Firehawks
川谷か鴨山が尻尾を掴まれた。顔合わせが中止になったという連絡を最初に寄越したのは川谷だから、少なくとも川谷は東山に首根っこを捕まえられている。関係者が全員死ねば、北井との取引も終わる。だとしたら東山が守るのは、外向きの顔である鴨山と工作所の川谷だ。あの二人がいれば、組織を再生することはできる。
深川はコンクリートの上に足を踏み出し、階段をゆっくりと下りた。光源は月の光だけで、割れっぱなしになった天窓から何か所か光が差し込んでいる。影の方向に注意を払いながら踊り場まで来ると、深川は拳銃の安全装置が解除されていることを親指で確かめながら、目が慣れるまで息を潜めた。これは、溝口を殺すためのお膳立てだ。おそらく東山の中では、こちらが南野を見殺しにしたことになっている。お返しに、機動銃殺隊の中から殉職者を出して解体するつもりだろう。頭で何千回と考えても実行に移すとは思っていなかったが、こちらの見込みが甘かったと言えばそれまで。工場の反対側で真っ黒な影が形を少し変えたことに気づき、深川は銃口を引いて発電機の反対側に頭を出した。一階に据え付けられた大きなコンプレッサーの後ろで、月の光に銀色の銃身が被ったのが見えた。深川は一階まで下りて管理室の裏を抜けると、東山が待ち伏せているコンプレッサーの裏へ回り、後ろから銃を突き付けて言った。
「銃を下ろしてください」
東山は振り向きざまに肘で深川の腕を払い、M66の銃口を向けた。深川はシリンダーを捕まえて手首ごと捻り、東山の顔にTRPの銃口を向けて、引き金を引いた。左耳が吹き飛んでコンプレッサーにぶつかった弾頭が跳弾した。深川は自分の右耳の鼓膜が破れたことに気づいたが、耳を押さえて悲鳴を上げる東山の手からM66をもぎ取り、投げ捨てた。
「慣れんことするからじゃ、ドアホ」
耳鳴りがする中、深川は東山の体を引きずった。月の光で明るくなった中央部分まで引きずると、顔の左半分が血まみれになったまま仰向けに転がる東山に言った。
「溝口を殺すつもりやったんですか」
東山は自分の左耳の形を確かめるように手で触り続けていたが、聴力が一時的にほとんど失われていて、深川の言葉には応じなかった。
「耳が潰れてる。無駄やぞ」
聞き慣れた声が後ろから響き、深川は振り返った。田中は数メートルの距離を保ったまま深川の周りを歩き、東山の側まで来たところで足を止めた。その手にベネリM1が握られていることに気づき、深川は言った。
「東山が単独でここまでやるかって、思ってました」
「勘が当たったな。お前が来るとは思ってなかった」
田中が言い、深川は口角を上げた。
「そっちの勘は外れましたか」
自分の判断は、完全に正しかった。深川はそう考えて、田中が向ける銃口をまっすぐ見つめた。その人差し指が引き金にかかったとき、深川は言った。
「いつか、お前らの番が来る」
田中はベネリM1の引き金を引き、深川の胸に散弾を撃ち込んだ。
『おかきって呼んでもいいん?』
三吉からのメールは、大抵が質問形式。彩菜は生体反応がなくなったような家の中で、メールの文字を何度も追っていた。夜中の三時。いつも通り眠れないのはいいとして、相手が寝ている内に返信しないと、このタイプのメールが次々に飛んできて、終わりがない。樟葉はまた四人でカラオケをしたがっていて、前の『放送事故』がそんなに気に入ったのかと、不思議な気持ちになる。何も面白がれない自分がおかしいのだろうか。彩菜はベッドの端に丸めた掛け布団に足を乗せたまま、緩やかな暖房の風がお腹の上を撫でている今の状況について、考えた。
小松は崩壊家庭に育ったらしい。三吉はアルバイトを二つ掛け持ちしている。それに比べれば、苦労なんてしていない。暖房はいつだってそこにあるし、眠れる布団もある。ご飯は冷蔵庫に何かがあるし、お風呂も蛇口を捻ればお湯が出てくる。思うままだ。でも、そんな全てが失われるかもしれない。啓子と書斎で話した日以来、今まで考えもしなかったことが頭に浮かぶようになった。それは、生まれてからずっと住んできたこの家も、当たり前ではないかもしれないということ。
北井春樹。いや、お父さん。どうして拳銃なんかを手に入れたいと思ったのだろう。彩菜はコップのお茶が一滴も残っていないことに気づいて、部屋から出て一階に下りた。魔法瓶に温かいお茶を入れるつもりで台所まで行くと、書斎の電気が点いているのが見えた。何をしているのだろう。今までなら、その方向に顔を向けようとすら思わなかった。今日は水筒よりも先に、興味が勝った。彩菜は書斎の前まで行くと、部屋をノックした。
「起きてる?」
しばらく無音だったが、やがて扉が目の前で開いた。
「彩菜、こんな時間にどうしたんや」
それはこっちのセリフだ。彩菜は春樹の顔を見上げると、そのまま目で部屋の中へ押し返した。
「仕事の資料が中々見つからんくてな」
春樹はテーブルの上の本を指差した。積算根拠の本。いつもそこに置いてあるだけで、適当な言い逃れだ。
「本物の銃を持つのって、法律であかんのやんな?」
それまで浮いていた埃すら一気に地面に落ちたように、空気が凍り付いた。本棚から本を抜くふりをしていた春樹が振り返り、それでもその目は逃げ道を探すように泳いでいた。
「啓子か」
「いや、自分で見つけた。お母さんは関係ない」
彩菜はそう言うと、机の引き出しを指差した。
「そこに入ってた」
春樹は支えがないと倒れ込みそうな様子で椅子に腰を下ろすと、言った。
「今、警察の人と話してるとこや。もうちょっと待ってくれ」
「捕まるん?」
彩菜が言うと、春樹は首を横に振った。説得力が全く感じられない弱々しさに、彩菜は続けた。
「警察の人って、もう銃を持ってることは知ってるん?」
「知ってるよ。取引相手を捕まえたいから協力してくれって、言われてる」
彩菜は春樹の言葉をすぐに理解し、うなずいた。スパイのようなことを頼まれているということだ。
「それが成功したら、お父さんはどうなるん?」
「その警察の人が言うには、今持ってる一挺については押収するけど、罪には問わんらしい」
本当だろうか。彩菜は警察に補導されたときのことを思い出していた。『ちょっと話を聞かせてほしい』というのが決まり文句だけど、それで済んだ覚えなんかないし、そもそもこっちの話なんて、聞いてくれたことがない。
「ほんまに、捕まらんのかな」
言葉に出すと、自分の声が耳から帰ってきて、胃の辺りにずしんと落ちた。
「大丈夫や。ごめんな」
春樹が言い、彩菜は書斎の床に座り込んだ。春樹が座って同じ目線まで来たとき、彩菜は言った。
「なんでなん? 銃が好きとか、知らんかったけど」
「昔から、映画とかに出てくる銃が好きやった。結婚するときにモデルガンとかは全部処分したから、彩菜は知らんかったと思う」
「また、欲しくなっただけ?」
彩菜は無意識にそう言ってから、思った。どうして理解しようとしているのか、自分でも分からない。家が一挺の銃でめちゃくちゃになりつつあるのに。
「バーでよく喋る知り合いに、紹介してもらった。その辺の事情に詳しい奴でな」