あみのさん
三郎がちょっとだけ感じたことがある亜美乃の頑固さであった。しかし三郎は、まだ叩くことは出来ず、「もういいよ」と言う。
「良くない」
亜美乃の決心は固く、まるで、このシーンが無ければ自分の未来も無いという感じだった。表情は怒ったようになり、挑戦的な顔になった。三郎は亜美乃が小さい頃から父親無しで生きてきたというプライドとコンプレックスが混じった性格かもしれないと思った。
少しずつ三郎にも、膠着状態を抜け出したい気持ちと頑固さに対する怒りのようなものが湧いてくるのを感じていた。
「さあ、ぶって」さらに挑戦的な顔を向けた亜美乃を三郎の平手が打つ。
パシッと渇いた音がして、少しだけ亜美乃の顔が横を向いた。
亜美乃は自分でも驚いたような表情をしたあと、左手で頬をおさえながら、ぎこちない笑顔を作った。三郎は打ち終わった姿勢にまましばらく亜美乃を見ていたが、「ごめん」と呟いた。それは亜美乃に聞こえたかどうかは解らなかった。
「ありがとう」亜美乃も小さい声でそう言った。三郎はより小さく見えてしまった亜美乃を抱きしめたくなった。しかし、何かがためらわれて三郎はただ眺めていた。亜美乃がまた「ありがとう」と言ったので、三郎は「こちらこそ」と言ったら、亜美乃が笑った。それから「殴られるって痛いのね」と少し涙目でそう言って笑った。
「もう一つお願いがあるの」
亜美乃の言葉に三郎は、何だろうと思った。
「タクシーを止めて欲しいの。このまま電車にのりたくないものね」
少し腫れてしまったかも知れない頬を押さえながら言う言葉に、三郎は、また自分がそこまで考えていない未熟さを感じた。
亜美乃を乗せて走り去るタクシーの後ろ姿を見ながら、自分の大事な何かが一緒に走り去るような気がして、三郎は二、三歩タクシーに引っぱられるように進んだ。パパパパーとクラクションがが鳴って、三郎は車道に一歩踏み込んだ自分に気が付いた。