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「なんであんなやつのこと助けるんだよ。そんな義理ないだろ。逮捕されたって自業自得だし、宥人さんのことだってヤク漬けにしようとしてたかもしれない」
「でもしてないよ」
 言葉に詰まった。宥人はまったく臆していなかった。相変わらず澄んだ眼差しでおれを見ていた。
「マオリはそんなことしない」
「なんでわかるんだよ」
 吐き捨てた。聞きたかったことを聞いた。
「好きだから?」
 宥人は黙って首を振った。
「マオリにそんな感情を持ったことはないよ」
「じゃなんで……」
「求められるから」
 宥人の答えには迷いがなかった。おれは喉の奥で呻いた。
 非常階段で話したとき、マオリが宥人に向ける気持ちが本物だと気づいた。憎しみのために傷つけたわけではない。他にどうしようもなくて、追い詰められてやってしまったのだ。以前は気づかなかったが、今はわかる。おれもおなじ気持ちを抱いていたからだ。
「あの先生は天性の魔性だからなあ」
 電話ごしに聞いた記者の声が頭のなかに甦っていた。
「去年、ある代議士の脱税を洗ってたら、顧問弁護士と男同士で不倫してることがわかってね。証拠つかむ前に切れたようだけど、代議士の先生のほうが執着して、けっきょく離婚しちまった」
 代議士は職務のほうは継続していたようだ。しかし、今度は違法薬物摂取の疑惑をつかまれ、記者はマオリの店を張っていたという。そこに別れたはずの元顧問弁護士があらわれ、三角関係の展開を見張っていたらしい。
 5階の店で違法薬物が蔓延している事実は警察もすでにつかんでいるとして、記者は強制捜査を予測していた。動きがあれば教えてほしいと頼まれていたのだ。それが宥人のことを教えてもらう条件だった。もちろん、はじめから約束は反故にするつもりだった。
「宥人さん」
 腕をつかんでいた手を離し、宥人の顔の両側に伸ばした。掌を壁にぴたりと圧しつけると、宥人の顔が目の前に近づいた。
「サツにタレこんだのがおれだっていったら、宥人さん、どうする?」
 宥人の瞳に困惑が宿る。即座に答えた。
「どうするもなにも、そんなの信じない」
「なんで」
「善くんのことはわかってる」
 宥人の眼差しには本当にまったく疑いの色がなかった。その目の潔さに、おれは気圧された。
「それに善くんがそんなことする理由がない」
「理由はあるよ」
 おれは宥人から視線をはずさないまま、左手で非常口を指さした。
「あんたがあのドアから出てくのを見送るとき、なんかすげえイライラした。もう見送るのは嫌だ」
 宥人の瞳が揺れた。困惑が深くなっている。
「どういう意味……」
「あんたは」
 声が掠れた。おれはもう一度、宥人の目を見つめていった。
「あんたは変に気がありそうな素振り見せたかと思ったら急に冷たくなるし、突然近くにきたかと思ったらすっといなくなるし、けどいつも旨いメシつくってくれて、おれを最優先にしてくれるし、芯があって、意思がつよいのに、たまに弱いところも見せてくるからほっとけないって思うし……」
「善くん……」
「おれ、宥人さんが好き」
 もっと早く気づくべきだった。宥人が女なら、もっと早く気づけたのかもしれない。自分が同性愛者ではないというつよい意識が邪魔していたのだ。そんなことはたいした問題じゃないとようやく気づけた。
 宥人は呆然としていた。聞こえていなかったはずはないが、目を見開いたまま、なんの反応も見せなかった。
「宥人さん」
「あ、ごめん。びっくりして……」
 宥人は言葉を切って、視線を落とした。どう答えるべきか考えあぐねているように見えた。隙をつくらず、いった。
「宥人さんは?」
「おれ……?」
 目を伏せたままの宥人の頬に指を触れさせる。皮膚が擦れた瞬間、わずかにびくっと震えた。
「宥人さん、おれのこと、どう?」
「どうって……わかんない」
「わかんない?」
 宥人にしては歯切れの悪い答えだった。驚くにしろ、戸惑うにしろ、もっとちがう反応が返ってくると予想していた。
「おれのこと嫌い?」
「嫌いじゃないよ」
「じゃ好き?」
「誘導尋問……」
「宥人さんがちゃんと答えてくれないから」
 責めるつもりはなかったが、焦っていたのかもしれない。だれかに気持ちを告白するのは生まれてはじめてだ。戸惑い、どうしていいのかわからないのはおれもおなじだった。
「宥人さん、なあ……」
「間違いかも」
 顎に指を添えて上を向かせようとすると、宥人は首を捻って避けた。
「間違い?」
「だって、善くんは女性が好きなのに……」
「関係ないだろ」
「関係あるよ」
 おれの腕をつかんで、宥人は絞り出すようにいった。
「男となんて、そんな簡単に考えられないだろ」
「簡単に考えてないよ」
「香里さんに告白されたって……」
「断ったに決まってんじゃん。宥人さん以外無理だし、おれ」
 連絡をしたときには反応を示さなかったが、気にしていたらしい。宥人の態度は頑なではなかった。期待しないよう自制しようとしたが、胸が高鳴るのを抑えられなかった。おれの直接的な言葉にも、宥人はすぐには頷かなかった。
「簡単にいってるわけじゃない。ほんとに真剣だから」
「今はそう思ってても、あとで勘違いだって気づくかも。おれ男だし、それに……」
「疑うなよ」
 おれは語気をつよめた。宥人の指先が小さく震えた。
「嫌いなら嫌いでいいけど、疑うのはちがうだろ」
「ごめん……」
 宥人は素直に謝って、顎が胸につくほど大きくうなだれた。
「嫌いじゃない……」
 これほど密着していても耳をすまさなければ聞こえないほどの小さな声で、宥人はいった。
「はじめて会ったとき、すごく……かっこいいと思った。こんな気持ちになったのはじめてで……」
 両手で顔を覆って、宥人は深く息を吐いた。
「でも、そんなこと考えたらだめだって……」
「なんでだめなの」
「それはだって……もし善くんに嫌われたら……」
「嫌わない」
「だからそれは……」
「好きだろ、おれのこと」
 怖いのはおれもおなじだ。そう伝えるために、宥人の手を握った。
「おれを好きなのに、なんでおれのこと信じねえの」
 逸る気持ちを抑え、宥人の指に唇を触れさせた。宥人は拒絶しなかった。
「宥人さん、こっち見て」
 拒みこそしないものの、宥人は顔を上げようとしない。おれは宥人の右手を両手で包み込んだ。直接ではなく、自分の手の上から唇を圧しつけた。
「おれもうキスするって決めてるから、やめさせたいなら暴れたほうがいいよ」
 じゅうぶんだろうとは思ったが、最後まで選択を委ねたかった。宥人は相変わらず目を伏せていたが、縮こまったまま動かなかった。眼球を素早く動かし、そのたびに伏せられた睫毛が細かく震えた。
「いいってこと?」
 宥人は答えない。手を解放したが、宥人の右手は抵抗のためにつかわれず、行き場を失ったかのように宙を彷徨った。
 空いた両手で、今度は宥人の顔を包んだ。すこし力を加えただけで、顎が持ち上がった。
 眼鏡の奥で宥人は固く目を閉じていた。緊張を解すように、頬にキスした。宥人は抗わなかった。
 唇の端、それから中央に移った。促すように舌先で下唇を軽く突くと、宥人がわずかに口をひらいた。
作品名:EXIT 作家名:新尾林月