後悔の意味
ある意味、湧川は、
「世間から置いて行かれてしまった」
と言っていいかも知れない。
湧川は、その後、一旦、恋愛という感覚から離れていた。それまでは、恋愛を意識していないようだったが、気が付けば、恋愛というものに、いつの間にかのめり込んでしまっていたのだ。
そんな状態になってからというもの。人生がうまく行かなくなり、仕事もプライべーろにも、やり気はなくなってしまっていた。人との出会いもまったく期待しないようになったし、人と出会うことが、自分の悪夢だと思うようになっていた。
「やっぱり、あの時、格好なんかつけずに、まわりに何と言われようとも、文句を言えばよかったんだ」
と、いう後悔が、さらに後悔を呼び、
「負の連鎖」
が続いていた。
そんな時、聞く気はなかったのだが、遠くの方から聞こえてきた言葉を聞いて、それまでの自分が何だったのかを考えさせられた気がしたのだ。
それは、
「長所は短所と紙一重というでしょう?」
と、聞かれた女の子が、それを聞いて、
「うん、聞いたことがある」
と答えたのを聞いて、最初に言った彼が、
「じゃあ、短所は長所と紙一重だとは言わないよね? そう言ってしまうと、悪い意味に聞こえてくるからね?」
というのだった、
「ええ、確かにその通りよね。主語をどっちに持っていくかということを考えると、その内容は違ってくるのは当たり前だから」
というと、
「その通りなんだ。それは、まるで鏡に映ったもののごとくなんだけど、自分の姿が、目の前にある鏡に映った時、左右が対称なだけで、まったく同じものを映し出していると思っていないかい?」
と聞かれた女の子は、少し考え込んでから、
「ええ、それはそうだけど、当たり前のことが違うとでもいうの?」
「いいや、そうじゃない。当たり前のことは当たり前なんだよ。だけどね、人間というのは疑り深いもので、その当たり前のことを、急に信じられなくなることがあるんだよ。そう思ってしまうと、天邪鬼な考えをしてしまったり、それを信じることが、後悔に繋がると思うようになるんだよ。それが怖いということもあるというわけだよ」
と男性は言った。
「というと?」
「君は、ドッペルゲンガーというのを聞いたことがあるかい?」
「ええ、もう一人の自分がいるという、あれのことでしょう?」
と彼女がいうと、
「そうなんだ。まるで鏡の世界から出てきたようなもう一人の自分。それを描いた作品もいっぱいあって、その存在はいろいろな説がある。でも、僕の中では、長所と短所が入れ替わっているような存在じゃないかって思うんだ」
と男がいうと、
「それはどういうこと?」
「自分の中で、自分では長所だと思っていることを、ドッペルゲンガーでは短所であり、逆もあるということ。つまり、まるで鏡に映った自分が鏡から出てきたようなイメージというのはそういうことなんだよ」
という。
「じゃあ、あなたは、この同じ次元の世界に、似ているけど、性格的には裏返しの人がいるということを言っているの?」
「ああ、そうなんだ。だから同じ顔をしていても、誰にも気づかれない。だけど、人によっては、あるいは、場合によっては。その人の存在に気づく人がいる。その人には、同じ顔に見えるだろうね。そして、性格が正反対であることに気づく。それが、できるある人というのは、本人である可能性が高い。だから、そのことに気づいた人は、片方の影から消されることになる」
「どうして?」
「この世に、光と影が別人であるということは許されないからなんじゃないかな? 光があって、実像から影ができる。つまり、影が別に存在すると、影ばかりになってしまって、その存在意義が薄れてしまう。それで、ドッペルゲンガーに気づいた人は、死んでしまうという理屈なんじゃないかって、俺は思っているんだ」
というのだった。
「そんなものなのかしら?」
と女性がいうと、
「ああ、そんなものさ。俺は、以前、電車の中で、一人の男性に失礼なことをしたんだよ。きっとその人は俺のことを恨んでいるだろうね? だけど、それは俺の影がしたのさ。影というよりも、自分の本性と言えばいいのかな? そしてもう一人の俺が、この俺の存在に気づいたのさ。そこで、もう一人の自分は、消されてしまった。だから、今の俺は、長所も短所も兼ね備えた人物になれたということさ」
というのを聞いて。湧川はビックリした。
どこかで聞いた話であったが、まさにこの話は、後悔が自分の中でできてしまったことで、今は奈落の底に叩き落されたあの時の話を聞いているようだ。
よく顔を見ると、確かにその時の男だったのだが、どう考えても別人にしか思えない。
「俺はやつのドッペルゲンガーを見たのだろうか?」
誰かのドッペルゲンガーを見ると死ぬというが、どうなるのだろう?
そんなことを考えたが、その思いは、
「いまさら」
なのであった。
「ドッペルゲンガー? そんなものは、あの世の世界での出来事ではないか? 俺が感じているこの世界では、そんなものは妄想でしかない。なぜなら、影は、必ずその人にくっついているものではないからだ」
と考えたのだ。
仕事にも、恋愛にも、さらにはプライベートにおいて、すべてを失ってしまい。残ったのは、後悔だけだったはずだ。
その後悔がいかに自分を苦しめ、その苦しみから逃れるにはどうすればいいのかを考えていた。
「結論は一つしかない。死ぬしかないんだ」
そう思って。湧川は自殺をした。
遺書を残そうという気はなくて、どこかの屋上から飛び降りたので、
「衝動的な自殺」
ということになった。
それは間違いのないことだったが、死んでも結局誰も悲しむ人なんかいない。ただ、自分が楽になったというだけのことだった。
だが、死んでしまうと、この世で彷徨うことになるということを忘れていた。後悔がどしても、此の世に残ってしまったからだろう?
じゃあ、後悔というのは、一体何なのか?
「それは、自分に後悔させた相手が、すでにこの世にはいなくて、幻だけを追いかけてしまっていた」
ということであった。
「俺の30年という人生。一体何だったのだろう?」
これが、後悔というものである……。
( 完 )
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