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「この前……」
 ほぼ同時に声を発し、おなじタイミングで言葉を飲み込んだ。
「どうぞ」
 おれは客のほうを見ずに促した。
「いえ、先に……」
「いや、そっちが……」
「いえ、ほんとに……」
 途轍もなく落ち着かない。おれは軽く咳払いをしてから、いった。
「あの、お客様ですんで、どうぞ先に」
 つまらない意地を張ってしまった。根負けしたのか、宥人は躊躇いながらもいった。
「すごくくだらない質問なんですけど」
「いいですよ。どうぞ」
「身長、何センチですか」
 予想以上にくだらない質問だった。
「187か8くらいです」
「え、すごい」
 予想をはるかに越える反応だった。宥人は身を乗り出してさらに質問してきた。
「小さい頃から大きかったですか? 牛乳たくさん飲んでました?」
 背が高いといわれることはあったが、それほど気にしたことはなかった。洗い終わったグラスを布で拭きながら、おれは首を捻った。
「さあ。あんま記憶ないですね」
「お父さんかお母さんが長身だったとか」
「母親はそうでもないですね。父親はだれかわからないです」
 淡々と話したが、宥人は我に返ったように口を噤み、椅子に座りなおした。
「すみません」
「いや、謝られるようなことじゃないんで」
 気分を悪くしたわけではなかったが、宥人は後悔の念を隠さず、小さな体をよけいに縮こまらせている。
「ぼくはすこし、身長だとか見た目にコンプレックスがあるようで、背が高いひとが羨ましいんです。それで……」
「ほんとに気にしてないですから」
 再び、沈黙。おれは店の有線の電源を入れた。ジャズが流れ、沈黙を支配する。
「あの、もう行きますね。ごちそうさまでした」
 宥人が立ち上がる。前回とおなじように千円札をていねいにカウンターの上に置く。
 非常階段に出るドアを開け、宥人を外に出してやる。さっきよりは薄くなっていたが、やはり香水の匂いが鼻腔をすり抜けていった。
「あ、ちょっと」
「はい」
 振り向いた宥人の顔に手を伸ばして、マスクをずらした。頬の腫れはだいぶ引いていて、ちょっと見ただけでは傷跡も認識できない。
「怪我、だいじょうぶみたいですね」
「はい」
 宥人は小さく頷いて、マスクの位置をもとにもどした。
「あの……」
 宥人の身長は聞かなかったが、おそらく160かそこらだろう。頭がおれの胸元あたりにあって、俯くと表情はまったく見えなくなる。
「上に行くなとはいわないんですね」
 言葉の意味がわからず、戸惑った。
「まあ、それは……他人が口出しすることじゃないし」
「そうですよね」
 宥人は両手でマスクの紐を上げると、顎を上げておれに笑顔を見せた。
「ありがとうございました。またきます」
 返事を待たずに、踵を返した。足早に階段を上がっていく。革靴の底が階段を叩く音が響いた。

 それから週に2、3度ほどのペースで宥人は店にくるようになった。とはいっても、開店前に30分程度時間をつぶして、ママやホステスがくる前に非常階段をつかって階上の店に移動する。開店前の30分、おれはオープンの準備をしながら、宥人のおしゃべりに付き合っていた。
 週刊誌の記者は姿を見せなくなっていた。諦めたのか、ほかに手段を探しているのかはわからない。ひょっとすると、もう隠蔽工作をする必要はなくなったのかもしれないが、宥人は決まったルーティーンをこなすかのように定期的に店に足を運んでいた。
「善くん、これ、お土産」
 いつもどおりの時間にやってきた宥人はふだんよりも大荷物で、土産の袋を提げていた。箱の表面には上品なフォントのアルファベットで『KYOTO』とある。
「京都行ってきたんすか?」
「そう。最近できたお店で、まだ東京にはきてないみたい」
「関西が先って、珍しいですね」
「最近は地方から攻めるパターンも多いみたいだよ」
 フルーツをふんだんに使用したミルフィーユ。宥人は出張が多いようで、全国各地の珍しい土産を持参することも珍しくなかった。またそのセレクトが絶妙で、ホステスたちを喜ばせていた。
 開店前に客を入れることがルール違反とはいわないが、本来なら営業時間中に正規の金額を支払ってクラブ遊びを楽しむものだ。しかし、ママは目を瞑ってくれていた。高価で貴重な土産ものはホステスたちへの貢ぎもののようなものだ。
「宥人さん、コーヒーにする?」
「うん。ブラックで」
「了解」
 下戸の宥人のために、おれは自宅からコーヒーメーカーを持ち込んでいた。かなり前に店の忘年会でビンゴ大会の景品として入手したもので、ほとんどつかっていなかった。宥人はコーヒーが好きなようで、店のカウンターを喫茶店代わりにして和んでいるようだった。最初にきたときのおどおどとした態度は消え、いつの間にかリラックスした笑顔を見せるようになっていた。
「今度、豆を持ってきてもいいかなあ」
 コーヒーカップに鼻を近づけて香りを楽しみながら、宥人が上目遣いにいう。
「あ、これもおいしいんだけど」
「わかってます。いいですよ、どうぞ」
「ほんとに?」
「せっかく機械入れたからって、最近、メニューにコーヒー入れたら、飲み終わりに注文するお客さんが増えて」
 前の月にリニューアルしたメニュー表を差し出す。宥人はウイスキーやフルーツ盛り合わせといった文字が並ぶメニューを興味深げに眺めた。
「けっこう人気ですよ」
「そっか。自分の我儘で入れてもらったみたいで気が引けてたけど、よかった」
 メニューごしに笑顔を向けてくる。決して美男子とはいえないが、宥人の笑顔には屈託がなかった。弁護士というと、狡猾で鋭い印象を持っていたが、宥人の持つ空気は柔和で、依頼人にも安心感を与えることだろうと思えた。もちろん、ここで見せる顔が彼のすべてだとは限らないが。
「そろそろ行こうかな」
 コーヒーを3分の1ほど飲み終えたところで、宥人が腰を上げた。いつもどおり、千円札をカウンターに置いて、札の上にカップを乗せる。
「あ、ちょっと、宥人さん」
 釣り銭を数えていた手を止めて、おれはカウンターを出た。非常階段へ出るドアの前で、宥人を呼び止める。
「なに」
「いや……」
 この日はマスクをしていなかった。最初にここにきた日につくった傷は完治して、顔には痕も残っていなかった。
「最近はどう? その……」
「ああ、マオリ?」
 マオリというのは5階の店で宥人が指名しているホストだかバーテンダーだかの男だ。おれに締められてからは、びびっているのか、基本的に4階には降りてこない。しかし、宥人が店にくる前にここに立ち寄っていることは知っているはずだった。
「暴力とかそういうことはないから、だいじょうぶ」
 宥人の表情は相変わらず屈託がない。
「心配してくれてありがとう」
「べつに……」
「じゃあ」
 宥人はおれに背を向け、階段を上がっていく。おれはドアをすこしだけ開けて首を伸ばし、軽やかな足取りで5階へ向かう宥人の背中を見送っていた。
作品名:EXIT 作家名:新尾林月