Firehawks
努力から逃げて言い訳で塗り固め、どんどん低いところへ落ちていく人間。『あいつとの約束があるから』とか、『面子が』とか一人前に語る姿を見ていると、苛立たしいのを通り越して滑稽ですらある。鴨山や川谷のような人間は、言葉を吐き出す前に同じ場所へ鉛弾を押し込まれるべきだ。
溝口はタイマーを十五分にセットすると、目を閉じる気にもなれないまま、座席を少しだけ倒した。
リンは、帰り道にいつも立ち寄るラーメン屋があり、アパートまでまっすぐ続く道をやや遠回りする必要があったが、店が開いている時間に解放されたときはできるだけ足を運ぶようにしていた。赤のれんは破れかけているし、出てくるのは普通のラーメンだが、家までの道にちょうど羽を休める場所があるというのが、気に入っていた。周りに家はなく、トラックが見向きもせず猛スピードで通り抜ける幹線道路沿いだから、人目にもつかない。
立ち回りさえ覚えれば、この国で三食にありついて人並みの生活を送るのは、全く問題なかった。初めて訪れたときの立場は留学生で、転機は予定調和のように訪れた。まず大学を辞め、ビザが切れて不法滞在となり、それを気にも留めない人間の世話になり、機械いじりの腕を見出されて銃器密売の世界へ足を踏み入れた。三十歳を過ぎた今、祖国では使い切れないぐらいの金が、手元にある。
「じゃ」
リンはそう言うと、途中まで一緒に歩いてきたヨウに手を振った。ヨウはさらに遠くまで歩く必要があるし、胃が弱いから丼一杯のラーメンは食べきれない。しかし、その経歴は弱い体に反比例するように筋金入りだ。手に職があり、わざわざ国外から呼ばれるぐらいの人間なのだから。それぐらいの技術を身につけないと、犯罪でも食っていけない時代が来ている。リンはのれんをくぐると、いつも通り端の席に座って塩ラーメンを注文した。
ヨウは、ラーメン屋の電飾を振り返って足を止めた。一緒に食べてもよかったが、仕事が終わったらすぐに帰るという主義は、年々固着して動かせなくなってきている。それは前の組織にいたときも同じだったが、結果的にその主義のお陰で、今も生きている。誰と仲が良くて、誰と仲が悪い。そんな噂が独り歩きすると、どこかで足元を掬われてしまう。河川敷の道を歩き、アパートの光が遠くに見えてきたとき、川の反対側から渡ってきたカローラバンが目の前で停まり、運転席から降りてきた長身の男が手に持った写真を眺めて、ヨウの顔と見比べた。
「何?」
ヨウがそう言ったとき、宮原はブローニングハイパワーでヨウの顔を撃った。
カウンターの端でリンがラーメンを食べ終えたとき、のれんが揺れて店主が顔を向け、右手に持っていた計量カップを落とした。リンは入口の方向を向き、覆面を被った男が構えるTRPの銃口と目を合わせて、口をぽかんと開けた。深川は一発をリンの頭に撃った。そのまま店から出てレガシィB4に乗り込むと、覆面を助手席に脱ぎ捨てた。
関係者が先にいなくなれば、手の出しようもなくなる。身内から『機動銃殺隊』と呼ばれているのは、躊躇なく引き金を引けるからだ。深川は高速道路に合流すると、アクセルを踏み込んだ。
あとは、鴨山と川谷。
「そうやな、さっきポニテから連絡があった」
川谷はそう言うと、電話越しに唸る鴨山の反応を待った。
「そうかー、いつやって?」
「三日後」
川谷が言うと、鴨山はようやく納得した様子で呟いた。
「了解。こういう話は、ちゃんと決まってから呼んでくれって話やな」
ポニテ主催の顔合わせは中止。今までに一回もなかったことだから、余計に文句が出るのだろう。川谷は電話を切って前に少しだけ屈み、後頭部にずっと触れている銃口から逃れた。
「いいですか?」
「上出来やな。名演技や」
スカイラインの後部座席に座る東山は、言い終わるのと同時にスミスアンドウェッソンM66の銃口を下げ、上着の胸ポケットから名刺を取り出した。
「これ、持っといてくれる?」
その名刺を見た川谷は、どうしてこの場で自分を捕まえないのか不思議に思い、振り返った。よく見ると、左目の真下が青く腫れている。東山は瞬きの度にその痛みを思い出しているらしく、M66を低く構えたまま呟くように言った。
「いや、なんも難しいことはないねんけどな。お願いごと」
川谷が何でも聞き入れることを示すために深くうなずくと、東山は言った。
「北井さんとの取引、進めてもらえるかな?」
「はい、来週あたりに動くと思います。それだけですか?」
「今のところは」
東山はそう言うと、スカイラインから降りた。その後ろ姿をじっと見届けて、カペラのエンジンがかかるのと同時にヘッドライトが点いたとき、川谷はようやく息をする権利を取り戻したように深呼吸すると、シートに体を預けた。警察に尻尾を掴まれた。
鴨山との取引現場を押さえるつもりだ。警告したいが、そんなことをしたら東山からのお灸が待っている。いや、お灸で済むのだろうか? 東山はずっと後頭部に銃口を突き付けていた。あのまま引き金を引いたとしても不思議じゃない。とにかく鴨山を差し出せば、自分は後腐れなく抜けられる。とりあえず趣旨だけは理解できた。
鴨山からメールが届き、鎌池は工作所の電気を途中まで消していた手を止めた。
『用事なくなったわ、どこで飲む?』
ポニテの用事が中止になった。鎌池は深川に電話をかけた。
「顔合わせが中止になったと、鴨山から連絡ありました。つい今です」
「分かった。工作所からすぐに出ろ」
深川はそう言うと、電話を切った。大型トラックの前へ割り込んで高速道路のランプを下りると、レガシィB4を高架下でUターンさせて溝口に電話をかけた。
「引き返せ」
「三十分後ですよ」
溝口は、顔合わせに使う廃工場に向かっている。後三十分で着く距離なら、ほとんど一本道だ。
「計画を変える、今すぐ引き返せ」
「承知しました」
到底、承知していない声。深川は言った。
「引き返したか?」
「今、Uターンしてます」
砂利を踏む音が聞こえる。深川はレガシィB4のアクセルを底まで踏み込み、シフトレバーを三速に入れた。
「鎌池と合流しろ。おれと宮原の用事は済んだ」
「承知しました」
さっきとは全く異なる口調で言うと、溝口は電話を切った。リンとヨウが死んだことを理解したのだろう。深川はオーディオの時計を見た。こちらの方が、溝口よりも近い場所にいる。あと十分程度で廃工場の裏口まで行けるはずだ。山道を猛スピードで走らせながら、深川はトランクに何も入っていないことを思い出した。手持ちは、45口径と予備の弾倉が二本だけだ。
廃工場へ続く道に入る直前にヘッドライトを消すと、深川は入口を塞ぐようにレガシィB4を停めて、エンジンを止めた。運転席から降りてTRPを右手に持つのと同時に弾倉を入れ替え、長い砂利道を静かに歩いて廃工場に辿り着くと、二階部分の割れた窓から中を見下ろした。茂みに隠されているが、一台の車が見える。東山のカペラ。