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「ちょっと急ぐんで」
 宥人と記者の間に体を割り入れるようにして、おれは通りに出てタクシーを拾った。この状況では、マオリを追いこむのは後回しにするしかなさそうだった。まだなにかいいたそうな記者を振り切って、タクシーに乗りこむ。宥人は青白い顔で黙ったままだった。後部座席に並んで座り、手を握ると、つよく握り返してきた。ネクタイを緩めてやると、つぶやくような小さな声で「ありがとう」といった。
 宥人のスマホはおれが持っていた。着信音が鳴らないよう設定したが、手のなかでまだひっきりなしに震えてコメントが届いていることを報せている。なにもかもうんざりだ。
 三軒茶屋の宥人のマンションに到着したときには深夜から早朝に変わる時間帯になっていた。想像よりも質素な外観だった。考えてみれば、宥人の家に招かれたことは一度だけで、実際に訪ねたことはなかった。
 タクシーを降りると、宥人が足を止めた。マンションの前。数人の男たちが輪をつくっていた。そのうちのひとりがおれたちに気づき、声を上げた。見覚えのある顔。都庁前の集会を妨害しようとした炎上ユーチューバーのひとりだ。
 おれはネットというものを甘く見ていたのかもしれない。自宅まで突き止め、こんな時間に待ち伏せするなど、尋常ではない。タイミングを考えても、このうちのだれか、もしくは共謀してあの写真や動画を晒したことはあきらかだ。どうやってマオリと繋がったのかは不明だが、宥人を追い詰めるための執念にはぞっとした。
「宥人さん、こっち」
 咄嗟に宥人の肩をつかんだが、遅かった。男たちがスマホを構えて駆けてくる。新宿から乗ってきたタクシーはすでに発進していた。べつの車を停めるため大通りに出ようとしたが、背後から男たちがついてきた。全員が手にスマホを構えている。おそらく動画を撮影しているのだろう。
「せんせー、おはようございまーす」
「朝帰りですかあ? やらしいなー」
「あの動画って先生ですよね? いつもあんなことしてるんですかあ?」
 にやにや笑いながら間延びした口調で質問してくる。直接触れることはないが、至近距離で付き纏ってくる。複数のレンズを向けられると、神経が逆立ち、冷静でいるのが難しくなる。パパラッチに追われる芸能人がキレる気持ちがわかった。
「ホモ弁護士さん、エロい顔見せてくれよ」
 だれかがいって、男たちが一斉に笑い出す。宥人の表情が強張った。
「おい、ふざけんな。いい加減にしろよ」
 おれは足を止め、振り返った。男たちの笑い声はやむどころかさらに沸き上がった。都庁前のときよりも人数が増え、十数人はいた。こんな悪質な嫌がらせに加担する人間がこれほどいることに絶望をおぼえる。どの男も若く、一見するとごくふつうの学生や会社員に見える。犯罪の匂いをさせるような印象はなく、Tシャツやパーカー姿で、奇抜な服装や髪型でもなく、電車や街中ですれ違っても気にもとめないような地味な男たち。その平凡な顔に下卑た笑みを浮かべ、他人の不幸をアクセス数に変えることで得られる高揚とおそらくはそれに付随する広告料を中心とした収入を求め、期待の眼差しを向けてくる。おぞましい。嫌悪感で吐きそうだった。
「善くん」
 宥人がおれの腕をつかむ。無意識に拳を固めていた。宥人に腕をつかまれていなければ、全員半殺しにしているところだ。実際に、この人数でも正面から殴りあえば勝てるだろう。しかし、そんなことをしてもけっきょく負けるだけだとわかっていた。たとえまっとうな理由があったとしても、手を出せば傷害事件になる。相手もそれがわかっているから、挑発するだけで体に触れることはしないのだ。
「善くん。いいから行こう」
「どこ行くんだよ。弁護士先生」
 男たちが宥人の前に立ちはだかる。
「いつもみたいに脅せよ、ほら。弁護士先生が社会的弱者を恫喝するとこ、ちゃんと撮ってやるからさ。撮られると興奮すんだろ?」
 なにが社会的弱者だ。怒りで体が震えた。
「いい加減にしろつってんだ、こら」
 宥人の体を引き寄せ、入れ替わるように前に踏み出して、おれは男たちをにらみつけた。目の前の男が怯む。背が低く、だらしなく肥えていて、ネット上では知らないが、生身で争えば相手にならないような男だった。おれが見下ろすと怯えたように後ずさった。
「おまえら、いいトシして恥ずかしくねえの? 他人の私生活晒してなにが楽しいんだよ。ほかにもっとすることあんだろうが」
「はあ? なにいってんの、こいつ」
 男たちがまた笑い声を上げる。いちいち癇に触る笑い声だ。
「てかだれおまえ? 先生の彼氏?」
 だれかがいって、おれはそいつをにらんだ。
「そうだよ。悪いかよ」
「善くん!」
 宥人が制止しようとしたが、遅かった。男たちが色めきたつ。おれは格好の素材を与えてしまったらしい。
「やっべー、本物のホモじゃん」
「爆弾発言いただきましたー!」
「すげーの撮れたな。絶対バズるぞこれ」
 スマホのカメラが向けられる方向が宥人からおれへと替わる。大騒ぎしている男たちから逃げるように、宥人がおれの腕を引いた。
「善くん、もういいから」
「よくねえよ!」
 男たちから視線を離さずに、いった。
「お互い好きで、大事に思ってて、そばで守りたいからいっしょにいるんだろ。それのなにが悪いんだよ。だれかに迷惑かけたかよ。笑われたり非難されるようなこと、なんかしたのかよ。おまえらがやってることのほうがよっぽど恥ずかしいしダサいんだよ。ちょっとは自覚しろ、クソが!」
 一気にまくしたてた。撮影されていることなどどうでもよかった。おれの勢いに圧され、男たちは態度を選びかねるように視線を交換している。
「行こう、宥人さん」
 ようやく空車が通りがかった。手を挙げてタクシーを止める。車に乗る間も、男たちはスマホを向け続けた。車の進行を妨げられることはなかった。そこまでする度胸はないらしい。おれたちはタクシーでその場を離れた。
「お客さんたち、芸能人?」
 タクシーの運転手がバックミラーを覗きこんで訝しげな表情を浮かべる。答える気になれなかった。
「くそっ」
 タクシーのシートを拳で殴った。衝動を抑えられそうになかった。滅茶苦茶に暴れ出したい気持ちを必死に抑え、両手で顔を覆う。
「最悪だな、あいつら……」
 地元の九州でも、上京してからも、トラブルは数えきれないほど経験した。烈しく殴りあい、病院送りにしたこともされたこともある。しかし、こんなことははじめてだった。直接的な言葉をつかうわけでもなく、当然ながら体同士でぶつかりあうわけでもない。陰湿な嘲笑と挑発で相手の神経を逆撫でする行為がこれほど醜悪なものだとはじめて知った。これなら殴り合いのほうがよほど健康的で建設的だ。
 無意識に神経を張り詰めさせていたらしい。宥人に頭を撫でられ、おれは我に返った。
 顔を上げる。宥人はおれの髪に指を差しこみ、引き寄せた。おれはされるがまま脱力して、宥人の肩に頭をもたせかけ、体重を預けた。
「よく我慢したね。えらいよ」
作品名:EXIT 作家名:新尾林月