EXIT
焦る気持ちを抑えて、ゆっくり舌を差し入れた。いろいろな女と何度もしてきた行為にもかかわらず、まるではじめて経験するかのように胸が高鳴った。
口のなかで舌を伸ばすと、宥人がおずおずと応える。腰のあたりで宥人の指にシャツがつかまれる感触があった。どうやら受け容れられたと考えていいようだ。
宥人に逃げる気がないことがはっきりわかると、おれは顔を包んでいた手を背中と腰に移動させた。抱き寄せると、宥人は両腕をおれの背中に回してきた。きつく抱くと、互いの胸が擦れあった。ふたりぶんの鼓動が共鳴し、唾液が行き来した。
右手を宥人の背骨に沿うように這わせ、左手で宥人の臀部をつかんだ。臀の肉に指先が食いこみ、宥人の踵が浮くほどつよく引き寄せた。ひどく興奮して、息が荒くなっていた。宥人もおなじようだった。腕のなかで肩が震える。吐息が混ざり、どちらのものか判別できなくなっていた。
「善くん……」
吐息のなかで、宥人が喘ぐようにおれを呼ぶ。掠れた声に興奮を掻き立てられた。
「ぜ、んくん……ちょっと、ちょっと待って」
舌を縺れさせながら、宥人が慌てたようにいう。腰をまさぐるおれの腕をつかむが、ほとんど力が入っていない。
「ちょっと、待ってってば……」
「……なに」
「スマホが……」
宥人の言葉で、はじめてスマホの音に気づいた。カウンターに置きっぱなしの宥人の鞄からかすかに聞こえる。着信音ではない。短い通知音だ。
「ほっとけよ」
「でも……」
「あとでいいだろ」
腕をつかもうとする宥人の手に指を絡ませると、宥人は握り返してきた。またくちづけが深くなる。しかし、通知音は止むことがなかった。それどころか間を空けずに何度も鳴り続けている。
「ちょっと待って」
宥人が体を捻って逃げる。声には切迫感があった。
「なんか変だ」
おれの腕からすり抜け、鞄に向かう。残されたおれは天井を仰いだ。股間に熱を感じて呻いた。
当然といえば当然だったが、想像以上に昂っていたようで、布地を圧し上げて痛みを感じるほど張り詰めていた。
「宥人さん?」
宥人の後を追ってカウンターにもどる。宥人は立ったままスマホを握っていた。通知音はいまだ鳴り続けている。LINEなのか、SNSか。いずれにしてもあきらかに異常なペースだ。
宥人の顔から血の気が引き、表情が強張っているのを見て、おれはようやく不穏な空気を察知した。
「なに、どうした?」
宥人の手のなかでスマホは鳴り続けている。凄まじい量の通知。ぞっとした。なにかが起きている。
「貸して」
おれは宥人に向かって手を差し出した。宥人はおれがそこにいることにはじめて気づいたかのように顔を上げた。目の奥に混乱と恐怖がちらついた。おれから遠ざけるようにスマホを背中の後ろに隠した。
強引に奪い取りたいという欲求を抑え、おれは宥人の目を真っ直ぐ見つめた。
「おれのこと信じて」
宥人の瞳が揺れるのを見た。まるでサイレンのようにけたたましく音を立てるスマホをおれに差し出す。
左手で宥人の手を握り、右手でスマホを受け取った。ディスプレイには宥人のSNSの画面が表示されていた。宥人のアカウントを紐付けするかたちで、複数点の画像と動画がアップロードされていた。
薄暗い場所でスマホをつかって撮影したらしく、鮮明ではなかったが、それがだれなのかはすぐにわかった。目を閉じ、全裸でベッドに横になっている。システムに検知されるのを避けるためか、際どい部分にはモザイクがかけられていたが、脱力したように仰向けになって、なにをしていたのかは容易に想像できる写真だった。
写真にはテキストが添えられていた。「衝撃! 同性愛者の味方をする弁護士、実は自分もゲイだった! エロすぎる写真と動画公開!」
投稿したのはいわゆる暴露系のアカウントで、宥人のフルネームもタグ付けされていた。動画を再生すると、眠っている宥人を撮影する男の笑い声が聞こえてきた。その声には聞きおぼえがあった。当然、宥人も気づいているだろう。おれの手からスマホを奪い取り、動画を停止させた。さっきよりもさらに蒼ざめた顔で唇を噛んでいる。
スマホの通知は投稿された画像や動画に対するリアクションで、ネットを通じて投稿を見た無数の人間たちがコメントを書きこむたびに鳴っていた。深夜にもかかわらず、通知のペースは収まるどころかむしろ間隔が狭まっていた。
考えるよりも先に体が動いていた。非常口に向けて足を踏み出したおれの腕を宥人がつかむ。
「待って。善くん、ちょっと待って」
「殺す」
かろうじてそれだけいった。怒りで目の前が白くなっていた。力で適わないと知っているからか、宥人はおれの前に立ちはだかり、ドアを背にして両手を前に突き出した。
「善くん、ちょっと落ち着いて。冷静になって」
「どけよ。宥人さん。あのクソガキ殺すから」
「善くん!」
おれが手を伸ばすより一瞬早く、宥人が行動した。体ごとぶつかってきて、おれの首に両腕を回した。
不意をつかれ、思わず動きを止めてしまった。密着した体が小刻みに震えていて、圧し退けることはできなかった。そんなこと、できるはずがない。ほかにどうすることもできず、おれは躊躇いながらも宥人の体を抱きしめた。
「家に帰りたい……」
弱々しいが、はっきりした声で、宥人はいった。おれなどよりもはるかに大きなショックを受け、困惑して怯えているはずだが、驚くべき精神力で耐えている。
「うちまで送ってほしい。送ってくれる?」
宥人の肩口に顔を埋めるようにして、おれは何度も頷いた。何度も深呼吸すると、すこしだけ落ち着いた。
上の階にはまだ捜査員がいるはずだ。押しかけていっても警察の世話になるだけだ。マオリやスタッフはもうすでに連行されているかもしれない。暴露アカウントの持ち主がマオリであるという可能性は限りなくすくない。写真と動画がマオリではない第三者のアカウントから投稿されたとなると、リークしたのはすくなくともたった今ということはないだろう。警察に乗りこまれたことで自暴自棄になり宥人を巻き添えにしようとしたのか、おれに脅され、もう宥人がもどらないと確信して嫌がらせのつもりでしたことか、いずれにしても、最悪の行為だ。あまりに卑劣で許しがたい。宥人の背中を摩りながら、おれの目は非常口のドアを見据えていた。
エレベータで1階に降りると、制服を着た捜査員たちが押収した証拠品を大型車両に運びこんでいた。刑事らしきスーツ姿の男たちがスマホに向かってなにか話している。5階の店に捜査の手が入ったことはすでに知られているようで、野次馬が集まりはじめていた。マオリや従業員たちは連行されたのかまだ店にいるのか、姿が見えなかった。
野次馬のなかにあの記者が紛れていた。おれたちに気づくと、ひとごみをかき分けるようにして寄ってきた。
「おいおい、なんだよ。動きがあったら教えてくれるって約束しただろ」
恨みがましい目つきでおれをにらむ。腕をつかまれたが、振り払った。
「約束なんかしてねえよ」
「べつにいいけどさ、おたくら、なに、どういう関係?」
おれと宥人を見較べながら、記者が尋ねてくる。眼鏡の奥の目が狡猾そうに輝いている。うんざりした。