている予算の行方を監察官に見られたら最後、辻褄が合わなくなる。厳密に言うと、私的流用のための払出明細に入っている署名は東山のものだし、東山自身も甘い汁を吸い続けてここまで来た。だから、こちらに真っ先に火の粉が飛んでくることはない。しかし、前と同じようには仕事はできないだろう。
 だからこそ、現体制での最後の大仕事は、確実に完了させる必要がある。田中は、北井春樹の顔写真が貼られたホワイトボードと目が合い、思わず顔を逸らせた。北井は、土曜日の夜十一時に受け渡しをすると言った。場所は自宅から二駅離れていて、到着してから鴨山に連絡し、そこで到着を待つ仕組みになっている。
 鴨山が捕まり、自分は無罪放免。北井は夢物語のような筋書きを信じ切っているらしいが、同じように追い詰められれば、自分だって最後の望みをかけるかもしれない。ただ、北井にとって不利なのは、南野が『行方不明』ということだ。北井がいくら『警察官にそう言われた』と主張しても、本人がもうこの世にいないのだから、録音でもしていない限り証明はできない。
 今は、午後八時。北井家を監視している班からは、まだ連絡はない。一時間前の連絡では、部屋の電気はほぼ全て点いていて、休日なのに誰も外に出ていないように見えると言っていた。鴨山の動向は夕方の時点で掴んでいて、工作所に立ち寄った後、駅前の立ち飲み屋で酒を飲んでいる。小さな鞄を持っていて、その中にコンバットコマンダーが入っている可能性が高い。
 
 
 午後八時半、総合運動公園のランニングコースで、ベンチに座る溝口は鎌池の携帯電話を鳴らした。
「こっちの監視班は?」
 鎌池が鼻で笑い、がやがやと騒ぐ声に負けない声量で言った。
「パチンコしてますわ」
 溝口は呆れたように笑うと、腕時計に視線を落とした。少なくとも一時間以内に、北井春樹は自宅を出るはずだ。鴨山の動きを完璧に押さえているから、こっちはどうでもいいのだろうか。銃器犯罪対策班の面々は、ぬるま湯につかりすぎた。無理はない。今までなら、機動銃殺隊が指定した場所に時間通り到着するだけで犯人を挙げられたのだから。
 ただ、ひとつの取引を双方から追うという、変に手間がかかることを総出でやらされているのは確かだ。本来なら、銃器密売の拠点になっている工作所に踏み込むのが一番早いのだから。しかし、鎌池がドアを全て解放して『どうぞ』と言ったとしても、令状が存在しないまま家宅捜索はできない。
「家の電気は全部点いたままやわ。今は商店街の中?」
「はい、そろそろ駅と反対側に抜けます」
「見つからんといてよ。私が怒られるんやから」
 通話を終え、溝口は耳に半分かかった髪の毛を後ろへ払いのけた。宮原は鴨山の近くにいるし、鎌池は北井家の近くをうろついている。自分もジャージ姿に野球帽で変装して公園にいるわけで、人のことは言えないが、休むつもりなどさらさらない。
 特に、身内同士で殺し合いをしている今の状態では。深川の左胸には、九発のダブルオーが突き刺さった痕があった。通称『ネズミの巣』。散弾は線条痕がないから、弾道分析ができない。廃工場に向かっていた日の夜、深川が突然電話をかけてきてUターンしろと言った理由は、今なら分かる。相手が村岡や佐藤のような『プロの殺し屋』なら、引き返せとは言わなかっただろう。宮原と鎌池を呼んで、『全員が合流するまで待て』と言ったはずだ。おそらく深川は、電話の時点で相手が身内だと知っていた。身内相手だと、私が引き金を引くのを躊躇するということも。
作品名:Firehawks 作家名:オオサカタロウ