あみのさん
会社のある神保町からいつも乗り降りする水道橋の駅を通り過ぎる。駅から出てくる大勢の人に囲まれて、亜美乃が三郎の腕につかまってきた。目の前に野球場が見える。その先に後楽園遊園地はあった。
「すごい人だねえ」亜美乃が言った。
「ナイターがあるんだな」三郎は、以前はテレビで見ていた野球も最近は見ていなかった。
亜美乃も野球に興味は無さそうだった。
「あのね、田舎の友達が遊びに来たとき、町を歩いたんだけどね」
亜美乃が人混みに身体を押されながら言う。
「今日、お祭りかなんかあるの?って聞いたの」
「うん」三郎は聞いていますよという意思表示で短く言った。
「私が、いや別に、どうしてと言うとね。友達がお祭りでもないのにいつもこんなに人が出るのって、びっくりしていたよ」
「そうだね、わかるよ俺も田舎育ちだから。それにしてもすごいね」
野球場を過ぎると急激に人の数が減った。亜美乃は手に持っていたハンカチをパタパタさせて顔を仰いでから「ふーっ」と息をついた。亜美乃はいつものようにノースリーブのワンピース姿だった。小さな丸味をおびた肩の辺にえくぼのようなへこみが見えている。そして少し上気したような顔がなまめかしく感じて、三郎は視線を前にうつした。
「あんた、汗かいてないの?」
三郎は以前から感じていたことだけど、亜美乃にあんたと言われると時代劇に出てくる長屋住まいの夫婦を思い出す。それは少しくすぐったいような感じがした。
「ああ俺、人の頭の上に顔が出てるから」と少し得意そうに言う三郎に、亜美乃が嫉妬と尊敬の混じった目で見上げた。
二人は手をつないで中に入った。
「あの、言っておくけど、グルグル回る乗り物はダメだからね」
三郎がそう言うと亜美乃は一瞬気分を害されたというような顔をしたが、すぐにやはりねといった顔になって前を見ていたが、その顔はすぐに笑顔に変わった。
「ねえ、あそこ」と言いながら亜美乃が三郎の手を引っぱって向かった先は『お化け屋敷』だった。
「アミ」まだ慣れていない呼び方に少しの嬉しさと気恥ずかしさを覚えながら、三郎は話を続けた「アミは道を歩いている時は遅いけれど、遊園地に入ったら、急に歩くのが早くなったね」
「あら、そう」
亜美乃も少しは自分でも気づいたらしくニッコリ笑った。その少してれた笑顔がまた素晴らしく、三郎は何処にでも行ってあげるという気持ちになって、少し引き気味だったお化け屋敷の入場券を買った。