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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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 内田ロイヤルホテルは、わたしと冬美が都市伝説を作り上げた時点で、すでに廃業から二十年が過ぎていた。訪れるのは秋奈を案内したとき以来だから、八年ぶり。ほぼ記憶の通りだけど、警告の立て看板が増えているし、ロゴも最後の文字が落ちている。
「わー、雰囲気ありますねー。お昼でもちょっと怖いな」
 ランちゃんがスマートフォンで写真を撮りながら言った。わたしは冬美が外したバリケードが今でもそのままなのか気になって、裏手に回るための小道を覗き込んだ。不法投棄の山が阻んでいる上に、新しいトラ柵が立てられている。でも、それほど重いタイプのやつじゃないし、土嚢が結ばれているわけでもない。わたしはトラ柵に手をかけて引っ張った。
「ちょっと、ちょっと。ちょーちょーちょー」
 ランちゃんに背中のリュックサックを掴まれて、わたしは振り返った。ランちゃんは呆れたような顔で器用に笑った。
「立禁とかバリケある廃墟はヤバくないすか? あと、私は喘息あるんでそもそも無理っす」
「なんか今、昔に戻っちゃってたかも」
 そう言ったとき、場違いなぐらいに冷たい空気が服の隙間を縫って、全身が粟立つのを感じた。明らかにやったらいけないことなのに、気づいたら手が動いていた。
「止めてくれてありがと。オーナー調べようか」
 わたしが言うと、ランちゃんは半袖の腕をなぞりながら、腕まくりの振りをした。
「その辺、私が全部チャーってやるんで。先輩はエモい掴みを是非」
「わたしはオチを作る方が得意なんだけど」
 顔の前から羽虫を追い払ってわたしが言うと、ランちゃんはスマートフォンを目にも留まらない速さで操作しながら目を向けた。
「じゃあ、私がチャーと掴みで。先輩はオチみたいな感じで行きますか?」
「そうだね。それでお願い」
 実際大人になってから見てみると、全く怖くない。むしろ好奇心だけが勝っていて、中に残っているはずの懐かしさを全身で浴びたいという気持ちが強かった。帰りの電車では、そわそわしているわたしと仕事モードに切り替わったランちゃんのどっちが先輩かも、分からない感じになっていた。
 また月曜ねと言って駅で別れたけど、ランちゃんは土日もずっと調べ続けるだろう。頭の中から高校時代の出来事を追い出せないのは、わたしも同じだ。
『ロイヤルの記事出すかも』
 アキナにメッセージを送ると、ベッドに横になったわたしは素面の頭で記憶を辿り始めた。椎野くんとのお別れが決定的になったのは、高二の春のスポーツ大会で準備を一緒にしていたときだった。わたしは関係を崩すまいとバカバカしいぐらいに必死で、怖い話を一切することなく、椎野くんが好きな野球関連の知識を頭に次々仕入れていた。同時に島トリオの中では、風がないのに揺れ続けるブランコの話で持ちきりだった。そんな感じで『椎野くんの彼女』と『島トリオのメンバー』の二重生活は、危ういバランスにせよ続いていたんだけど。いよいよ大会本番が近づいてきて、垂れ幕を講堂に広げながら最終チェックをした日。気づくと夜の七時になっていて、外は真っ暗だった。講堂から教室に戻るルートは二つあって、ひとつはメインの校舎を辿る正規のルートで、もうひとつは使われていない旧校舎を通る『島トリオルート』。正規ルートを辿るためのドアが施錠されていることに気づいた椎野くんは、慌てていた。わたしは遠回りだなと思ったぐらいで、確か『先生が閉めちゃったかな』と言ったと思う。でも、怖がりな椎野くんにとっては死活問題だった。これも二十五歳のわたしが頭の中でお人形遊びをする限りでは、取るに足らないことだ。椎野くんは単に、わたしの前で怖がっている姿を見せたくなかったんだと思う。わたしとしては、椎野くんが怖い話を苦手としているのは知っていたし、当時だってそんなことで幻滅なんかしなかったはずなんだけど。とにかく、旧校舎を無言で抜けて教室に戻ったとき、椎野くんの雰囲気は明らかに変わってしまっていた。
『明日夏は、本当に怖い場所が好きなんだね』
 初めて会う従兄弟みたいな距離感に驚いたのを、今でも覚えている。真っ暗な旧校舎を久々に歩くのは楽しかったし、椎野くんという新たな存在がさらに刺激をプラスしていて、わたしの足取りは軽すぎたのかもしれない。
 いつもなら、島トリオの時間と椎野くんの時間が半々だったけど、その日を境に、島トリオの時間がどんどん増えていって、スポーツ大会本番の日に椎野くんから『このまま続けても合わないと思う』と言われて、わたし達の関係は解消された。何かを誰かにぶつけないと気が済まなくて、まず最初に抗議をした相手は大会実行委員会の細川先生だった。
『わたしと椎野くんが残ってたのに、鍵を閉めるなんてひどいですよ』
『鍵とか閉めたことないけど? もしあるとしても、なんで表だけ閉めるんだよ』
 理詰めの数学教師にバッサリ言われると、何も言い返せなかった。
 平穏を取り戻した『島トリオ』で話している内に、ふと疑念が湧いた。冬美は行動力の塊だ。何を実現したかったのかは分からないけど、冬美の大好物は人が怖がっている姿。その考えだけがずっと頭の中で育っていって、同時に『あるはずのないこと』にどんどんのめり込んでいく冬美のことが怖くなってもいた。だから、話し合いの日は夏休みの前日にした。わたしも後のことがどうなるか分かっていなかったから。
『春にスポーツ大会の準備してたときなんだけど。帰ろうとしたら講堂の鍵が閉まってたんだ。しかも表側だけ』
 わたしが切り出すと、秋奈はオレンジジュースの紙パックを持ったまま視線を上げたけど、冬美は関心がないようにスマートフォンを見たままだった。
『あれって、冬美だよね』
 自分の話だと分かって、冬美はスマートフォンに吸い込まれそうになっていた首を持ち上げた。
『何の話? 全く知らないんだが』
 いつもの飄々とした口調も、普段は物真似をするぐらいお気に入りだったのに、そのときは無性に腹が立った。
『椎野くんと別れたの、あれが原因なんだよ』
『裏から出たんだ? 旧校舎は怖がり死んじゃうよね』
 冬美がスマートフォンに視線を戻したとき、わたしはその画面を掴んだ。
『ここから出さないで』
『どういう意味?』
 冬美は訊き返したけど、意味は分かっていたと思う。
『ないんだって、現実には。そんなこと、十七なんだから知ってるはずじゃん。画面の中だけにしといてよ』
 わたしが言うと、冬美は失望したように小さく息をついた。
『そっかー、いるって信じられなくなったら終わりかもしれんね。じゃ』
 終業式は終わっていたし、教室に残る意味もなかったから冬美は先に帰っていった。 秋奈はおそらく三人で寄りたいところがあったんだと思うけど、島トリオ決裂の瞬間を見てしまったショックで顔色を失っていた。
『別れたのって、それがきっかけなの?』
『うん。雰囲気が変わっちゃった』
 わたしが言うと、秋奈は長いため息をついた。
『うまくいかないもんだなあ』
作品名:Suffix 作家名:オオサカタロウ