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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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 わたしはアキナに『ぼちぼち行くぜよ』と送り、スパシオを現地へ向けて走らせた。午後一時を回ったところでランちゃんから『あざす、資料めっちゃ助かります』とメッセージが届いた以外は、静かだった。郊外の一本道からつづら折りに折れて、入口の前でスパシオをUターンさせたわたしは、一度深呼吸をしてエンジンを止めた。運転席から降りると、カメラバッグを背負って三脚を地面に置き、フラッシュライトのスイッチを押した。最後に虫よけスプレーを全身に振りかけて手袋をはめ、借りた鍵を社員通用口に挿しこんだ。いつも冬美が破ったバリケードの隙間や窓から入っていたから、不思議な感じだ。真っ白な太陽光が差しこむ一階は相変わらずで、中央の階段はコンクリートが浮き上がってボロボロになっているけど、形は当時のままだった。ワイヤーが片方だけ切れて傾いたシャンデリアを見上げながら、わたしはカメラのスリングを首から吊って、写真を撮り始めた。最上階まで階段を上がり、ひと通り写真に収めていく間に気づいたのは、もう何年も前のことなのに記憶が鮮明だということ。島トリオのときは三人で回っていたけど、今はひとり。仕事だから寂しさを感じる余地はない。でも、自分の足音しか響かないというのは、どこか緊張感がある。四階で足を止めたわたしは、廊下に踏み出した。ロイヤルの噂のひとつで曰くつきの部屋、四〇五号室。ダブルベッドが二組ある一番大きな部屋で、赤ワンピ女が目撃されたのもここだ。噂の通りなら、道路を挟んだ向かいの住宅地で花火をしていたグループが気づいた。わたしはドアが開きっぱなしになった『開かずの間』に入って、窓から住宅街を見下ろした。ここに何かがいたとしたら、結構目立つ。部屋を見回して、わたしは今までは見向きもしなかったクローゼットを開けた。当然、ハンガーには一枚もかかっていない。勘に任せて、わたしは下の衣装棚を開いた。ひとつ目は外れだったけど、二つ目を開けたとき、わたしは思わず口角を上げた。
 赤色のワンピースがくしゃくしゃに折られて詰め込まれている。首元に金色のステッチが入った綺麗なデザインで、冬物らしく生地はかなり厚手だ。これをハンガーに吊るして窓から見える位置に置いておけば、道路の反対側からなら人に見えるはずだ。そこまで想像したとき寒気がふっと通り抜けて、わたしは思わず肩をすくめた。
 やはり、この噂も冬美の仕業なのだろうか。解体業者の事故よりも後に出た噂だったはずだけど。解体業者の車に細工して事故を誘発したのなら、その結果は知っているだろうし、勢いで大学を中退するのも分かる気がする。でも、その後もこのホテルに出入りしていたとしたら、それはもう頭のネジが外れているとしか言えない。
『冬美はヤバいよ』
 アキナのメッセージでも示された、底なしの行動力。この建物全体が冬美の意思を引き継いでいるようにも感じる。わたしはワンピースをハンガーにかけると、全体の写真を撮った。さっきからスマートフォンが何度か震えていて、おそらくランちゃんからのメッセージだろうけど、今は見ている余裕がない。わたしは、例の地下に着いてしまう階段を下り始めた。三脚を持ってきたのは地下の宴会場を撮るためだし、『おまえはまちがえた』という冬美の署名を写真に収めないと、来た意味がない。
 妙に間延びした階段を下りている最中、一階を通り過ぎたことが分かった。ここから先は真っ暗。わたしはフラッシュライトを取り出して、常時点灯モードに切り替えた。
 成人式の日は、秋奈と普通に話していた冬美。性格からすると、秋奈が犯人だと疑っている時点で、一切話さなくなりそうだけど。頭の中は、過去と今目の前にある真っ暗な景色を行ったり来たりしていて、三脚を立てる気にもなれない。わたしは、一切光が入らない地下の宴会場に辿り着いて、フラッシュライトを振った。冬美がスプレー缶をからからと鳴らしながら振って壁に下手くそな字を書いていた、当時の記憶。それは頭の中で最前線まで出てきていて、目の前の景色と照合されるのを待っている。わたしはフラッシュライトで壁を照らしながら、目を凝らせた。確か、手前の壁だったはずだ。でも、真っ白な光で照らされる壁は、塗り直されたような明るい灰色だ。うっすら字の跡が見えるような気もするけど、おそらく写真には映らないだろう。誰かが消したのか。
「オチつかないじゃん……」
 わたしは思わず呟いた。ここに『おまえはまちがえた』と書いていないと、話が終わらないんだが。無意識に冬美の口調を真似てしまったことに気づいて、わたしは首をすくめた。さっきから寒気が止まらないのに、どうしても自分で自分を怖がらせてしまう。
 しかしこれは、ランちゃんが残念がるだろうな。加工して後から字を入れるわけにもいかないし、オチ自体を変える必要がある。わたしはスマートフォンを取り出した。ランちゃんからメッセージと写真が一件ずつ来ていて、それを開こうと指を動かしかけたところで、ふと手を止めた。
 もしかして、この落書きを消したのも冬美? だとしたら、何のために?
 宴会場は広くて、光は端まで届かない。わたしはそれを承知の上で、フラッシュライトを振った。雨漏りで黒ずんだ柱や、ひっくり返ったままの椅子。一番奥のカラオケができるステージは床が腐って抜けたままになっている。
 今、わたしにとって一番怖い存在は、間違いなく冬美だ。真相は分からないにしても、事故を誘発して四人を殺している可能性があるのだから。でも、その印象は一方通行じゃない。もし冬美が、わたしの署名が入った記事をどこかで読んでいるとしたら。冬美はわたしのことをどう思っているんだろう。好意とか悪意じゃなく、このホテルを心霊系のライターとして再訪したわたしは、冬美が考える『怖い話』の中だと、どこに位置するのか。掴みの部分? それとも……。
 手元でスマートフォンのバックライトが消えて、わたしは電源ボタンを押しながらロックを解除すると、アキナにメッセージを送った。
『落書き、なくなってた』
 送ったばかりの文章にすぐに既読のマークが付き、わたしは返信を待って無意識に息を止めた。すぐに、待ちかねていたような短い一行が画面に現れた。
『だろうね』
 思わず、フラッシュライトから手を離してしまった。かろうじてスマートフォンは落とさなかったけど、フラッシュライトはテーブルの上に落ちて跳ね返り、ひっくり返った棚との間に挟まった。宴会場が薄暗く照らされて、わたしはスマートフォンに意識を戻した。アキナの言っている意味が全く分からない。落書きがないって、知ってたってこと?
 何か、理解するための手がかりになるものが欲しい。わたしはスマートフォンの画面を見つめながら思い出した。ランちゃんからのメッセージをまだ読んでいない。画面を切り替えると、仕事モードで暴走気味の文章が表示された。
『段ボールの中身、全部見ました。めっちゃめちゃいいっす。てか、赤ワンピの元ネタって、この子じゃないです?』
 わたしは添付された写真を開いた。真っ先に目についたのは笑顔の細川先生。その隣に、赤いワンピースを着た女が立っている。
「秋奈」
作品名:Suffix 作家名:オオサカタロウ