あみのさん
「おい、誰だ。何の用事だ」
小走りに五十代と思われる男が近づいてきて、三郎の手に持った靴と顔を見た。
「どこに行くんだ」
完全に詰問調である。それもしょうがない。ここは男子禁制ということで、学生等若い女の子が安心して住まうことができるというアパートなのだから。三郎は下を向いて「佐藤さんのところへ遊びに来たんです」と小さな声で言った。
「ん、誰、佐藤さん?」
男は大家だった。もうなす術がない。三郎は失敗したなあと思いながら、成り行きに任せるしかなかった。いくらか、普通の声に戻った大家の後ろから罪人のようにうなだれながら付いていって、亜美乃の部屋に向かう。
亜美乃がしきりに謝っている。大家はしつこく、こうゆうことが無いようにと説教をしている。三郎はその場から立ち去りたい気持ちだった。
「スリッパをいれた所をさがしているうちに見つかってしまった」
ようやく大家が帰って、三郎は部屋に入ることを許されたが、また言い訳しかでてこない自分がイヤになった。せっかく良い表情になったと思った亜美乃がまた、暗い表情になった。口数も少なくなって、何か考え事をしているようだ。
「とにかく外に出ましょう」亜美乃が支度を始めた。「あとで、お酒でも持ってあやまりに行くから」と言う亜美乃の顔をちらっと見ながら、三郎は亜美乃に負けず暗い気持ちになってしまった。
外に出た。三郎はさっきは爽やかに思えた空気がどんよりと感じた。心なしか空が曇って感じてしまって、空を見上げた。実際、空には黒い曇が増えてきていた。黙って歩く亜美乃は声をかけるのもはばかられて三郎も黙って歩く。
しばらく歩いてから、亜美乃は「私はちょっと買い物をして大家さんの所に行くから、あなたは帰って」と言った。
〈あんた〉ではなく〈あなた〉になった。その言葉も三郎には悲しく思えてくる。自分でもこのまま別れたいのか、もう少し一緒にいたいのかも解らない感情のまま、頷いて三郎は「じゃあ」と片手を挙げて駅へ向かった。亜美乃が少し戸惑うような仕草で少しだけ手を挙げた。少し歩いて振り返った三郎は、亜美乃の小さな背中が別れを告げているように思えた。