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 靴下を脱いで放り投げ、脚をだらしなく床に投げ出して、ソファに仰向けになる。眠ってしまいそうだったが、その前に料理がはこばれてきた。
 大根と鶏手羽元の煮物、蓮根と人参のきんぴら、焼き茄子、ほうれん草ともやしのナムル、蜆の味噌汁に米は五穀米だ。アスリートにでもなったのかと思うようなバランスの取れた献立。宥人は趣味程度などといったが、謙遜どころか大嘘だった。仕事帰りにコンビニに立ち寄って唐揚げやらパンやらを買う悪習はすでになくなっていた。
「手、拭いて」
 テーブルに皿を並べながら、宥人が四つ折にしたハンドタオルを差し出してくる。水で濡らして電子レンジであたためてある。すこし熱めのタオルを広げ、額に載せる。瞼の上にパイル地の感触が心地いい。
 潔癖とはいわないまでも、宥人はかなりきれい好きなようで、壊滅的に汚れて洗濯物やゴミが散乱していた部屋は完璧に清掃されて埃ひとつ落ちていなかった。
「あ、疲れた? 寝る?」
 缶ビールとミネラルウォーターのペットボトルを持ってきた宥人が気遣う。おれは首を振って上半身を起こした。
「いや、腹減ってるから食うよ。いただきます」
 実際、休憩もなく働いて、空腹だった。箸を取り、煮物を口に入れる。派手さはないが、やさしい味付けだった。生姜が効いていて、体の奥からあたたまる。
「うまい」
 正直に賞賛した。宥人はにっこり微笑んだ。
 考えてみれば、手作りの料理というものを体験したことはこれまでほとんどなかった。母親や頻繁に変わる母の恋人たちは育児に関心がなかったし、付きあった女たちもおなじような家庭環境だったためか、台所に立つようなタイプではなかった。自分でつくるのも面倒で、コンビニやスーパーで買う出来合いの総菜やファストフードばかり食べてきた。よくここまで身長が伸び、大きな病気もせず健康に生きてこられたものだ。じょうぶな体に産んでくれたことだけは親に感謝すべきかもしれない。
 ミネラルウォーターを飲んでから、ビールのプルタブを開けた。2種類用意するのはおれの気分によって好きなほうを選べるようにという気遣いだ。実際、飲みたい気分ではなかったが、食事をするうちに手が伸びた。当然、缶もグラスも冷えていた。
 宥人がおれの隣に座った。1枚の皿に米とおかずを盛りつけ、食べはじめた。
「待ってなくてよかったのに」
「待ってたわけじゃないよ。ちょうど小腹空いたとこだったから、あっためたついでの夜食」
 部屋の隅に開いたままのノートパソコンと厚めのファイルがそのままになっていた。遅くなった日にはここで仕事をして、翌朝弁護士事務所に出勤するのが定番のコースになっていた。
 弁護士としての仕事が暇だとは思えない。2日に1度のペースでここへきて、掃除やら料理やらをこなして、また仕事に出かけていく体力には驚くしかなかった。それも無理をしているわけではなく、いかにも楽しげだから不思議だ。
「今日、滝川先生きてたよ」
 飯を頬張りながらいう。
「香里さん指名してた」
「そっか。気に入ってくれてよかったね」
 滝川というのは区議会議員で、宥人と付き合いがあるらしく、紹介されて来店した。3度目で香里を指名して、どうやら太い客になりそうだ。
 ここのところ店が賑わっているのは宥人が紹介する客たちのおかげでもあった。職業柄顔が広く、さらにメディアにも登場する宥人の人脈は幅広かった。政界や法曹界、芸能界から金持ちの客が次々に訪れ、小さな店は連日大わらわだった。
「ビール、もう1本飲む?」
「飲む」
 宥人は静かに立ち上がって、滑らかな動きで冷蔵庫からビールを取ってきた。口数がすくないのは機嫌が悪いわけではなく、おれの疲労度をはかっているのだ。おれがストレスをため、捌け口を求めている夜には自分から話を振り、おれが疲れて会話も面倒だという夜には邪魔にならないよう控えめに振る舞う。
 宥人の気配りを同性愛者特有のものだと思っていたが、今ではそうでないことを理解していた。すべてのゲイがこうであるはずがない。おそらく、生来の気質のようなものだろう。
「宥人さんって、きょうだいいるんだっけ」
 きんぴらを噛みながら、尋ねた。舌先で歯茎をさぐっていると、宥人がさりげなく楊枝の箱をテーブルの上に滑らせてきた。
「下に妹が3人いる。2人は結婚してて、甥っ子と姪っ子が6人いて騒がしいよ。お正月とか、お年玉がたいへん」
「それでか」
「なにが?」
「面倒見がいい」
「実家ではなにもしないよ。ひとり暮らしだからいろいろやらないといけないだけで」
 習い事でも料亭への弟子入りでもなく、このレベルの料理がつくれるとしたら、相応の努力か親の教育によるものだろう。掃除や洗濯にしても、一朝一夕でできるものではない。
 床に脱ぎ散らかしたコートと靴下がいつの間にか消えていることに、ようやく気づいた。おれがだらだらしているうちに、宥人が片付けたのだろう。
 背筋を伸ばして静かに食事をする宥人を横目に見ながら、おれはこれまでに付き合った女たちのことを思い出していた。どの女も決して悪い女ではなかったが、おれとおなじような生活環境で生きてきただけに、生活能力が乏しく、頭もいいとはいえなかった。女とは我儘なものだと達観していたから、とくに喧嘩になることもなかったが、今考えてみれば、いかにも利己的で思いやりがなかった。
「なに」
 気づくと宥人がこちらを見ていた。おれはしばらく宥人を見つめていたようだ。
「べつに」
「なんだよ。気になる」
 宥人は穏やかな微笑を浮かべている。おれだけではなく、だれもが心をゆるしそうなやわらかい笑顔だった。おれはビールを飲んでから首を窄めた。
「ほんとになんでもないって」
 かろうじて誤魔化し、口を噤んだ。実際にはこういいたかった。あんたが女だったら、と。

 小さな囁き声で目を覚ました。薄暗い部屋の隅で宥人がだれかと電話で話している。枕元に置いてあったスマホのディスプレイは7時と表示している。もちろん夜の7時ではない。朝だ。
「ごめん。うるさかった?」
 電話を終え、おれが起きたことに気づいた宥人が立ち上がる。
「なんかトラブル?」
 平静を装ってはいたが、宥人の表情やしぐさには緊迫したものがあった。
「うん。ちょっと行ってくる」
「日曜に仕事?」
「依頼主から連絡あってね」
 急いでジャケットを羽織りながら、宥人が話す。
「アフリカ出身の女性なんだけど、ビザの有効期限が迫ってて、強制送還されそうなんだ」
 外国人が生活するために必要なものだということは知っているが、それだけの知識しかなかった。
「よくわからんけど、それってしかたないことなんじゃないの」
「いや、そのひとはレズビアンで、国が同性愛を法律で禁止しているから、自国に帰ったら逮捕されちゃうんだよ」
「女が女を好きなだけで? やべえな」
「やべえんだよ」
 宥人がおれの口調を真似る。おれの前ではあえて切迫感を抑えていたが、ノートパソコンや書類を鞄に詰めこむ動作には焦りが見えた。
「難民認定を急がないと、下手したら殺されるかもしれない。そういうことで、今ちょっとナーバスになってるんだ」
「おれもいっしょに行こうか」
「え?」
作品名:EXIT 作家名:新尾林月