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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Firehawks

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二〇〇二年 十一月
 
「無理、先回りされてた」
 携帯電話のフラップが耳と肩の間で捩れて、折れそうになっている。それに、さっきからアクセルを踏み込んでもタイヤが空転するだけで、白煙が上がるだけだ。何かに乗り上げたままになっている。シンダーブロックが車体に噛みこんでいることに気づいた鴨山は、シフトレバーをパーキングに入れてドアを勢いよく開けた。方向転換しようとして空いているところへ突っ込んだら、勢い余って車止めに乗り上げてしまった。いつもよりも少しだけ持ち上がった車体のせいで足が届かず、鴨山は転びそうになりながら壁に手をついて、バランスを取った。このBMW525iともお別れだ。逃げ道はまだある。
 走り出しながら、鴨山は訊いた。
「リンは?」
 字は林だが、ハヤシではない。中国から観光ビザでやってきた『職人』で、向上心の塊だ。最近、五六式を取り扱い始めた。見た目はそのままカラシニコフで、刻印を気にしない筋に人気がある。鴨山は路地に入り込んで走りながら、手の中で上下左右に揺れる携帯電話に向かって言った。
「あいつまで手が回ったら、えらいことになるぞ。分かったな? 絶対に捕まんなよ」
 そのまま通話を切ってフラップを閉じ、ダウンジャケットのポケットに携帯電話を押し込んだとき、鴨山は足を緩めることなく後ろを振り返った。人影がないことを確認してから雑居ビルの一階に飛び込むと、看板に目を通してエレベーターに乗り、二階へ上がった。とりあえず緊急避難できそうなバーがある。扉を開いて数人が座るカウンターの一番奥へ陣取り、鴨山は差し出されたおしぼりで汗まみれの顔を拭いた。
 四十歳になって、食い逃げ犯のように全力疾走する羽目になると思わなかった。しかしこの業界に身を置いた八十年代後半、いつもディスコで大騒ぎをしていた当時の先輩に教えてもらったことが、今更役に立っていた。
『ただの噂だからといって、完全に無視はするな』
 誰かが、最新型のスカイラインセダンだと言った。アスリートシルバーのGTターボで、左の後部ドアにへこみがあるとも。密輸銃を保管している『工作所』の近くでも目撃されていた。見た目は普通の工場で、もちろん看板には『銃器密売』とは書いていない。
「ご注文を」
 猫背で座る鴨山の前で、バーテンダーが待ちかねたように言った。
「オールドパー、ロックで」
 鴨山は追い払うように言うと、自分の汗を吸ってくたくたになったおしぼりを見つめた。工作所の周りをうろついていたスカイラインは、鴨山が住んでいるマンションの近くにもいた。運転手は人相の悪い大柄な男で、ゴミ出しをしている主婦に話しかけていたらしい。そしてつい十分前、そのスカイラインが目の前に現れた。ブルガリア製のマカロフを一挺納品して、路駐したBMWに戻ってきたところだった。数週間に渡って聞いていた噂が現実になり、その意図が分からないまま、とりあえず逃げた方がいいと危険信号が光った。海外の人間を引っ張り込むと、何かがついてくる。それもディスコ中毒の先輩がくれたアドバイスだったが、その先輩は自分の言葉を証明するみたいに、雇っていた留学生の男に一家ごと殺された。
 鴨山は目の前に置かれたグラスを眺めた。BMWの名義は辿られても一向に構わない。そんなところで尻尾を出すような馬鹿ではない自信がある。
 しかし、あのスカイラインは何を辿ってここまで食らいついてきたのか。


 凄い音がした。駅のホームで電車を待ちながら、北井春樹は雑居ビルがひしめくエリアに視線を向けた。ついさっきまで自分がいた方向。煙やパトカーのサイレンは見えない。しかし、車が壁に激突したような破裂音だった。
 ホームの天井から吊るされた電光表示板は二分後に快速が来ると主張していて、まるでこちらを安心させようとしてくれているみたいだが、二分という中途半端な待ち時間は逆効果だった。社会人になって十七年、電車の時刻表に体を合わせて生きてきた。若いころは朝八時から夜中まで、課長になってからのここ数年は、朝九時から夜九時。自分が乗る電車が何分に到着するか、それに合わせて歩くスピードを早めたり、喫茶店で一服したりする。今まで無意識にやってきたことを変に自覚するようになったのは、自分がやってきたことに胡坐をかけるようになったからだ。
 一分半が経過し、遠くに快速電車のヘッドライトが見えた。鈍行と同じで車体は真四角だが、最寄りまでほとんど停まらない。北井はドアが開くなり車内へ入り込み、空いている席に素早く腰を下ろすと、あちこち傷だらけのビジネスバッグを膝に置いて、その重みを実感しながらドアが閉まるのを待った。薬局の看板に、ぼんやりと影絵のように浮かび上がるタワー型のパーキング。雑居ビルを照らす赤と緑のネオン。見慣れない駅。今日は、家とは反対方向の電車に乗り、普段はほとんど足を運ばない東側の繁華街まで足を伸ばしている。時間は夜の十時半。妻には、飲みに誘われたと言ってあった。
 快速が動き出し、北井は少しずつ流れていく景色から顔を背けた。さっきの衝突音は、あまりにもタイミングが良すぎた。本当に、自分に関係していたとしたら。取り返しのつかないトラブルに自分から突っ込んでいったと、世間からはそう見られるだろう。
 トラブルの本体は、最初は紙袋に入っていて、今はバッグの底で逆さまになっている。鴨山はブルガリア製だと言っていたが、後で刻印を確認しなければならない。本当はワルサーやコルトといった西側のブランドが良かったが、鴨山は小型の拳銃だとマカロフが一番手っ取り早いと言った。人を撃ちたいわけではない。ただ、手元に持っておきたいだけだ。昔から銃が好きで、エアガンやモデルガンはひと通り収集した。二年ほど前に無可動実銃のRPKを触ったとき、どうしても実銃が一挺欲しいと思うようになり、その考えは鴨山とバーで出会うまで、ずっとくすぶり続けていた。小柄で全体的に丸い鴨山は同い年で、本当に初対面かと思うぐらいに気が合った。銃に対する熱意や知識はほとんど専門家の域に達しており、半年ほど交流が続いた後、鴨山は『ちょいちょい流通はしてるよ。東側の銃が多いけどな』言った。実用ではなく、コレクター向け。弾の手配だけは絶対にご法度。
 色々な制約があったが、手元に拳銃があるという状態は、つい十五分前に実現した。会社の最寄り駅を通り過ぎた北井は、最大の危機を乗り越えたように息をついた。このまま誰も追いかけてこない世界に運んでもらえれば、どれだけいいか。実際には、これから家に帰らなければならない。問題だらけの北井家。その原因のひとつが仕事中毒の自分であることは間違いないし、近所づきあいの井戸端会議で毎日のように毒を仕込まれている妻の啓子も同じだろう。そして、不良仲間の間で『おかき』と呼ばれているらしい娘の彩菜も最近メンバーに加わった。彩菜はまだ十四歳だが何度も補導されていて、署に迎えに行くと警察官から『お父さん、まいど』と嫌味を言われるぐらいになっている。
作品名:Firehawks 作家名:オオサカタロウ