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 無意識に宥人の指を握る手に力をこめていた。
「おれ、親にやさしくされたことねえし、しょっちゅう変わる母親の彼氏にも殴られてばっかだったから、自分が存在している意味みたいなのをだれかに求めてんのかも。だれかの特別な存在になりたいっつーか……」
「……それって、愛されたいっていうのとはちがうの?」
「よくわからんけど……ちょっとちがう気がする」
 中学時代から女に苦労したことはない。ただ、田舎の不良がつくる狭いコミュニティのなかで、すくない選択肢のなかでポジションを形成していただけで、彼女たちにとって相手がおれである必要はなかったし、おれにとってもなにかを求めるような関係性ではなかった。他人を愛することは一生ないのではないかと、漠然と考えていた。
 鈍い頭痛。熱が上がっているなかで思考を詰めこみすぎたのかもしれない。しかし眠りたくはなかった。
「だから、宥人さんがおれをボディガード代わりにしていたとしても、べつにムカついたりしないし、むしろうれしいとは思う」
 嘘ではなかった。宥人がここへくる目的が考えていたこととちがっても、宥人を責める気にはなれなかった。その瞬間は混乱したが、冷静になってから振り返って考える。
「ただ、宥人さんのときは、なんか……すっげえ腹立って、わけわからんくなっちゃって」
 頭がふらつく。呂律が回らなくなってきた。
「ごめん。なにがいいたいかわかんなくなってきたわ……」
 再び体を折って咳きこむ。宥人に水を手渡され、口に含む。ゆっくりと喉に流していく。
「それでさ、おれ……」
「善くん」
 荒く息を継ぎながらつづけようとするおれを宥人が制した。左手を握るおれの手にもう片方の手を重ねる。
「おれには善くんは特別だよ」
「宥人さん……」
「本当だよ。弟みたいに大事に思ってる」
 にっこりと微笑んで、宥人はするりとおれの手から指を引き抜き、立ち上がった。
「洗いものしてくるよ。もう寝な。朝、先生きたとき起こすから」
 いい終わらないうちにすでにバスルームに消えていた。追いかける体力はなかった。仰向けになったまま、両腕を額の上で交差し、おれはため息をついた。
「弟かよ……」
 洗濯機が動作をはじめる音が聞こえてきて、おれは再び眠りについた。今度は悪い夢を見ることはなかった。

 翌朝、医師の検査を受け、インフルエンザと診断された。薬を処方され、数日療養した。完治するまでの間、宥人は毎晩通い、面倒を見てくれた。そのおかげもあり、1週間後には仕事に復帰した。
 休んでいる間、代わりに入ってくれた他店舗の黒服は優秀だったようで、グラスや酒の位置もほとんど乱れることなく整頓され、スムーズに仕事にもどることができた。まったく、頭が上がらない。
「たすかったけど、実際、今までミヤちゃんひとりに頼りっきりだったかに気づかされたわ。お客さんも増えたし、いつまでもワンオペじゃ限界あるよね」
 ママもようやく求人を出す気になったようだ。たしかに、それほど広くない店とはいえ、黒服がひとりという状況が異常だったのだ。
 待遇の改善は喜ばしいことのはずだったが、1週間以上不在でもどうにか営業が成り立っていたことに、おれは安堵よりもむしろ拍子抜けしていた。どうも、やはりおれはどこかで他人からの依存を求めているようだ。
 自覚がなかっただけで、もともと潜在的要素として持っていたのだろう。六本木でのトラブルは需要と供給が合致しただけで、どこででもだれとでも起こり得た。
 復帰初日の営業が終わって、ママと女たちを見送ると、おれは非常階段へ出て煙草を咥えた。火をつけずにそのまま階段を上がる。
 5階の店の裏口には鍵がかかっていなかった。まだ開店していなかったようで、ドアを開けると店内の照明は明るいままで、スタッフらしき男がカウンターの椅子に座ってスマホを弄っていた。
「うお、びっくりした」
 おれの姿に気づくと、慌てて立ち上がり、耳のなかのワイヤレスイヤホンを毟り取る。
「なんだ、てめえ。どっから入ってきた?」
 質問には答えず、店内を見渡す。咥えていた煙草にライターで火をつける。
「マオリいる?」
「はあ?」
「マオリ。出せよ。話あっから」
「いや、なんなの、おまえ」
 にらみ合っていると、奥のトイレから当人が出てきた。おれに気づき、唖然としている。
「てめえ、なにしにきたんだよ」
 凄んでみせるが、距離は縮まらない。こちらから近づいた。
「おう。ちょっと話そうや。こいよ」
「だれが行くか。これから店開けんだよ」
 マオリの腰が退けているのにもうひとりも気づいていた。中途半端な悪人は強者の匂いを嗅ぎ分けることに長けているものだ。
「ここで話すか、外で話すか、どっちにする」
 おれの言葉に、もうひとりの男が鼻白む。マオリが視線で制した。
「わかったよ。3分だけだぞ」
 かろうじて優位性を保とうという涙ぐましい努力を見せ、マオリはおれの先に立って非常口に出た。
「なんだよ。さっさと済ませろよ」
 ドアを閉めると、マオリは苛立ったように煙草を咥えた。何度も失敗しながら火をつけ、落ち着かない様子で立て続けに煙を吐く。
「用はわかってんだろ」
「はあ? 知るかよ」
「宥人さんに手出すなっつったよな」
 マオリはあからさまに肩を竦めて笑った。
「あのさあ、いい加減にしてくんない? 迷惑なんだけど」
「質問してんだよ。答えろや」
「めんどくせえな。出してねえよ」
「嘘つくんじゃねえ。体の傷も見たんだよ」
「体?」
 マオリは目を細めて煙を吐き出し、嫌な笑みを浮かべて頷いた。
「なるほど。そういうこと」
 品定めでもするかのようにおれを眺め回して、いった。
「やった? あいつと」
「やってねえよ。いっしょにすんな」
「いいじゃん。隠すなよ」
 連帯を示すかのようににやにや笑う。
「最高だよな、あいつのセックス」
「だからやってねえ」
「あっそ。じゃあいいや、そういうことで」
 あっさり引き下がって、マオリは2本目の煙草をつまんだ。深夜の非常階段はほかに人気もなく、静まりかえっている。
「関係ないんだったらさ、いちいち首突っこんでくんなよ。あんましつこいと、こっちも助っ人頼むことになるよ」
「助っ人?」
「営業の邪魔してんだろ。そういうトラブルを解決してくれるとこと契約してっから」
 ため息。こいつはどこまで間抜けなのか。元彼との相談に乗ってくれたとはいえ、宥人がこいつのどこに魅力を感じたのか理解できない。
「おまえ、馬鹿か?」
「あ?」
「うちもおなじようにミカジメ払ってるって想像できねえの?」
「……」
「そっちがバック出してくるってんならこっちも出さざるを得ねえだろ。店対店、組対組になったら、かえって面倒なことになるだけだって、ちょっと考えたらわかるだろうが。それとも、組が出張ってまで守りたいほど大物なのかよ、おまえ?」
 マオリは黙ってしまった。そこまで考えていなかったのは明白だった。
「喧嘩のやりかたも知らねえでいきがってんじゃねえぞ、ガキが」
 相手にする気も失せ、おれはマオリを圧し退けた。脇を通り過ぎる瞬間、大麻の匂いが鼻腔をすり抜けた。足を止め、マオリのシャツの襟をつかんだ。
「おい」
作品名:EXIT 作家名:新尾林月