ネル君がくれた紅茶
僕にはその時、口に出来る言葉がなかった。
“冗談を言う雰囲気じゃない”
“でも、冗談に違いない”
“なんてツッコむのが正解なんだろう?”
もちろん僕はすぐに信じる事もなく、一応首を傾げて、彼を傷つけないようにこう聞いた。
「え、どういう事?」
すると、ネル君はこう話しだす。
「正確には、僕の祖先達が、火星の住人だった。火星から脱出し、宇宙をさまよっていたんだ」
僕は、どうしたらいいのか分からなかった。「そんな冗談よしてよ」なんて笑い飛ばせるような様子じゃなかった。彼は本当に、宇宙を放浪してきた祖先の歴史に敬意を払い、哀れみを感じているように見えたんだ。
でもやっぱり、僕は騙され掛けているとしか思えなかった。
“どう言えば、この話に応じなかった事になるかな…”
僕を騙そうとしているなら、軽はずみにネル君の話を信じたような口ぶりで話したら、笑われるのは僕の方だ。だから、僕は少し抵抗した。
「それで?」
僕はその一言だけを言った。あくまで話の先だけを欲しがった。
「うん。僕達が地球に来たのはもう100年も前なんだ。でも、今度、別の銀河の星に、移住する事になったんだよ」
「えっ…」
僕はその時、ネル君には悪いけど、素直にこう思った。
“もしかしてこれって、新手の詐欺かな…?”
“宇宙に行くお金が足りないんです、なんて言って騙し取られる…訳、ないよね…”
“こんな話、誰も信じないし…”
僕が返事に迷っていると、ネル君は、床に置いていた自分の鞄を拾い上げる。そしてその中から少し大きめな瓶を取り出して、テーブルに置いた。
僕は黙って瓶を見ていたけど、それはどうやら、紅茶の瓶みたいだった。おかしな話だ。紅茶の瓶を出すのに、火星の話なんか必要ないだろう。
そう考えてネル君の顔をちらっと窺うと、彼はまた喋り始めた。
「これは、僕の故郷で獲れたお茶なんだ。僕は地球を旅立つにあたって、これを君にあげようと思って、今日、君の家に来た。だから、約束して欲しい事がある」
「え、ちょ、ちょっと待って…」
僕は、急速に進んだ話に、少し警戒した。まさかこのお茶が毒物だともあまり思えなかったけど、もしそうだとしたら、そんな物を手元に置きたくないから。
「そ、そんなの…ごめん…僕、よく分からないよ…」
僕はとうとう降参した。自分がネル君の話を受け入れられないと、音を上げてしまった。でも、ネル君は僕を責めたりしなかった。
「大丈夫。急に信じる事が出来るなんて、思ってない。なんでも聞いて」
“なんでも聞いて”
その言葉に僕は、少し勇気が湧いた。
“そうだ!一つ一つ聞いてみれば答えが出るんだから、彼の話の理由が分かるかも!”
僕は、一つずつ、浮かんでいた疑問をネル君に聞いた。
「えっと…この話が、もしかして、僕を騙す冗談だったり…?」
「しないよ」
ネル君はそう言って、緩やかに首を振る。
“そう言うよね…冗談だとしても”
諦めず、次へ。
「じゃあ…君は、詐欺師だったり…?」
「そんな事出来ない」
そう言ったネル君も、優しく笑っていた。
“詐欺師も、そう言うんだろうなあ…”
挫けずに、最後の質問へ。でも僕は、聞こうとした時、ひやっと胸が冷たくなった。
“これが本当だって言われて…僕は信じられるのかな…”
怖かった。友達の言う“本当の事”を受け入れない自分なんて、見たくない。だから僕は、自分が勇気を示せるようにとだけ祈った。
「本当に、君は…火星人だった…の?」
その言葉に、ネル君は黙って頷いてしまった。僕はその瞬間、高い山から滑落していくような恐怖を感じた。
“信じなきゃ、彼は僕の友人で居てはくれないだろう”
“でも、そんな話が本当にあるんだろうか?いいや、信じないと…”
“…信じないと…”
僕は、心細い気持ちで胸がいっぱいで、でも、どうしても信じられなくて、自分を恥じながら、ネル君に頭を下げた。もう、いっぱいいっぱいだった。
「ネル君…!ネル君、ごめん!やっぱり、僕…」
頭の上から溜息が聴こえて、やっぱりその時僕は、“からかわれただけだったかも”と、一瞬思いかけた。でも、顔を上げた僕が見たのは、異様すぎる物体だった。
しゅるしゅると伸びる、ネル君の腕。それはまるでゴムで出来た人形みたいで、彼はそれをすぐにしゅるっと縮めて、元に戻った。そして、テーブルに肘をついて、僕に微笑む。
「わかった?」
僕は、驚きと、混乱と、少しの恐怖で、一生懸命頷くしかなかった。