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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Firehawks

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 何から修復していいのか分からないし、修復できるのかも分からない。ただ、時間だけは平等に過ぎてくれるということだけが救いだ。一日が一週間になり、やがて一年になり、四年経てば彩菜は高校を卒業する。食わせるのはそこまでだ。任務を終えたら、北井家は解散する。独り身になれば啓子は井戸端会議から解放されるし、自分はもう何も考えずに済む。彩菜は『おかき』として生きるにしろ、改心するにしろ、好きにすればいい。
 窓に映る自分と目が合い、やや隙間の空いた頭頂部や目の下に残った隈を見て、北井は苦笑いを浮かべた。中背中肉、しわの寄ったグレーのスーツ。コピー機から吐き出されたようなサラリーマン。見た目は昨日と何も変わらないし、むしろ緊張した分、今日の方が疲れているぐらいだ。しかし、拳銃には不思議な力があるらしく、手元にあると分かっているだけで頭はすっきり抜けたようになるし、本音を止めておくためのストッパーも抜けてどこかへ行ってしまう。
 最寄り駅で降りたときには緊張感もほとんど抜けており、北井はコンビニで缶ビールを一本買い、その場で中身を飲み干した。飲み会と言ってあるから素面で帰るわけにもいかないし、あまり酔っぱらうとマカロフをじっくり観察できない。元々酒が強い方ではなく、今も急に胃袋へアルコールを入れたことで、喉から耳にかけてじんわりと痺れるような感覚が返ってきていた。
 夜道を早足で歩き、北井は静かに玄関の鍵を開けた。新興住宅地のコピーみたいな家は避けて、道路を一本挟んだ反対側の建売を選んだ。右側は運動公園の雑木林で、左側は住宅街だが細い川を挟んでいるから、騒音はほとんど聞こえてこない。だからこそ、こういうときは自分の一挙一動が目立ってしまう。できるだけ暗い陰を縫うように歩いて玄関に辿り着くと、北井はドアノブを捻るのと同時に舌打ちした。鍵がかかっていない。彩菜は何度注意しても聞かないが、それには理由がある。何年か前に鍵を持って出ていないことを忘れて、家の外に締め出してしまったことがあったからだ。それ以来、彩菜は自分が出入りするとき、絶対に鍵を閉めなくなった。
 玄関で革靴を脱いだ北井は、静かに一階の書斎へ直行した。リビングからはテレビコマーシャルの音が流れていて、啓子の後頭部が微かに見えた。彩菜の靴は二足並んでいるが、それだけでは家にいるという証明にならない。どの道今日は酒を飲んでいるから、警察のお世話になっても迎えに行けない。残念だが、啓子にやってもらう。誰にも邪魔をされないための計画は、我ながら完璧だった。北井は書斎の扉を隙間なく閉じると、バッグの底からマカロフを取り出して、右手に持った。遊底を開放して蛍光灯にかざすと銃口から薬室まで光が抜けて、手で触った部分の指紋跡が虹色に光った。これはやはり、今までとは違う。北井はマカロフを眺めながら、あまり耐性のないアルコールをもう少し買い足してもよかったかと後悔した。遊底を元に戻してしばらく眺めていると、閉じた扉越しに玄関のドアが開く音が聞こえ、北井は耳を澄ませた。珍しく、彩菜が帰ってきた。スニーカーをぶつけるように脱ぐ音と、ぺたぺたと廊下を進む足音。書斎に入ってくることはまずない。リビングに顔を出して、啓子の後ろ姿を確認したら、そのまま二階に上がる。閉じた扉の向こうで足音が止まったとき、北井はマカロフの銃口を扉に向けて、引き金を引いた。ジッポライターの蓋が閉じたような音が鳴っただけだったが、それが合図になったように彩菜は二階へ上がっていった。
 
 
 深川徹は、一時間前に鳴った携帯電話の通話内容を聞き取りながら、倉庫の蛍光灯を全て点けた。免許証には、川谷純平の文字。有効期限も切れていなければ、取り消しになったこともないし、裏面はまっさら。綺麗なものだ。マイルドセブンの煙を吐き出しながら、深川は呟いた。
「本丸はリンさんか。よう分かった」
 出稼ぎの銃器密売人。その通訳が川谷で、パイプ役。深川はテーブルの上に並べられた四挺の五六式と箱に入った7.62×39mm弾を眺めた。
「うちの人間は、アカの弾って呼んでる」
 倉庫の車回しにスカイラインが停まり、運転席から溝口恵美が降りてくるのを見た深川は、マイルドセブンを携帯灰皿に揉み消した。溝口は二十八歳、銃器犯罪対策班の中では最若手。大卒採用で、警察学校内での評判は『跳ねっ返り』。体力と頭脳は共に同期の中ではトップクラスだった。しかし、数字に表れない部分に最大の特徴がある。それが表に出たのは、校内で起きた集団暴行事件のときだった。教官が面白がって命令した『こいつの顔を便器に突っ込め』という言葉を、溝口は標的になっていた同期ではなく、教官に対して実行した。教官は上下の右臼歯から左臼歯までを全て折り、右の頬を骨折した。
 溝口への処分を裏から保留させたのは歯無しになった教官の同期で、外事課の銃器犯罪対策班を取り仕切る田中班長。その時点で、溝口の人事は決まっていたとも言える。二年ほど『地域のおまわりさん』をこなした後、リクルートスーツを着た新入社員のような出で立ちで、まずは当時深川が属していた外国人犯罪対策班の一員となった。
「遅くなりました」
 アップに括った髪を揺らせながら、溝口は鍵をスーツのポケットにしまい込んだ。くっきりとした二重まぶたは大きな目をやや押し下げていて、常に少し眠そうな雰囲気を付け加えている。身長百六十センチで細身だが、懐まで間合いを詰められたら大抵の人間は急所を突かれて倒される。
 深川は三十三歳で身長が百八十センチあり、そのがっしりとした体格を目にした人間のほとんどは、トラブルを避けることを選ぶ。深川は自分から争う気がないことを示すために敢えて伊達眼鏡をかけていることが多く、今もそのようにしていた。四年前までは銃器対策部隊の一員で、田中の独特なスカウト方法によって白羽の矢が立った。表向きは『重大事案に関わった隊員のカウンセリング』と称した専門医による心理分析だが、目的のために倫理を無視できる人間を探している田中からすれば、体力を持て余す隊員の診断結果は宝の山で、特に深川はいずれ問題を起こして警察組織に居場所がなくなるのは明らかだった。根の部分に横たわる正義感と目的意識が固めた右手に伝わるまでのスピードは、恐ろしく速い。
 溝口はワイシャツのボタンをひとつ開けて深呼吸をすると、モードを切り替えたように目を大きく開いた。ホシが尻尾を出したところを捕まえるのが仕事だと教わったが、これはどちらかというと、ホシが尻尾を出すまで横っ腹を蹴り上げる仕事だ。そのためには、相手と同じ土俵に下りなければならない。現にこの四人は、スーツ姿のコンビである自分たちが警察官だとは思っていない。溝口が小さくうなずくと、深川は不意に口角を上げて微笑み、川谷の頭をつついた。
「ほな、始めるか」
 川谷、リン、チン、ショウヘイの四人組。川谷は二十一歳で、残りの海外組は三十代。今は椅子に縛り付けられていて、電気椅子と違う点があるとすれば、頭上に電気を流す機械がないということぐらい。深川はリンの前に屈みこんで伊達眼鏡を外すと、左右に泳ぐ目を追い始めた。
「弾倉が十二本。大使館でも襲うつもりか?」
作品名:Firehawks 作家名:オオサカタロウ