Firehawks
深川が言うと、南野は余計にハンドルを強く握り締めた。その爪先は微かに白くなっていて、車が路肩のでこぼこを拾うたびに力を込めなおしているようだった。三十分ほど走って倉庫に辿り着き、深川は東山と南野を案内すると、川谷がこれまで取引してきた実績を並べた。直近ではトカレフが二挺と、マカロフが一挺。コレクター向けで、今のところ次の予定はない。この世で最もつまらない物を見たように、東山は顔をしかめた。
「四人がかりで何をしててん? この民間人ってのは、ただのガンマニアか」
「おそらく、コレクターかと」
深川が答えると、相槌を打たない東山の代わりに、メモを取っていた南野が小さく咳ばらいをした。十分程度でひと通りの連携が終わり、東山は南野の背中をぽんと叩いた。
「いこか」
カペラがふらつきながら出て行き、深川は中断されていた『仕事』を頭に呼び起こした。溝口が戻ってきて仮眠を取り、深川は田中に報告するための文章にまとめると、起きてきた溝口に『白猫』の話をした。その反応を見る限り、仮眠の後にして正解だった。眠る前に話したら、そのまま起きていただろう。深川が夕食の段取りを考え始めたとき、宮原からメールが届いた。
『集会場から移動してます』
「動いたぞ。どっか行きよるみたいやな」
溝口は腕時計に視線を落とした。午後八時。交通量が多くて、目立つ時間帯。五六式の男がどこへ向かうのかはさておき、ぼうっとはしていられない。深川は鎌池から届いたメールを読んで、溝口を手招きすると画面が見えるように携帯電話をひっくり返した。
『ちょうど一週間後、夜中に鴨山も連れて顔合わせです。新しい顧客の可能性大です』
「こっちも動いたぞ。でこぼこコンビも間が悪いな」
深川が笑うと、溝口は露骨に顔をしかめた。
「東山と南野ですか」
「そんな顔したるな。これからは情報を連携せなあかん。年内に成果を出さんと、鎌池も引き上げやしな」
これは、鎌池と宮原には言っていない。あの二人は思っていることを表情から完全に消し去ることができない。しかし、溝口は一旦全てを飲み込んで、何ごともなかったかのように振舞うのが上手い。反面、飲み込むまでの反応は一番激しいが、それは聞く側が耐えるしかない。
「そんな……、年内って何を根拠に」
「なんやろね、田中班長もケツに火ついてんのかもな」
「人のケツが燃えるのを、私たちが消さないといけないんですか」
溝口が早口で言い、深川は笑った。
「まあ、それも仕事の内や。田中に守られてる部分もあるからね。東山も今おったら、楽しめたやろうにな。呼んだるか?」
「いいえ、相手にとって迷惑かと」
溝口がぴしゃりと言い、深川は眉をひょいと上げると、携帯電話のフラップを閉じた。実際に呼んでも構わないが、東山の関心事はあくまで手近な成果だから、盛り上がらない可能性の方が高い。東山と南野は、天秤の反対側にいる。溝口が考えている通り、手が届く範囲までしか近づいてこないだろう。
水曜日の朝六時、布団から半分頭を出したまま天井を見つめていると、メールが届いた。彩菜は『メール受信中』と表示された画面を眺めながら、青白い光よりも遥かに眩しい朝日に目を細めた。全く眠れなかった。北井家とはつまり、お風呂と布団。
小学生のころ、高学年になるにつれてどんどん自信がなくなっていった。それはまっすぐな下り坂で、中学校に上がって今まで馴染んだ環境と離れ離れになり、新しい先輩や先生に囲まれることを想像したら、絶対にやっていけるわけがないと思っていた。六年生のときに同じクラスだった樟葉弥生とは、小学校を卒業したら死のうと約束していた。そのはずが延長に延長を重ねて、もう十四歳。死ぬための『いっせいのーで』が、もう二年続いていることになる。そして幸いなことに、二年生に上がってクラスが変わっても、樟葉との友情は続いている。だからこんな風に、『おかき、おはよー』とメールが来るのだ。寝ていないって分かっているだろうし、樟葉は誰かと夜通し一緒だったに違いないけど。小学校のとき、誰かが樟葉の名字をからかって『クズ』と呼んでいたのをやめさせた。それが友達付き合いのきっかけになった。今は援助交際の噂が広まっていて、『くずかご』というあだ名が定着しつつある。新しい世界に足を踏み出すのではなく、踏み出した先に足場がなくても気にしない。そんな樟葉はいつも『おかきは、勉強して偉くなりや』と言う。こちらのあだ名の由来は樟葉に比べたらだいぶ平和で、子供なのに年寄りが好むような醤油味のおかきをいつも食べていたから。
偉くなるための気合いを樟葉から入れてもらえるのは、助かる。でも、この家でどうやって? 北井家は、最低限の義務を果たす他人の集まり。北井春樹は外で仕事をして、北井啓子が家を守って、北井彩菜は……、娘の役をする。
今日は、北井春樹が役割を放棄したらしい。朝食が皿ごとゴミ箱に放り込まれる音が聞こえた。どちらかというと、猫みたいに手を出す直前までお互いを避けるタイプだと思っていた。でも、ここ数日は夫婦喧嘩の質が違う気がする。
昨晩、一階で口論がまだ続いている中、男性と女性の揉め事について大先輩の樟葉に相談した。
『まー、夜遊びってことはないと思うけど。疑惑的な?』
そんな可能性なんて、考えもしなかった。確かに北井春樹は、家に帰ってくる時間がいつも遅いし、お酒に弱いくせに酔っていることもある。ここ一週間ぐらいは、特に変な感じだった。書斎に入ったら一切出てこないし、確かに人に言いたくないことがあるときは、自分もそんな風にすると思う。大人も同じなんだろうか?
『寝れんかった。学校無理かも』
樟葉が今日登校するとは思えないし、最近よくつるんでいる高校生の男子二人と遊びに行くはずだ。名前は確か、小松と三吉。だから、こんなこと樟葉に言っても、あまり意味はない。
『それは、無理でいい。今って、家にひとり?』
『母が一階で暴れてる』
返信がすぐ欲しくてセンターに問い合わせしたけど、一分半ぐらい音沙汰はなかった。布団を頭にかぶって眠ろうか考えていると、ようやく短いメールが届いた。
『いつまで?』
『そんなの、分かるわけない』
彩菜はすぐに返信すると、日付が変わってから初めて笑った。やっぱり樟葉の言うことはどこか面白い。
『ひとりになったら、父の秘密を探ってみたらいいよ』
興味がないわけじゃない。子供のときは、夫婦仲が良いと思っていたぐらいなのだから。自分が無理やり二人の手を引いて夫婦のように見せているだけだと気づいてからは、自分だけが関心を寄せる一方的な状況が馬鹿らしくなったけれど、いつもと違うことが起きている今は、樟葉の提案が魅力的に映る。
彩菜は、無理やり体を起こして跳ねた髪にピンを通し、眠そうな顔をそのままにして一階へ降りた。首だけ現世から隔離するみたいに横を向いた啓子は、テレビを見ている。キッチンテーブルのクロスが半分ぐらいずれていて、ゴミ箱からは微かに湯気が上がっている。そこに捨てたのが何にせよ、春樹は食べることなく会社へ出かけた。彩菜は冷蔵庫からリンゴジュースを取り出して、言った。
「今日、休む」