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EXIT

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 立て続けに煙を吐いて、まだ長い煙草の先端を灰皿の底に圧しこんだ。膝を立てて宥人に近づいた。宥人はまだ掌で顔を覆っていて、おれがすぐそばにいるのに気づかなかった。腕をつかむと驚いて顔を上げた。
「善くん……?」
 宥人の体が強張るのがわかった。丸くなっていた肩を圧し、背中をソファに沈ませた。仰向けになった宥人の上に跨がる。
「善くん!」
「黙ってろよ」
 体の下でもがく宥人を鋭く制した。両脚の間に体を割り入れ、腰から臀部にかけて掌で撫で回す。
「やめ……」
 逃げようとする宥人を押さえつけ、首に舌を這わせた。皮膚が粟立ち、抵抗する力がつよくなる。
「暴れんなよ。そのつもりできてたんだろ。期待に応えられなくて悪かったよ」
「そんなことない……」
「嘘つけ! エロい目でおれの体見てたの知ってんだよ!」
 宥人は顔面蒼白だった。ショックを受けたように唇を震わせ、おれをじっと見ている。直視できなかった。
「……本当はこんなことしたくないって知ってる」
 おれを責める代わりに、宥人はいった。思わず臆した。
「おれにできないと思ってんのか。舐めんなよ!」
 宥人にいっているのか、それとも自分にか、わからなかった。感情が昂り、まともな思考ができなくなっていた。
「善くん、お願いだから……」
「わかってるよ。いうこと聞いたら守ってやるから」
「ちがう。そうじゃなくて、こんなのは……」
「嫌じゃないだろ!」
 叫んだ。おれの肩を圧し返そうとする両手をつかみ、宥人の頭のうえにまとめ上げた。
 嫌じゃないはずだ。腿を持ち上げ、強引に脚をひらかせた。脚の間に自身の中心を圧しあてると、宥人の体がびくっと跳ねた。
 おれは自分でも驚くほど興奮して屹立していた。一方で、宥人は怯え、縮こまっていた。
「なんでだよ、くそっ」
 怒りともどかしさが綯い交ぜになった暗い感情が腹の奥で渦巻いた。
「だれでもいいならおれでもいいだろ!」
 シャツの裾をつかみ、強引に引き上げた。宥人の肌が露わになる。おれは動きを止め、宥人の腹を見つめた。
 腰から腹にかけ、無数の打撲や擦り傷がひしめいている。顔の傷とは比較にならなかった。おれの脳裏に、幼い頃、母親と母親の男から受けた暴力の記憶がフラッシュバックした。
 無意識に拘束する力が弱まっていたのだろう。宥人に肩を圧され、怯んだ隙に腹を蹴られて、ソファから転げ落ちた。
 宥人が鞄をつかみ、逃げ出すのが見えた。
「宥人さん!」
 どうして呼び止めたのか、自分でもわからなかった。宥人は一度だけ振り返った。おれを見る目。その一瞬見えたのが怒りなのか落胆なのか、判別できなかった。
 宥人はなにもいわずに部屋を出て行った。階段を降りる足音が聞こえたが、後を追うことができなかった。取り返しのつかないことをしてしまったことに、もう気づいていたからだ。

 罰が当たったのだと思う。翌日、おれは高熱を出し、店を休んだ。ちょうどウイルス性の流行病が巷を騒がせている頃で、ママも無理に出勤させることはなかった。しかし、その次の日も熱は下がらず、咳がひどくなり、喉も腫れて、声を出すだけで痛んだ。
「お店は心配しなくてだいじょうぶよ。知り合いの店に頼んでボーイをひとり回してもらったから」
 状況を知らせる電話をすると、ママは安心させるようにいった。
「ここんとこ働きすぎだったでしょ。体を休めるいいきっかけと思って、養生しなさい」
「すみません……」
 3日目も高熱が続いた。ママが差し入れを持ってきてくれたが、伝染する恐れもあるため、部屋には入らず帰った。
 ドアノブに掛けられた袋にはミネラルウォーターや栄養ドリンク、弁当、風邪薬などの他、店の女たちの見舞いのメッセージが書かれた紙も入っていた。大袈裟なことだ。しかし、たしかにこの状況は思っていた以上に重いかもしれない。暗澹たる思いを抱いて、おれはベッドの上で身じろいだ。
 体が重い。熱のため全身がだるく、筋肉の節々が痛んだ。まともに動くことができず、汗を吸って重くなったベッドに寝たまま、天井を見つめることしかできなかった。
 3日間、ほとんど固形物を口にしていなかった。服薬のために弁当をわずかに胃に入れたが、すぐに吐いてしまった。これまで風邪さえほとんど引かずにいた。これほど体調を崩すのは生まれてはじめてだった。宥人にしたことの罪がそのまま返ってきたかのようだ。
 いや……
 熱にうかされ、靄のかかった頭で考える。
 宥人に与えてしまった苦痛はこんなものではないだろう。いっしょにするのはあまりに身勝手だ。
 あの日から宥人とは連絡を取っていない。なにかいうべきだろうが、なにをいえばいいのかわからなかった。
 部屋を出る前、振り返ったときの宥人の眼差しが脳裏に焼きついて消えない。おれに失望し、軽蔑しただろう。おれを見るあの眼。思い出すだけで全身が引き裂かれ、ばらばらにちぎれてしまいそうだった。
 薬を服み、横になると、しばらくして眠気が訪れた。
 どのくらい眠ったのか、スマホの着信音で目が覚めた。
 全身にいやな汗をかいている。体調が悪いときに見る夢はどうしていつも悪夢と決まっているのだろうか。
 ふだんならディスプレイを確認してだれがかけてきたのか把握してから受信する。しかし、頭が回らず、緩慢にスワイプして電話に応じた。
「善くん?」
 聞こえてきたのは思いがけない声だった。
「……宥人さん」
 喉の炎症のせいで声がざらつく。
「ごめん、寝てた?」
「いや……」
 スマホの画面に目をやり時間を確認する。夜9時を回ったところだった。薬を服んだのが夕方頃だったから、3時間程度は寝ていたらしい。薬の効果か、熟睡していたようで、まだ完全に醒めきっていなかった。
「今出張中で、お土産買おうと思ってママに連絡したら、善くんが体調崩したって聞いて。だいじょうぶ?」
 宥人の声は、すくなくとも回線ごしに聞こえる声は、ふだんと変わらない。おれはすくなからず安堵していた。
「具合どう?」
 おれが答えずにいると、重ねて聞いてくる。心配そうな声。慌てて答えた。
「ああ、うん。だいじょうぶ」
「ごはんは食べた?」
「すこしね」
 頭がぼんやりしているせいか、宥人の声が頭蓋に響く。嫌な感覚ではない。水面に落ちる一滴の雫が波紋を広げるように、宥人の声がおれの鼓膜を震わせ、全身に広がっていく。
「宥人さん」
「なに」
「……きてくんねえかな」
 無意識に、口が動いていた。回線の向こうで躊躇するような気配を感じ、我に返った。今、出張だといっていなかったか。時間を考えても無理な相談だ。そもそも、数日前にあんなことがあったばかりだ。無神経すぎる。
「ごめん。やっぱ今のなし。気にしないで」
「行くよ」
 宥人ははっきりいった。
「なにかほしいものがあったらLINEして」
 そこまでいってから、電話を切った。無機質な回線音を聞きながら、おれは呆然としていた。

 宥人が部屋にきたのは、電話を切ってから4時間後の深夜1時頃だった。宥人はスーパーの袋を提げていた。靴を脱ぐなり、ドアから真っ直ぐおれのほうへやってきた。マスクをしていてよく見えないが、顔の傷はだいぶよくなったようだ。
「体調は?」
作品名:EXIT 作家名:新尾林月