後味の悪い事件
と言って、平松は完全に打ちひしがれた状態になり、カウンセラーが入っての取り調べになったのだった。
犯人である男は、すでにこの世の人ではなかった。
彼は自殺を試みて、本当に死んでしまったのだ。使われたのは、奇しくも殺人に使った青酸カリだった。
この青酸カリは、元々山岸が持っていたものだ。
これは、犯人を脅すために、研究室から持ち出したものだった。
「俺くらいの優秀な人間になると、こんなものは簡単に持ち出せるのさ」
などと言っていたが、本当はそんなことができるはずがない。どこまでも、自分を正当化し、虚勢を張ることが、山岸という男の
「山岸たるゆえん」
だったに違いない。
犯人は遺書を残していた。
一人は娘と奥さんに、そして、もう一人は明美に、そして、もう一つは平松にであった。
内容は、明美と平松が話したこととほとんど変わりはなかったが、家族に対しては、徹底的にウソをついていた。
仕事の上での自殺を書いていたのだが、そんな遺書があろうがなかろうが、事件は殺人事件だったので、犯人を公表しないわけにはいかない。マスコミがこぞって面白おかしく書きたてる。
確かに犯人への同情は書かれているが、
「他に方法はなかったのか?」
などと書かれると、家族の心境を思うとやり切れない気持ちになる。
しかも、娘は、
「お父さんは、私のために」
と思い続けて生きなければならないだろう。
それを思うと、犯人の気持ちがさらに気の毒であった。
やはり、今回の事件において、幸せになる人は一人もいない。
なんと言っても、一番の原因は、SM、露出などという、人間の中に潜む、
「精神と肉体との歪」
が引き起こした事件だといえるのではないだろうか。
事件を解決した桜井警部補も、
「できれば、こんな事件、解決したくなかった」
と本当はいいかいくらいであった。
松岡を尾行させた理由は、松岡が何かを隠していると感じたのと、その隠しているのは「ものだけに限らず人間かも知れない」
ということであった。
桜井刑事は、松岡をよく知っていた。松岡を改心させた老年の刑事が、よく言っていたものだ。
「松岡君のような青年を、これからは作らないような世の中にしないといけないよな」
という言葉だった。
その人は松岡にいろいろ指導していた。その中で、
「仲間を作れ、自分がその人のためなら何でもできると思うようなそんな仲間だよ。そうすれば、お互いに助け合うことで、生まれてくるものは、どんどん大きくなっていくはずだからな」
と言っていた言葉が印象的で、その隠している人間が、そういう仲間だと思ったことから、
「この事件の関係者に、クーパーイーツの配達員がいるかも知れない」
と感じたのだった。
それから、松岡に接近してきた男が平松だったのだが、いかにも怪しい素振りを見せれば、もう彼が事件に関わっているのは、一目瞭然だったのだ。
松岡が自分から接近することはないと思っていた。彼は、実際には頭がいい。前のまま成長していれば、きっと、
「知恵ある悪魔」
になったかも知れない。
そうなると、完全に敵対することになり、容赦するわけにはいかなかくなる。
松岡が自分から近寄らなかったのは、彼なりの頭の良さだったが、まさか相手の方から出てくるとは、まさに、
「飛んで火にいる夏の虫」
と言ったところであった。
だが、この三人は実に潔い三人だった。
それを話してくれたのは明美だった。
「主犯は、あの人なのかも知れないけど、私たち三人は、血判した仲間なのよ。だから、誰が悪いとかではなく、三人は一つの同じ十字架を背負っていくことになるの。それは誰か一人が命を落としたとしても同じこと。だから、それを仕方のないことだということで乗り切っていけるだけの人間に、二人にはなってほしいって、言っていたわ。本当にこの人ともっと早く会っていればって思うの。少なくとも、山岸なんかに会う前にね」
と明美は言った。
さらに明美は続ける。
「平松君があんなになってしまったのは、私の責任。そしてあの人を殺人犯にしてしまったのも、そして。あの人の残された家族に対しても私には拭い切れないほどの責任がある。だから、本当は私が死ななければいけないんだけど、先にあの人が死んでしまったから、私は死ねなくなっちゃった。世の中には、死んで償うよりも、生き続けなければいけないことの方がつらいことがあるんだって、今痛感しているの。今の私に何ができるのか分からないけど、せっかく生きているんだから、彼に貰った命だと思って大切に生きていこうと思う」
というのだった。
平松も似たようなことを言っていた。
「あの人も、明美さんも、もう僕にとっては同志なんです。明美さんには恨みもありましたが、もうありません。僕たち三人で成し遂げたことなので、後悔はないです」
と言っている。
桜井警部補は、最初から気になっていたことだったが、
「どうして、5階と7階で小細工なんかしたんだい?」
というのを聞いた平松は。最初何が聞きたいのか分からずに、桜井警部補の方をじっと見ていたが、
「ああ、あれは、あの人が言い出したんです。どうせ逃げも隠れもしないのだから、せっかくなので、法地を意識した犯罪にしたいってね。すべて覚悟の上だったということですよ」
と平松は言った。
「じゃあ、508号室の猫の声は?」
「あれは、松岡君に疑惑を持たせるためですよ。彼が警察にいいに行くことは分かっていたので、松岡君の証言で少し捜査が明美さんから離れるでしょう? ここは本当は難しい判断だったんですけどね。ただ、もう一つは、あの部屋で、死体を発見させたいという思惑もあったんだけど、山岸は猫と同じで私たちのいうことを聞かないの。頭がいいからずる賢くて」
と、平松は含みを持たせていった。
桜井警部補には、まだ謎な部分が残っている気がしたが、今の平松の言葉を聞いて、
「どうでもいいか?」
と感じるようになっていた。
これほど真実というものを突き詰めるということがどれほど辛いということなのかということにキス化されるとは、
「本当に事件というのは、得をしたり幸せになれる人なんていやしないんだ」
ということを思い知らされる、後味も悪い事件であった……。
( 完 )
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