Firehawks
サイドミラーに黒い影が映ったことに気づいて、宮原は目を凝らせた。流れていく景色が寸断されたように塗り潰されて、その影がミラー全体を覆うぐらいになったとき、影の正体がヘッドライトを消して猛スピードで走るダンプカーだと気づいた。車種は古い年式のふそうファイターで、巨大な灰色の車体が時速百キロで追い越していき、前のウィンダムが風に煽られて少し左に寄った。宮原が無意識にアクセルを緩めたとき、ターセルセダンの真横に並ぶ直前で、ファイターは突然車線を跨いだ。出口ランプとの分離帯が近づいていて、何が起きるか頭の中で結び付けた宮原はブレーキに足を乗せるのと同時に、追い越しのときに無意識に読み取っていたナンバープレートを記憶に刻んだ。ふそうファイターはターセルの右側面に衝突すると、道連れにするように引きずり始めた。火花が散り、分離帯にまっすぐ激突させられたターセルは空中に舞い上がると、屋根を下敷きにして横転しながら車線を塞いだ。ウィンダムがふらつきながら急ブレーキを踏んで停まり、宮原はその車体を避けてレガシィを停めた。後ろを走っていたアルテッツァが出口ランプを下りていくのをミラー越しに見て、宮原は即座に連絡を入れようとする手を止めた。運転手は事故を起こした車両ではなく、自分の方を向いていた。アルテッツァの運転手は次にウィンダムの車内を窺うと、スピードを上げて出口を下りていった。宮原はトランクを開けると発煙筒を持ってレガシィから飛び出し、目の前で起きた事故が信じられない様子で立ち尽くすウィンダムの運転手に言った。
「三停置いてきますから、発煙筒撒いてもらえますか」
あのダンプカーは、事故を起こした相手の車を使って、上手く車線を塞いだ。後ろを走っていたアルテッツァの運転手は、ダンプカーと同じ意図を持っていたに違いない。宮原は三角停止板を置くと、発煙筒を擦って地面に置いた。
ただの事故じゃない、あれは五六式の男を狙った殺しだ。だとすれば、後ろをついていたアルテッツァは、他に追手がいないか確かめていたと考えるべきだ。自分の目で見た全てを報告する必要がある。冬なのに腕まくりをしていて、その左腕には隙間なく刺青が入っていた。
深夜、ちょうど日付をまたいだところで、鴨山はブルーとピンクのネオンが混ざり合う受付を抜けて、鎌池に言った。
「まず、川谷に連絡が入ったらしい」
繁華街の真ん中に陣取るクラブ。メインのフロアではイベントが行われていて、客層は年齢が高めだった。古い曲が大音量で鳴り響く中、鎌池は声を張った。
「一見さんやな?」
「そうや、大口になる可能性もある」
鴨山は周りに拾われないギリギリの声で返答し、貸し切りエリアの入口に立つ男に名前を伝えた。男は鴨山と鎌池の顔を交互に見た後、ロープを外した。さっきまでの騒音が振動と微かに聞こえる歌声だけになり、鎌池は深呼吸をした。鴨山はそれだけでは緊張が収まらず、シャツのボタンを引きちぎるように引っ張って、胸元から風を入れようと試みた。
鎌池は、数時間前に宮原が遭遇した『事故』のことを思い出していた。ターセルに乗っていた五六式の男は即死。今は、溝口がダンプカーのナンバープレートを照会している。曲が切り替わってボビーヴィントンの『ミスターロンリー』が流れ出したとき、部屋の前で門番のように立つ男と目が合い、鴨山が小さく頭を下げた。男は小さくうなずいてドアを開き、中へ入るよう促した。鎌池は中へ通されるのと同時に、一度周囲を見回した。
四十代後半と思しき男がひとり、ソファに座っている。サラリーマンのようなスーツ姿で、テーブルの上に置かれているのはウィスキーとミックスナッツ。居酒屋でも違和感がないというよりはむしろ、一番広い部屋を貸し切りにするタイプの人間には見えなかった。鎌池は、部屋の中に微かな香水の匂いが残っていることに気づいたが、顔を不自然にあちこちへ向けることはせず、ソファから体を起こした男が言葉を発するのを待った。
「こんばんは、どうぞ座ってください。私は岩村と言います」
岩村が促し、鴨山は鎌池と動きを合わせるようにソファへ腰かけた。鎌池は、門番の男が中へ入ってきてドアを閉めたことを音で確認した。
「お忙しいところ呼びつけて申し訳ない。近頃は物騒でね、何ごとも手順を踏まんと危ないんですわ」
岩村はウィスキーに手をつけることなく、手を差し出した。鴨山と鎌池が順番に握手を交わしたとき、門番の男が上着を脱ぐと岩村の隣に腰かけて、言った。
「村岡です」
二人は同じ順番で握手を繰り返した。鎌池はできるだけ視線を合わせないよう気を配りながら、村岡の全身を視界の隅で捉えた。白いワイシャツ越しに、左腕に入った刺青が見える。宮原が言っていた、アルテッツァの男と特徴が一致する。今は、そんなことを頭で考えるだけでも正体を見抜かれそうだ。鎌池は村岡の目を見て、言った。
「よろしくお願いします」
村岡が目礼を返し、岩村が口を開いた。
「ほな本題、行きましょか。うちらはどうしようもない連中でね。道具がないとなんもできんのですわ。仕事の出来が道具で決まるゆうのも、お恥ずかしい話なんですがね」
一旦言葉を切ると、岩村は鎌池に目を向けた。
「お二人、揃ってた方が良いですか? できたら新人が暇せんように、どっちかひとり付き合うたってほしいんですが」
それが合図になったように、柱の陰になる位置から出てきた若い女が鎌池の隣に座った。岩村は言った。
「彼女は、佐藤と言います」
鎌池は自分の真横に座った佐藤の顔を見た。黒のスーツ姿で姿勢が良く、ホテルの受付嬢にも見える。鴨山が前のめりになって、岩村に言った。
「前もってお話しした通り、西側の銃を手配できます」
自分が知らないところで話が進むのは、できれば避けたい。しかしここで粘ると、岩村の考えるペースを崩すことになる。次に聞かれるのはおそらく理由で、そこで詰まると最悪の結果を招くのは間違いない。佐藤が立ち上がり、鎌池はそれに合わせて立ち上がると、二人で部屋から出た。客がまばらに集まるバーカウンターまで歩く間、考えた。
五六式の男を殺したダンプカーの運転手も、間違いなくこの組織の一員だ。事前に警察にマークされているかどうかを確認するためだろう。つまり、本気で取引を進めるつもりということになる。
「無口ですね」
佐藤がぽつりと言い、鎌池は繕うように笑顔を作ると、言った。
「場慣れしてなくて、申し訳ない」
佐藤は大きく開いた目をちらりと向けると、前に向き直った。背丈は百六十センチ半ばで、目線の位置はさほど変わらない。鎌池はできるだけ視線を向けないようにしながら、その顔を頭に刻み込んだ。
「音のうるさい場所は、わたしも苦手です」
部屋とバーカウンターまでの中間地点に辿り着いたとき、佐藤は足を止めて鎌池の方を向いた。鎌池が同じようにすると、つま先立ちになった佐藤は鎌池の頭上を見下ろして、言った。
「頭に傷がありますね」
「バイク事故でね。ノーヘルでがっしゃーんと」
元の姿勢に戻った佐藤はうなずくと、鎌池の右手に視線を向けた。意図を汲んだ鎌池が両手を出して手の平を向けると、佐藤は手相を読むようにじっと見つめた後、言った。