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 間延びした声には明らかな悪意が見て取れた。若い男たち数人が笑い声を上げながら宥人に向けて暴言を浴びせはじめる。スマホを掲げて動画を撮影している者もいる。
「弁護士先生は弱いものの味方じゃないんですかー」
「おれらの主張にもちゃんとびょーどーに対応してくださいよー」
 無遠慮で無秩序な野次に、周囲がざわめく。
「ちょっと、なんなの、あんたたち」
「こんなとこまできてんじゃないよ。帰りなさい!」
 参加者が男たちに詰め寄り、穏やかだった空気が一気に張り詰める。
「なんだよ。だれでも参加していい集会じゃねえのかよ」
「暴力はんたーい」
 明確な悪意を持ち、邪魔をする目的でこの場にあらわれた招かれざる男たちが声を上げる。そのうちのひとりが宥人に向かって叫んだ。
「菊地先生よー、あんたもオカマの仲間なんだろうがよー、なあー」
 考えるより先に体が動いていた。おれは男に近づき、背後から首をつかんだ。男が驚いて言葉を飲み込む。首をつかむ手に力をこめ、耳元で囁いた。
「殺すぞ、おまえ」
 低い声でいうと、男の喉が震える感触が掌に伝わった。
「やめてください!」
 主催者のひとりらしい女の声がして、おれは数人に腕をつかまれ、男から引き離された。我に返り、宥人を見る。当然ながら、宥人はおれに気づいていた。表情を強ばらせて、おれを見ている。
「静かにしてください!」
 宥人がマイクを手に喧噪を制した。
「これは平和的な集会です。差別をなくすために行っているもので、争いは望みません。どうか冷静になってください」
 凛とした、理性的で、かつ厳しい口調だった。男たちがおれをにらんだが、おれがにらみ返すと、あからさまに目を逸らした。あのバーテンダーのマオリとおなじように、自分よりもつよい者の力を敏感に察して、保身にはしっている。相手が小柄で立場のある人間であればいくらでも無礼な振る舞いができるというのに、いかにも情けない。ため息すら出ないほど無様だ。
 男たちが去ると、集会に再び平穏がもどった。おれも冷静になり、自分の行動を意識する余裕も生まれていた。後悔しているわけではないが、やりすぎたかもしれない。おそらく、言葉で争ったとしても、決して手を出さないようにしているのだろう。部外者のおれがそのルールを破ったのは間違いない。
 宥人はすでにマイクを離し、ほかの人間がバトンを受け取ってしゃべりはじめていた。宥人の姿は見つけられない。その場にいるのが気まずくなり、おれは帰ることにした。くるべきではなかったのかもしれない。夜、宥人がきたら謝罪するべきだろう。悪気があってやったことではないにしても、集会の空気を乱してしまった。
「あの、ちょっとごめんなさい」
 輪を離れたところで、声を掛けられた。知らない男だ。見た目にははっきりわからない者もいるが、一見してゲイとわかる派手めの化粧を施した男が数人。ひとりは最初にスピーチしていた物件探し中のゲイだ。おれは戸惑い、多少なりと警戒しながら足を止めた。
「ごめんなさいね、突然声かけちゃって。ゆうちゃん先生のお知り合いの方?」
 どう返答していいか迷っていると、隣にいた男がおれの首元を指さした。
「それ、ゆうちゃん先生のマフラーでしょ。シンちゃんの手編みだから、わかんのよ」
 宥人が部屋に忘れていったマフラー。宥人ならおれのマフラーを集会にも持ってくるだろうと思い、巻いてきたのだ。気にもとめていなかった。
「あー、はい。知り合いです」
 どうやら宥人のアンチではなくむしろ好意を持っているようだとわかり、おれはすこし警戒を緩めた。
「やっぱりね。さっきもあの馬鹿ヘイターどもを止めてくれてたでしょ」
「止めたっつーか……ちょっとついよけいなことしちゃって」
「ううん。そんなことない。たすかったわよ。胸がすっとしたわ」
 いきなり手を握られて、おれは緩めた緊張を再び全身に張り巡らせた。偏見ではなく、知らない男に手を握られるのは苦手で、ついファイティングポーズを取りかける。
「あたしら、ゆうちゃん先生にはほんっとうにお世話になってんの」
「前にこの子が二丁目でいきなり殴られたときも、警察に掛け合って防犯カメラ証拠に犯人挙げてくれたしね」
「ほんとよ。交番の警官なんて鼻にもかけなかったってのにさ」
 比較的細身の男が悔しそうに顔を歪める。
「ゆうちゃん先生みたいな弁護士さんは珍しいのよ。たいていはあたしらなんて、はなから馬鹿にしてかかるのに、偏見なんて全然ないし、だれにでもやさしくてすごくいい先生よ」
「そうそう。助けてくれたのに、お金はいらないとかいうから、マフラー編んで渡したの」
「今どき手編みのマフラーなんて時代遅れもいいとこよね」
「しょうがないじゃない、昭和生まれなんだから。お金だってないし」
「ゲイにそんなものもらったら怖いわよ」
「喜んでくれたもーん」
 自身もおなじマイノリティだから偏見などあるはずがないのだが。どうやら宥人は彼らにも本来の自分を隠しているようだった。
「でもねえ、あたしらの味方してくれるのはうれしいんだけど、そのせいで変なのに粘着されちゃって」
「ああいうこと、よくあるんですか」
「テレビとか新聞に出て、けっこう攻めた発言してるでしょ。ネットでも誹謗中傷がひどくなってて、ひどいのよ、ほんとに」
 突き出されたスマホの画面を見ると、大型掲示板のようなプラットフォーム上で宥人に関する誹謗中傷があふれていた。発言を非難するだけならまだしも、なかには容姿を揶揄するようなものや自宅の場所を特定するもの、殺害予告のようなものも見られる。SNSのコメント欄も正視に耐えないが、さらにひどかった。おれは顔をしかめ、あの男たちをそのまま帰したことをやはり後悔した。
「さっきのやつら、暴露系だか迷惑系だか知らないけど、ネットでゆうちゃん先生にしこたま論破されて、逆恨みしてんのよ」
「法律のことも当事者のこともなんにも知らないくせにね」
「今はなんだかゆうちゃん先生ひとりが標的にされちゃって」
 化粧の男たちが顔を見合わせ、頷きあう。
「これも自分の仕事だからって、先生いってるけど、毎日毎日こんなひどい言葉ばっかりぶつけられて、いくら弁護士だからって、病んじゃうわよ」
「わたしたちにとってはありがたいことだけど、先生の負担が大きすぎるのよね。全部ひとりで背負っちゃってるから、このままだといつか壊れちゃうんじゃないかって心配なのよ」
 おれの手を握る手に力をこめて、小太りの男はつよい口調でいった。
「ね、あなた、先生の友達なら、気に掛けてあげて。お願いね」
 いいたいことをいうと、男たちは去って行った。とりあえず、宥人の味方であることは確かなのだろう。
 おれは集会の輪からすこし離れた位置から、宥人が混じっているであろう数十人の塊を見つめていた。無性に宥人と話がしたくなった。

 夜、宥人がアパートにきた。機嫌はいいとはいえなかった。黙って部屋に入り、おれのマフラーを首から抜いて、圧しつけるように渡してきた。
「やっぱ怒ってる?」
「怒ってないよ」
作品名:EXIT 作家名:新尾林月