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EXIT

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「な、なんだよ……」
「てめえ、宥人さんにクスリつかってんじゃねえだろうな」
「はあ?」
 今度は笑わなかった。マオリは唇を震わせながらいった。
「ふざけんな。おれがあいつにそんなことするわけねえだろ」
 おれは黙ってマオリの首をつかみ、無造作に圧した。マオリは足を縺れさせ、壁に背中を打ちつけ、その場にへたりこんだ。
「二度と手出すんじゃねえぞ。忠告したからな」
 踵を返し、階段を降りる。
「なんなんだよ、おまえ!」
 背中にマオリの声。捨て台詞としてもあまりに弱々しい。
「ノンケのくせに興味本位でしゃしゃってんじゃねえよ、くそが!」
 まともに相手をする価値もない男だ。たたきのめしたところで胸がすくこともない。
「興味本位じゃねえよ、馬鹿野郎」
 自分にしか聞こえないボリュームで呟いて、おれは店にもどった。ドアを開け、内側から鍵を閉める。一杯飲みたい気分。自分用に取ってあるボウモアの栓を開け、ストレートでひと口飲んだ。病み上がりの体にアルコールの熱が染み渡る。大きく息をつく。
 カウンターの内側に回り、領収証や常連客の名簿が収納されたラックを開けた。名刺帳を捲り、目当ての名刺を抜き出す。
 深夜2時を回っていたが、着信音が2度鳴っただけで、相手はすぐに電話に出た。
「はい。新進出版の斎藤です」
 記者という職業柄か、時間帯のわりに、眠気も感じさせないはっきりした口調だった。
「もしもーし。どなたですか?」
 おれはスマホを握る手に力をこめ、口をひらいた。

 閉店後、宥人が店にきた。珍しいことだった。おれのアパートに直接くるようになってからは、以前のように顔を見せることはすくなくなっていた。
「宥人さん。どうしたの」
 洗いものをしていた手を止め、濡れた手を拭きながら迎える。
「近くまできたから寄ってみた。ちょっとだけいい?」
「どうぞ」
 宥人のためにコーヒーを淹れた。近所にきたついでだというのが嘘だとわかっていた。今夜、宥人は港区の東京出入国在留管理局にいたからだ。弁護士として出席した記者会見が生中継されていた。宥人のSNSを通じてすこしだけ視聴したのが数時間前。雑務を片づけ、その足でここへきたのだろう。
 コーヒーカップを傾ける宥人の横顔には疲労の色が濃かった。その理由もわかっている。宥人がサポートしているアフリカ出身の同性愛者の女性に対してビザの発行が認められなかったからだ。宥人と支援者たちは会見で国内に在留している難民の境遇や権利を主張していた。
 心労がかさんでいるのだろう。宥人は眼鏡を取り、親指と中指の腹で眉間を指圧している。おれの視線に気づくと、照れたような笑顔を見せた。
「体調、どう?」
「おかげで完全復活だよ」
 自分のぶんのコーヒーを淹れながら、おれはいった。
「宥人さんは? 疲れた顔してるけど」
「そんなに疲れて見えるかなあ」
 わずかに語尾を伸ばして、宥人はカウンターに両肘をつき、掌で顔を覆った。
「今日はいろいろあったから」
「たいへんだね」
 おれは自分のカップを手にカウンターの外側に出た。宥人の隣に座る。
 数時間前に画面ごしに見た宥人はいかにも頼りになる弁護士といった印象で、入管の対応を厳しく糾弾していた。しかし、今目の前にいる宥人は張り詰めていた緊張を解き、理不尽と権力との戦いの合間、他では決して見せることのない不安を覗かせている。そうとうの緊迫感だったのだろう。ふだんはおれにさえ弱みを見せないのに、今日はすっかり落ち込んで、表情が暗い。
「だいじょうぶ?」
 思わず手を伸ばしていた。スーツの肩に指を触れさせる。
「うん」
 宥人はかろうじて微笑んだが、ふだんのような力はなかった。ボトル棚をぼんやり眺め、ため息をつく。
「だめだね。おれがしっかりしなきゃいけないのに」
「宥人さんだってたまには弱音吐いたっていいよ」
「ありがとう」
 いつも以上に小さく見える宥人に、おれは戸惑いと躊躇いを感じていた。あのマオリも、5階の店でこんなふうに物憂げな面差しを見つめていたのだろうかと思った。
「宥人さん」
「ん?」
 宥人が振り向く。
「なに?」
 ずっと聞きたかったこと。おれは迷いながらも口をひらいた。
 そのとき、店の外でなにかが倒れるような音がした。同時に、大人数の足音。団体客がくるような店舗はこのビルにはないし、時間帯も遅すぎる。不穏な空気。おれは無意識に立ち上がっていた。
「なんだろ」
「ちょっと待ってて」
 宥人を置いて、非常口に出る。ドアを細く開けると、男が数人階段を上がってくるのが見えた。スーツ姿と制服姿が入り交じっている。一見して警察の人間だとわかった。咄嗟にドアを閉めた。血流が烈しくなる。
「なんだった?」
 宥人が立ち上がってこちらへこようとするのを手で制した。
「なんでもない」
「けど……」
 ただごとでない気配を感じたのか、宥人も緊張した様子でおれを見ている。
「上になにかあるの?」
 さすがに察しがいい。おれの脇を抜けて非常階段に出ようとする宥人の腕をつかんだ。
「なんもないって」
「ちょっと様子見に行くだけだから」
「今はだめ」
「今は?」
 わずかな言葉尻をとらえて、宥人は眉を顰めた。
「なにか知ってる?」
「なにも知らないよ。ただ……」
 真っ直ぐに目を見つめられ、たじろいだ。
「とにかく、ここにいろ」
 反対側のエレベータのほうからも複数の足音がした。低い声も聞こえる。なにをいっているのかまではわからないが、緊迫感を孕んでいる。表裏で挟み撃ちにするつもりらしい。
 宥人はおれに背を向け、店の入口に足を進めようとした。腕を強く引いて止めた。
「行くなって」
「なんで!」
 宥人が振り返る。さっきまでの弱々しさは消え失せ、強い意志が宿った瞳がおれをしっかりととらえていた。
「外を確認するだけだろ」
「おれが見てくるから」
「いっしょに行く」
「行かせない」
「だからなんで」
「おれが行かせたくないからだよ!」
 思わず語気を強めた。宥人の表情が変わる。こうなると誤魔化しはきかない。
「わかった。説明する」
 もう片方の腕もつかんで椅子に座らせると、おれは宥人の目を見ながらいった。
「知ってるかどうかわからないけど、あの店では客に違法薬物を提供してるか、店内で楽しむのを黙認してる」
 宥人の顔色が変わる。どうやら知らなかったらしい。
「ガサが入るのは時間の問題だった。それがたまたま今日だっただけだ」
 宥人は黙っていた。床を見つめたまま、いった。
「なんで善くん知ってるの」
「それは……」
 口ごもりながらも答えた。
「おなじビルなんだから自然と耳に入る」
 宥人が顔を上げておれを見る。視線を受け止めるのが精一杯だった。こんなにも小柄で、頼りなく見えるのに、宥人の視線はつよすぎる。
「善くん」
 腕をつかむおれの手に触れ、宥人はいった。
「おれ、マオリの助けになりたいと思う」
 宥人の言動はいつも予想がつかない。おれはため息をついた。
「なんでだよ」
「こういうときに頼れるひとはほかにいないと思うし……」
「そういうことじゃねえよ!」
 思わず声を荒らげた。呼吸がくるしくなりはじめている。
作品名:EXIT 作家名:新尾林月