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二人の中の三すくみ

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 だが、田舎にいくと、実は、田舎でも時刻表を見ることはないという。何と言っても、一時間に一本くらい。しかも、時間がすべて一時間置きということで、一定しているのだ。分を覚えていれば、それに合わせて駅に向かえばいいだけで、時刻表などあってないようなものだった。
 普通なら、都心部に向かっての通勤となるので、朝の通勤も、帰りの通勤も、どちらも反対方向なので、電車で座れないということはまずなかった。
 しかも、最初の数駅座れないことはあっても、ある駅を超えると、ほとんど乗客はいなくなる。その駅は学生街の街なので、学生がほとんどそこで降りてしまう。サラリーマンのほとんどは、都心方向だ。だから、通勤に関しては。少し遠いというくらいで、電車に乗っている間、辛いということはなかった。
 ただ、駅を降りてから、営業所までは、結構な距離だった。
 徒歩にして、約30分、初めてきた時は、
「一直線の道なのに、歩いても歩いても、まったくどこにも辿り着かない」
 という感覚だった。
 それは、まるで、砂漠の中の、道なき道を、あてもなく歩いているという感覚であった。
 ことわざで、
「」百里の道は九十九里を半ばとす」
 という言葉があるが、まさにその通り、後ろを見ると確かにかなり歩いては来ているのに、目的地すら見えてこない。時間だけが無駄に過ぎていき、次第に苛立ちと、体力の消耗を余儀なくされる。そんな状態だったのだ。
 前述のように駅から会社までは、約20分から、30分というところであろうか? 駅前には、昔からの昭和を感じさせる家が結構あり、
「このあたりの地主の人かな?」
 と感じさせる家が建ち並んでいた。
 かと思うと、少し先に行ってみると、そこには、何と、牛小屋があった。
 牛が食べる草であったり、サイロのようなものがあったりと、まるで、村を思わせるようなものがあったりした。
 夏などは臭いのきつさや、虫もハンパなくいるので、歩く時も結構大変だったりした。さらには、その途中には、鶏小屋があった、歩いていて自動販売機があったのだが、何とその自販機は、その養鶏場のもので、売っているものは、生卵だったのだ。
 他の土地では見ることのできないもので、何とも言えない風情があった。
 そう思ってあるいていると、途中に少し張り出した舗装もしていない小さな駐車スペースのようなところがあり、そこに、小屋が建っていた。その小屋には、いくつもの自動販売機があり、雑誌が入っているのだ。どうも、いかがわしいと言われるような、いわゆるエロ雑誌であり、昭和の頃に言われていた、
「ビニ本」
 なるものであった。
 さすがにそれだけでは昭和でしかないので、それ以外には、DVDの販売機もあり、さらにその奥には、
「大人のおもちゃ」
 が置いてあった。
 ビニ本というと、
「表紙だけ詐欺」
 とでもいうのか、表紙にはかわいい女の子が載っているのに、買ってみると、
「中はケバいおばちゃんが……」
 というのが、昭和の頃にはあったというが、まさにその通りだった。
「これが昭和の世界か」
 と思って、後学のためにと思って勝ってみたが、なるほど、何十年経っても、これらの詐欺は変わらないということであった。
 そもそも、こんな田舎に自販機を置いているというのは、昔からあることで、知らないとはいえ、懐かしくもないくせに、新鮮さを感じた自分がバカだったということだ。
 なるほど、販売機の近くの雑草が生えているあたりに、ここで買ったと思われる本が、何冊も捨てられているのを見ると、
「皆、騙されたと思って、捨てていくんだな」
 と思ったのだった。
 お金がもったいないと思うのか、それとも騙された自分が悪いと思うのか、まるで騙されたことをなかったことにしようとでも思うのか、要するに、お金の問題ではないのだろう。
 そんな昭和の臭いのする自販機には、二度と近づくことはなかったが、それを横目に見ながら歩いていくと、今度は、K市中心部から続いている道に差し掛かるのだ。
 その道は、当時まだ、信号が付いていなかった。だから、メイン道路と言っても、それほど広くない道を駅から来た、まるであぜ道を舗装しただけのような道とが重なるところなので、結構事故が多かったようだ。
 定期的に朝の時間帯など事故が起こっているようで、年に何度か、悲惨な事故が起こっていたようだ。
 実際に、車が、田んぼに天井を下にして、ひっくり返っているのを見たこともあった。救急車や、警察が慌ただしく連絡を取っているのを見たこともあった。
 かなりのひどい事故が結構起こっていた割には、その場所では、死亡事故は思ったよりも少なかったという。
「年間、十人以上くらいは死んでいてもおかしくない」
 と言われるくらいであったが、実際には、2,3人がいいところだったようだ。
 だから、本来なら信号をつけないとあぶないと言われていたにも関わらず、ずっと信号がついていなかった。
 しかし、ちょうど、不知火がこのあたりに勤務するようになってすぐくらいだったか、車同士の出会い頭の事故で、一人が即死で、もう一人が、意識不明ということで、ずっと寝た切りになったという。
 その事故がきっかけで、やっと信号が付くということになって、今はその信号が稼働している。ただ、深夜には押ボタン式になるようで、事故は確かに減っているようだが、元々信号のないところだったので、車を運転する人には、最初は混乱が絶えないようだった。
 その場所というのは、メイン道路と、駅からの狭い道とは、完全な十字路になっているわけではない。しかも、メイン道路はまるで、円の弧を描いているように、緩やかにカーブしていて、しかも、カーブしているところには雑木林のようになっているので、車が差し掛かった時に、他の車が飛び出してきたとしても、猛スピードでメイン道路を突っ走ってくれば、避けようがないのだ。
 そんな状態の場所だから、狭い道から飛び出してきた車の横に突っ込んでしまうという事故が起こるのだ。
 特に夜中であったり、早朝など、車が走っているわけはないと思っているので、しかも、狭い道から飛び出してきた車は、自分が交差点に入った時には車が見えていないので、もう車が来るなどということは、想像もしていないだろう。
 これが、この、
「魔の交差点」
 の正体だったのだ。
 ただ、歩行者という意味では、この道は大丈夫だった。歩きながらでも、車が来ていないかどうか、左右を見ながら歩くからだ。
 それだけ徒歩の歩みというのは遅く、用心深い。逆に車が交差点に入ってから、左右を見るということはありえない。それは、わき見運転になるからだ。
 そんな恐ろしい交差点も、不知火が会社に入って3年目には、信号がついたのだ。最初は、
「煩わしい」
 と思ったが、それも気にならなくなった。
 朝の通勤時間はさすがに車が連なっているので、信号を守らなければいけないが、仕事の帰りともなると、信号など、あってないようなものだ。
 なぜなら、元々、信号などなくとも、関係なかったからだ。
「危険がなければ、赤信号でもいけばいい」
 というのが、不知火の考え方だった。
作品名:二人の中の三すくみ 作家名:森本晃次