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時間を食う空間

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年6月時点のものです。エロい言葉をそのまま使っているので、成人指定にする方がいいのか悩みましたが、そこまで描写がエロくはないので、とりあえず、そのままにしています。また、今まで同様、今回も怒りに任せた表現となっていますが、ご了承ください。

                 バー「クロノス」

 会社に入社してから、約12年が経ち、年齢的にも、そろそろ下り坂を意識しなければいけない30代後半に差し掛かってきた。
 会社では、主任から課長に昇進し、いわゆる管理職と呼ばれる域に入ってきた。
 本当は、役職になるのなど嫌だった。
「残業手当が出るわけじゃないし、その分、管理職手当が出るといっても、残業手当の方が何ぼか給料も高い。何よりも、責任を押し付けられて、溜まったものではない」
 とボヤキたくもなるというものだ。
 しかも、部下の面倒を見なければいけなくなり、上司からは、部下がちゃんとついてこないと、監督不行き届きのレッテルを貼られてしまう。だからと言って、部下に対して厳しくいうと、
「何だよ、あの人。課長になったとたん、威張り散らしやがって、主任の時は、もう少しリーダーシップがあったよな」
 というウワサを立てられる。
 主任の頃とやっていることは変わったわけではないのに、課長という役職が付くと、完全に、仕事がうまくいかなくなる。
「上からは叱られて、下からは突き上げられる。仕事なんか、面白くも何ともないや」
 と言いたい。
 しかも、
「部下にあまり残業させてはいけない」
 ということを言われ、仕事量からすれば、残業なしではできるわけはない。
 少々の残業は仕方がないかも知れないが、それ以上は、上司からチェックが入るという場合は、
「しょうがない。俺がやるしかないじゃないか」
 ということになる。
 つまり、
「部下は残業手当がかかるので、残業をさせられないが、お前だったら、残業代が出るわけではないので、お前がやればいい。だが、それが他の部署や上司にバレるとまずいから、こそっとやらないとダメだぞ」
 ということである。
 事務所の電気を全部消して、スポットライトでの残業。当然、クーラーも暖房もつけてはいけない。
「扇風機であったり、冬は、使い捨てカイロなどを使って、何とか、暑さ、寒さをしのぐしかない」
 ということになるのだ。
 そんな毎日を過ごしていると、正直ノイローゼになってしまう。
「いつまでこんな毎日が続くんだ?」
 というわけで、やっと課長になったばかりではないか。
 ここから次のステップとなると、いつのことになるのか、しかも、今のような仕事の仕方をしていて、バレないわけもない。
「昇進どころか、このまま、飼い殺し状態ではないか」
 と思うと恐ろしくなってくる。
「このまま、いっそのこと、何か軽い不祥事でも起こして、主任に格下げになればいいのに」
 とも思ったが、すぐに打ち消した。
「結局、また課長に戻ってきて、また同じ毎日だ。しかも、他の連中に出遅れる形で、しかも、年も取っている。今よりもきついのに、こんなこと、続けていられるわけもないだろう」
 としか思えない。
「このまま、昇進したくない」
 と会社に言えば、通るだろうか?
 そんな会社の毎日だったが、最近では、仕事に慣れてきたのか、残業時間は少しずつ減ってきた。
 時間は減ってきてはいたが、慣れてきたという印象はなかった。それだけ惰性でしているだけなのか、気分的には変わらないのに、時間だけは早く済むようになってきた。
 ずっと最終電車だったので、会社を出るのが、午後11時前くらいだった。だが、今では会社を9時前には出ることができる。日によっては、8時前でもあった。
 そのうちに、8時前が当たり前になっていき、残業が億劫ではなくなってきた。
 その頃になって、やっと、体感的にも慣れてきたのだということが分かるようになってきた。
 いつも、最終電車の時間を気にしながら仕事をしていたのに、今では、8時には会社を出ることができるようになった。今から思えば、毎日の最終はきつかったが、帰ってから、ほとんど何もする気力もなく、ほとんどバタンキューの状態であったが、それも懐かしく感じる。
 仕事が、嫌だというのは、本音であるが、それ以上に、一人居残って仕事をしなければいけないことに、情けなさと惨めさがあった。それが嫌だったのだ。
 ただ、それでも仕事を何とかやっつけて、家に帰る時、身体が疲れ切っているのに、それなりの達成感はあった。
 だが、あったのは達成感だけであって、決して満足感を感じることはできなかった。
 それが嫌だったのだ。
 早く帰れるようになると、今度は逆に、
「これからの時間、どうやって過ごせばいいんだ?」
 と思うようになった。
「そういえば、主任までの頃は、ほぼ残業をすることもなく、帰っていたのに、その頃、自分が何をしていたのか、すぐには思い出せないな」
 と感じたのだ。
 そう、一体何をしていたというのか、直行で家に帰っていたのは間違いないが、自炊するわけでもなく、テレビを見ていたような気はするが、内容は覚えていない。
 ドラマを見れるくらいの時間には帰り付いていたはずなので、ドラマも見ていたはずだ。だが、その内容は頭に残っていない。そのうちに、バラエティが多くなってきた。確か、いつも何かをしながら、テレビを漠然と見ていたと思う、
「何かを」
 というのは、毎回決まっているわけではなく、その何かと一緒に、テレビがついているという程度なので、バラエティ程度がちょうどいいのだ。
 そういえば、昔に比べて、かなりテレビ番組の編成も変わったものだ。
 自分が子供の頃は、まだ、ゴールデンタイムというと、プロ野球中継だったり、アニメなどが多かったような気がするが、次第に、それだけではなくなってきたように思うのだった。
 バラエティが多くなってきたのが、印象的だが、スカパーなどの有料放送が増えてきたことが大きな理由なのかも知れない。
 最近では、テレビがなくとも、スマホの配信で、番組を見ることができるようになり、さらに、進化したのだろう。
 もっとも、大画面で見るのが好きな人もいるので、60インチくらいの大型テレビが、電気屋さんに並んでいて、ボーナス時期になると、人気商品だったりするのだろう。
 家にあるテレビは40インチくらいの、リビングに置くには普通サイズのテレビであるが、一人暮らしなんだから、それくらいでちょうどよかったのだ。
作品名:時間を食う空間 作家名:森本晃次