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 口にしてから、おかしなことをいったことに気づいた。弁護士が依頼人に接見するのに同行できるはずがない。
「あ、ううん。プライバシーの問題もあるから。ありがとう」
 宥人はおれの無知と無謀を馬鹿にすることなく、微笑んだ。
「じゃ、駅まで送る」
「だいじょうぶだって。夜遅かったでしょ。寝てなよ」
「いい。もう目覚めたし、今日店休みだから」
 さっさと起き上がり、コートを羽織った。
 ふたりでアパートを出て、駅に向かう。休日の早朝は通行人の姿もすくなく、3月の風はまだすこし冷たいもののすっきりと澄んで心地よかった。
「今日はそのまま家帰んの?」
 並んで歩きながら尋ねた。宥人がすこし考えてから答える。
「んー、午後は都庁前で集会あるから、また新宿もどるし、洗濯ほったらかしにして出ちゃったから、夕方こようかな」
「集会? 宥人さん、単車乗るの?」
「単車?」
 宥人も聞き返して、ああ、と笑った。
「ちがうちがう。そっちの集会じゃなくて。性的マイノリティとその支援をするひとたちが集まって、意見をいったり情報交換したりすんの」
「デモみたいなやつ?」
「デモとはちょっとちがうかな。道を歩くわけじゃなくて、ひとつの場所にとどまってマイクで話すだけだから」
「宥人さんも話すの?」
「いちおう、すこしだけ」
「へえ。聞きに行こうかな」
「無理しなくていいよ」
「べつに無理とかないけど」
 半分相槌、半分本気だった。都庁なら徒歩で行ける。
「ああ、でも善くんきてくれたらたすかるかな」
「おれなんもできないよ」
「体が大きいから、迫力あるでしょ」
 宥人のなにげない言葉が引っかかった。
「なんかあぶない目に遭ったりしたことあんの」
 ネットで脅迫めいた言葉を送りつけられることがあるという話を思い出し、おれは歩く速度を緩めて聞いた。
「や、そんなでもないけど」
 まったくないとはいわなかった。なんとなく不穏な空気を感じて、おれは口を噤んだ。
「あ、やば」
 駅の手前まできたところで、宥人が足を止める。
「なに」
「マフラー、部屋に忘れてきたみたい」
 昨晩部屋にきたときには巻いていたカーキ色のマフラーを今は巻いていない。3月に入ったとはいえ気温はまだ上昇しているとはいえず、肌寒い。アフリカ出身の依頼主の自宅は遠いようだ。
「これ持ってけよ」
 自分の首に巻いていたマフラーを解いて差し出した。
「いいよいいよ。善くんが風邪ひく」
「おれは家帰るだけだから」
 遠慮する宥人の首になかば無理矢理マフラーを巻きつける。
「ありがとう。夜返すから」
「おう。行ってらっしゃい」
 おれよりだいぶ小柄な宥人の頭を軽くぽんと叩く。激励の意味をこめたつもりだったが、宥人は思いがけず顔を紅潮させた。怒っているわけではないようだが、おれは思わずたじろいだ。
「じゃ、行ってきます」
「あ、うん」
 小さな体が小走りに駅に向かって行くのを見送った。涼しくなった首元を指で擦る。
 ここのところ、宥人はほぼ毎日新宿のおれのアパートに入り浸り、三軒茶屋にあるという自宅には帰っていなかった。加えてあの態度だ。ママではないが、たしかに、客観的に見ても、おれに気があると思えなくもない。距離感や価値感はひとそれぞれだろうが、どういうつもりなのだろう。面倒な家事をすべて担ってくれる便利さが違和感を上回っていたから、あえて意識しないようにしていたが、こういうふとしたときに考える。
 実際、宥人はおれのことをどう思っているのだろうか。

 午後過ぎに都庁へ向かうと、都庁前の広場にはすでに50人ほどが集団をつくっていた。輪の中央で恰幅のいい中年男がマイクを握ってスピーチしている。どうやら性的マイノリティの権利を求める集会のようで、集まった男女の多くが同性愛者のようだった。宥人のような協力者や支援者も混じっているのだろうが、見た目にはわからない。それでも、目的をひとつにした集団のなかで、おれがひとり浮いているのは明らかだった。何人かがおれを見て、ひそひそと囁きあっているような空気も感じた。
「こんにちは。これどうぞ」
 細身の男性とショートカットの女性の2人組が差し出してきたチラシを受け取った。A4サイズの紙には「だれもが自分らしく生きられる世界に!」とスローガンが印刷されていた。
 スピーチしているのは性的マイノリティの当事者らしい。おれはチラシの文字を目で追いながら耳を傾けた。曰く、彼とパートナーはともに生活する住まいを探しているようだが、男性同士だと契約を渋る不動産業者もいるようで、彼らは本来の関係性を伏せ、親子であるように装って物件を探しているのだという。病院や市役所でもカップルとして堂々と振る舞うことができず、肩身の狭い思いをしているそうだ。
 不動産業者や行政の側に立ってみれば、個人の感情や思想でルールを変えるのは簡単ではないだろう。しかし、犯罪でもないのに嘘をつき親子を演じて体裁を保たなければならないもどかしさや苦しみは想像に難くない。
 生活に困窮して教育も禄に受けていない身ではあるが、日本人の男性という立場のおれは、そういう意味での差別は受けずに生きてきたのだと気づいた。同性愛という理由だけで投獄されたり、自身に嘘をついて外面をつくりこんだりする必要はなかった。宥人のSNSをときどき覗くだけでも学ばされることは多かったが、こうして目の前で当事者が語る言葉を聞いていると、さらに深く考えさせられる。多くのひとたちが、このような状況を知らないか、知っていて見てみぬふりを決めこんでいるのだろう。宥人がどれほどの覚悟を持ち、苦労を重ねて彼らを支援しているのかを考え、あらためて尊敬の念をつよめた。
 宥人の姿は見当たらなかったが、おれはなんとなくその場にとどまって当事者や支援者の話を聞いていた。まったく知らない世界を体感するようで、不思議な感情になっていた。
 何人かのスピーチの後、宥人の番が巡ってきたようで、ひとの塊のなかから宥人が顔を出した。マイクを持ち、輪の中心に立つ。
「みなさん、こんにちは。弁護士の菊地宥人と申します」
 宥人が挨拶すると、ひときわ大きな拍手が起こった。メディアにも登場し、公の場で発言している弁護士として知られた存在らしい。親しみと敬意が拍手にこめられているのがおれにもわかった。
 十数分の短い時間だったが、宥人は自身が取り組んでいる活動を簡潔に説明し、マイノリティと呼ばれる人々にとっていかに社会が息苦しいものか、国の姿勢がいかに誤ったものかといった主張をわかりやすい言葉で説明した。公表はしていないものの、自身も同性愛者としておなじ苦悩を抱えている宥人の言葉には説得力があった。これまで登壇した数人のスピーカー以上に聴衆の心をつかんでいるのがわかった。宥人のスピーチの合間に何度も拍手が起きるのを、おれは誇らしい気持ちで眺め、周囲に合わせて拍手に加わった。
 スピーチが終わりに差し掛かったとき、突然、輪の一角から笑い声が起きた。数人の男たちが野次を飛ばしはじめた。
「せんせー、自由とか選択肢とかって、おれらにはないんですかあー?」
作品名:EXIT 作家名:新尾林月