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探偵小説のような事件

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和四年二月時点のものです。今回の小説も、実在の探偵小説に似た話があると気づく人もいますが、あくまでも、実名は出しておりませんので、あしからず。

                 過去のストーカー事件

 あれは、令和3年の2月、寒い日のことだった。前日までが暖かく、その日の昼間も、前日に比べれば少し気温が低いくらいだったが、それでも、2桁の最高気温だった。だが、気温は夕方が近づくにつれて、どんどん下がっていき、それにともなって、夕方近くから、風が強まりだした。
 寒さ対策をキチンとできている人も若干いたが、ほとんどの人は意識していなかったのか、中には、マフラーもストールもしていない人が目立った。
 今日みたいな日は、ダウンジャケットにマフラーでちょうどいいくらいで、薄手のコートにマフラーなしは、たまったものではないだろう。しかも、ちらほらと雪が降っている。これだけの風があっての雪というのは、傘を差さないと顔に痛いくらいの塊が当たる覚悟がいるが、傘を差したら差したで、風に煽られて、差し続けながら、歩こうとするのは、かなり困難だった。
 どす黒い雲が差し込んできて、ただでさえ、日の入りが早いのに、この天候のせいで、5時前からすでに、夜のとばりが降りているかのようだった。
 普段であれば、5時半くらいまでは、まだ日の光の恩恵をそれなりに受けているのに、この天候は、悪天候の部類に入れてもいいくらいではないだろうか。
 学生たちがメインの時間帯に、すでに夜のとばりが降りているというのは、まるでクリスマスの頃を思わせ、気のせいか気忙しさを感じさせたが、実際には、2月という、季節的な合字は多いのだが、あまり行事としてピンとこない静かな時期のような気がする。やはりその理由は、
「いく、逃げる、去る」
 と言われる、年明け3か月が、あっという間に過ぎてしまうことに由来しているからではあるまいか。
「1月は、いく。2月が逃げる。3月が去る」
 とはよく言ったものだ。
 学生時代は、年が明けると、3学期には、期末試験しかなく、しかも、三年生になると、受験が本番となり、あれよあれよという間に、3月の卒業を迎えることになる。就職しても、気が付けば一日があっという間に過ぎている。会社を出ると表が暗いのも一つ大きいかも知れない。同じ暗いといっても、11月から12月にかけては年末クリスマスのイルミネーションが街を彩る。さらに、クリスマスソングが師走の情緒を感じさせる。
 もっとも師走の情緒というのは、あわただしさであって、雰囲気だけではなく、本当に忙しさを感じさせるその時期は、その時はあっという間に過ぎたように思うのだが、後から振り返ると、結構ボリュームのある時期だった。
 それを思えば、年明けは、それほど忙しくはないのに、なぜか、一日一日はそれなりに長いと思っているのに、過ぎてみると、あっという間に過ぎているのだ。
 しかも街中は、年末の慌ただしさはどこへやら、正月の厳かな時期を通り過ごすからなのか、年末とのギャップから、年間の中で、一番時期の変わり目を感じる時なのかも知れない。
「あれだけ、正月が楽しみだったのにな」
 と感じるようになったのは、すでに子供の頃からだった。
 年末の慌ただしさは、子供心に、好きだった。
 何と言っても、自分には関係のない慌ただしさで、しかも、自分は冬休み、クリスマスという、プレゼントはもらえるし、ケーキやごちそうだって食べることができ、しかも、皆がお祝いするという時期に、ちょうど冬休みに入るのだ。
 冬休みは2週間ほどという短さだが、クリスマス前後が一番楽しくて、大晦日までは、うきうきした気分になれる。しかし、正月になると一転、どんよりとした気分にさせられる。父親は家にいて、友達のところに遊びに行こうにも、
「正月から、よそ様のところにお邪魔するなんていけません」
 と言われた。
「どこの父親もそんな感じなのか?」
 と思ったが、どうも友達の間では、自分の家だけのようだった。
 友達に話をすると、
「なんて古臭い考えなんだ」
 と言っていて、
「昭和の家庭だ」
 と言われたものだ。
 まだ、20世紀だったので、そんな昭和の家庭も中にはあっただろうが、昔のように、正月は、どこも閉まっているというようなことはない。郊外型の大型スーパーなどができてくると、駅前の商店街なども、正月休んでなどいられないということで、正月の風景が、ゴロっと変化する過渡期だったのかも知れない。
 そんな正月も3が日くらいならいいが、休みが5日くらいまでだったりすると、こちらの冬休みが残り少なくなってしまう。結局松の内くらいまでずっと家にいて重々しい気分になるのは、子供としてはつらいことだった。
「大人になると、あんなに威張っていいんだ」
 と思ったほどだ。
 だが、本当の昭和の親父というのは、もっとすごかったようで、テレビだって、一家に一台あればいい方だと言われた時代は、チャンネル権は父親にある。特に昭和50年代くらいの子供というと、今のテレビ番組編成と違い、5時くらいからは、マンガや特撮の時間帯で、子供が主流の時間だった、そして、親が帰ってくる7時頃から、9時過ぎくらいまでは、どこかのチャンネルで必ずプロ野球中継をやっていて、チャンネルは野球一択だったのだ。
 しかも、野球と言っても、巨人戦一択。子供心に、
「野球が好きなやつは、皆巨人ファンだよな、それに野球を知らない女や子供は」
 と思っていた。
 逆に野球が好きではない子供は、野球にチャンネルを取られたことで、巨人を憎むようになる。アンチ巨人の中には、そういう人もきっと多いに違いない。
 いわゆるゴールデンタイムと言われていた時間帯で、
「裏番組には何をやっていたのか?」
 と言われるとピンとこない。
 ただ、一つ記憶にあるのは、
「水戸黄門」
 であったり、
「遠山の金さん」
 などの時代劇だった。
 これは、年配が見る番組として、人気だったのだろう。いわゆる日本人というものが、
「判官びいき」
 と言われたり、
「勧善懲悪な番組を好んでみる」
 という性格を巧みに突いたものだといえるであろう。
作品名:探偵小説のような事件 作家名:森本晃次